グラフィック2013.05.29

世界遺産を描くって めっちゃワクワクするんです

Vol.92
世界遺産アーティスト 松田光一(Koichi Matsuda)氏
 
富士山の登録が近づき、改めて注目を集めている世界遺産。この世界遺産を描き続け「世界遺産アーティスト」として活動しているのが、松田光一さんです。松田さんに世界遺産を描き続ける想いやアーティストとしての信念を伺いました!

世界遺産 毎年増え続け、飽きることのないモチーフ

「富士山」 2013年(平成25年)6月に世界文化遺産(日本の文化遺産としては13箇所目)に登録される見通し

「富士山」
2013年(平成25年)6月に世界文化遺産(日本の文化遺産としては13箇所目)に登録される見通し

松田さんの世界遺産アートは、独特の色彩でとても魅力的ですね。

ありがとうございます。世界遺産は2012年現在、962箇所あって、毎年30程度増えています。実際に脚を運んで描くこともありますが、基本的には「あーこんなところに行ってみたいなー」、と思いながら想像で描くことの方が多いです(笑)。どんどん増えているので、終わりなく楽しめるんですよ。

1日1枚描いていると聞きました。

なるべく1日1枚は描くようにしています。今はインターネットで現地の風景写真が閲覧できるので、毎日違う国にトリップできるみたいで楽しいです。

世界遺産を描こう、と思ったキッカケは?

世界中の人が協力して、重要な場所を後世に残して行くという活動の中で生まれた世界遺産というモチーフは圧倒的に素晴らしいからです。世界中の人が愛している場所がモチーフなので、国際的な笑顔を作ることもできると思います。あと、もちろん「好きだから描いている」です。世界遺産は「ハズレのない感動」を与えてくれるんですよね。毎日描いていて本当に楽しいですよ。

中学生でデジタルアートに出会う 熱心で真面目な美大生時代

「モン・サン・ミシェルとその湾」

「モン・サン・ミシェルとその湾」

アーティストとして活動中の松田さんですが、小さな頃から画家を目指していたのでしょうか?

絵を描くことは好きでしたよ。授業中も先生の似顔絵を描いているような子どもでした(笑)。中学生の頃、後に漫画家になる従姉妹がコンピューターを使って絵を描いていて、そこでデジタル画にも興味を持ち、将来は美術の道に進みたい!と高校のときには強い意志がありましたね。出身が和歌山県なので、大阪に出て美大に行くんだ!と決めて、美大予備校に通ってました。まったく迷いなく美大に進みました。

美大ではどんな学生でしたか?

もうめちゃくちゃ真面目でした。授業は一番前で前のめりに聞いてましたし、ひたすら絵を描いて課題も熱心に制作していました。当時描いていたのは、彼女の顔とか、地獄の絵とか、そんな感じですけどね(笑)。ただ、その当時の人生のゴールが「大阪に出て美大に行く」だったので、就職に関してはまったく具体的なビジョンが持てなくて、4回生になって焦りました。まぁ、美大生と言うのはそういうものなのかもしれませんが。

就職先を決めたのは?

サラリーマンにはなりたくないとか言ってましたが、東京に行きたい気持ちはあったので、東京勤務の可能性が高い制作会社にグラフィックデザイナーとして就職しました。人生の目標を「東京に行く」に再設定したのです。和歌山の田舎出身者にとって、東京は距離的にも心理的にも遥か遠くにある場所なので、自分ひとりだけで東京に行く勇気はありませんでしたからね。首尾よく東京で働くことができて、転職もして、順調に東京に根を下ろしました。転職先は商社だったので、国際的な視点をそこで持つことができ、目は東京から海外に向いて、そこで世界遺産の魅力に気づいたのです。

今を生きるアーティストとしてデジタルで表現 Facebookページを通じて世界中の人に観てもらう

順調にビジネスマンとして仕事をしていた中で「アーティスト」として活動をしていこう、と決めたキッカケはあったのですか?

29歳でカナダへ語学留学をしたことが大きなきっかけとなりました。ワーキングホリデービザです。30歳を目前にして自分の一番やりたいこと、できることをやりたい、という気持ちが強くなってきました。会社員でいることは難しいので、退社してフリーになったのです。現在はアーティストとしての活動と平行して、グラフィックデザイナーの仕事など、自分が関わって役にたてる仕事は積極的にやっています。

「コラボ財布」 東南アジアの世界遺産をテーマにインドのタージマハルとカンボジアのアンコールワットがデザインされています

「コラボ財布」
東南アジアの世界遺産をテーマにインドのタージマハルとカンボジアのアンコールワットがデザインされています

アーティストとしての活動はどのように始めたのですか?

ネットが普及して、描いた絵を発表する場がすぐそこにある、という環境なのは大きいですよね。Facebookに日々描いた絵を投稿して、徐々に知られるようになって今では世界中のたくさんの人が見てくれています。展示会の話が出てきたり、雑貨とのコラボレーションの話をもらったり、活動の場が広がって行きました。個人が自由に情報を発信できる、とてもおもしろい時代だと思います。

デジタルで描かれていますが、それはネットで作品を発表していくことを意図したものですか?

デジタルが「今」を一番代表する手法だからです。アクリル絵の具だったり、版画だったり、時代により表現の手法はいろいろありますが、僕が活動している現代の代表手法がデジタルだから、今を生きるアーティストとしてデジタルを選びました。印刷の技術が上がっているのも大きいですね。デジタルで描いているんですが、ジークレーの認定画は、1つの絵につき1枚だけ販売するというルールを設けています。世界に1枚だけの絵のほうがなんか素敵じゃないですか(笑)。

事前にネットで情報収集 時間経過とともに変わっていくことが楽しみ

「ロータス・フォート」とパキスタンの子供達

「ロータス・フォート」とパキスタンの子供達

先ほど、実際に行っていない世界遺産は想像で描いている、というお話がありました。それもやはりネット社会だからこそ、できることのような気がします。

行ってないところは、事前にネットで情報を収集します。世界遺産の写真を見たり、その地方の暮らし方や文化がわかるようなサイトを見たり、その場所の空気を読み取って、自分なりに感じたものを絵に反映させています。世界遺産というモチーフと、自分自身の間にあるものを描いている、という感じでしょうか。こうした情報収集は、ネットがなければ大変な手間と労力がかかると思うので、1日1枚の制作ペースは無理でしたね。

想像で描いていたところに実際に行くと、絵が変わるのではないですか?

そうですね、リアルな肌感が絵に反映されますから。どのように変わるのか、世界遺産に出かける前は本当にワクワクします。最初に見る時はもちろん、何度か時間をおいて見るたびに変化があり、印象が変わって絵も変わっていくと思いますので、世界遺産を追いかけることに飽きる日は来ないと思います。

画家は誰でもなることができる それがライフワークになるかどうか

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アーティストとしてのライフワークを見つけたんですね。今後、松田さんのような画家やアーティストを目指す若い人にアドバイスをお願いします。

アドバイスなんて…僕がもらいたいくらいです(笑)。画家は、自分を信じていれば誰でもなれると思います。とにかく絵を生涯描き続ければ画家である、と村上龍さんの「13歳のハローワーク」に書いてありました。ただ、どこを成功と設定するかですよね。絵を描いてお金持ちになろう、という成功条件であればそれはとても難しいことだと思います。絵を描き続けていればお金以上のつながりを得ることもできます。その人にとって、絵を描くことが一番のライフワークである、という確信があるのであれば、まっすぐにゆっくりと画家の道を行けばいいと思います。「画家はこういう生き方でないといけない!」なんてことが決まっていたら、面白くない作品ができてしまいそうですね。

取材日:2013年5月15日

Profile of 松田光一

和歌山県出身の画家。大阪芸術大学芸術学部デザイン学科卒。世界遺産が大好きで、写真や資料から、行きたい世界遺産の風景を描くようになった。描いた場所に少しずつ、訪問できる機会に出会って行く。世界遺産を旅しながら、現代の壮大な風景と願いをキャンバスに落とす。スケッチとCGで世界遺産を日々描く現代画家。2013年現在、まだまだ夢の途中です!

◆HP http://www.worldheritageart.net/ ◆Facebook https://www.facebook.com/World.heritage.artist

【個展】 「世界遺産図展」(富士川楽座、静岡県富士市、2013年) 「世界遺産図展」(This is cafe、静岡県牧ノ原市、2012年) 「世界遺産図展」(石見銀山世界遺産登録5周年企画、2012年) 「世界遺産図展」(T.Y.HARBOR、東京 品川、2012年) 「世界遺産図展」(熊野古道センター 三重県尾鷲市、2012年)

【技法】 現代技法 スケッチスキャニング (スケッチ、写真、CG(ADOBE)を用いて絵を仕上げる。 出力は現代印刷技術を用いる。(ジークレー、オンデマンド、オフセット等)

 
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