人を傷つけないお笑い

Vol.162
CMプロデューサー
番長プロデューサーの世直しコラム
櫻木 光

 

若者とおじさんおばさんの間には深い溝がある気がする話は先月も書きましたが、引き続き若い編集者とその検証を続けています。

今月、打ち合わせしていて出た話は

「人を傷つけるお笑いに、何故大人が笑うのかわからない」

ということ。

 

少しドキッとしました。

テレビを見ているとお笑いバラエティ番組ばっかりなんですが出てくる顔ぶれはあまり代わり映えしませんね。

人気のある人たちはその都度決まっているんでしょうけど、ボスキャラはずいぶん長い間変化がない様な気がします。

昭和の終わりから大きくは変わっていない。

 

バブル期に青春だった僕も、何というか、彼らが出てくると安心します。

ずいぶん笑わせてもらったし今も笑えるので疑問を持ったことはありませんでした。

最近ちょこっと聞こえてはいたけど、気にもかけていませんでした。

 

ただ、若者たちはその昭和からやっていて、

今やボスになったお笑いの芸能人たちを冷ややかな目で見ているみたいなんです。

大人に人気のあるお笑いは「人を傷つける笑い」だと言います。

 

ー「容姿いじり」などで笑いを取る方法は見ていて気分が下がります。

ー誰かが必ず傷つくので。

ー言ってしまえば、ツッコミ担当の方がボケ担当を叩くのも本当は嫌です。

ー叩かなくてもいいものを思いっきり叩いていてお笑いどころじゃないです。

ーそれが「お笑い」なのだと思うのですが、それでもそれで笑えません。

ー何故、人を傷つけているのに笑えるのでしょうか。

ーそのお笑いを見て、誰かが悲しんでいるかもしれません。

 

ーセクハラやパワハラ問題は過敏になってきています。

ーコンプライアンスで過激なものは減ってきているとは思いますが、

ーお笑い界のそれは、まだグレーになっているような気がしました。

 

ー大人は「人を傷つけるお笑い」が好きな人が多いのでしょうか?

 

という質問をされてしまいました。

まず、確かになー。と思ってしまいました。だけどなんか違和感が残る。

なんだろうな、この嫌な感じ。

 

いかに人を傷つけずに笑いを取るかがお笑い界での問題になっているのは事実だ。

最近の漫才番組で「人を傷つけない笑い」はトレンドワードだった。

 

平成の頭は本当に「ホモだ」「オカマだ」と当たり前のように笑いとして言ってたが

今ではそういうことを公に言う人はいない。

 

つい最近まで若手芸人に無理矢理高級時計や高級車を買わせるような番組があったし。

人をひっかけて落とし穴に落として笑う番組も人気があった。

でも、ここ数年でバブルのあの頃から続くそういったお笑い番組も、

それだけが理由じゃないだろうけど、立て続けに終わっていった。

 

 

昭和生まれの僕たちは、何でいじめ系の笑いが面白かったんだろう?

 

いじめの本質については、僕なんかがこんな気楽なコラムでとやかく言うようなことではない。

というか、考えてもよくわからない。

 

自分は今でも意地悪だし、いじめっこでもあった。それが何故だかわからない。

実はわかっていたけど言っても仕方ない。無知で馬鹿だったからだ。

見るもの全てにイライラしていた若い頃にした事は、今となっては後悔ばかり。

世の中には本当に人を腐したりしない人もいるのも知っている。

 

 

村上龍の、昔話を今風にアレンジした、「おじいさんは山へ金儲けに」という変わった絵本があります。

その中に浦島太郎の現代版の話が出てきます。

 

浦島太郎が海辺を歩いていると、子供たちが小さなカメをいじめて遊んでいる。

太郎は子供に向かって、「カメをいじめちゃいけないよ」と諭すと、

その中の1人の子供が「何でカメをいじめたらいけないのか教えてくれよ」と太郎に食ってかかってきます。

すかさず太郎はそのガキをぶん殴ります。

「痛えな、何すんだよ」とガキ。

「なぜ、わたしがおまえを殴ってはいけないのか教えてくれ」と太郎。

ガキははっと気づき「カメだって痛いんだな」と。

「でも、なんで弱いものいじめは起きるのか?

 自分より小さいものをいじめるのは面白いじゃないか」と子供が太郎に聞きます。

「確かに弱いものをいじめるのは面白いのかもしれん。自分が優位に立った気になれるからな。

 だが世の中にはもっと面白いことがあるんじゃないかな?

 そういうことは弱いものをいじめるより百倍も千倍も面白いかもしれん。

 世の中には二種類の人間がいて、弱いものをいじめて面白いと満足してしまう人と

 それよりもっと面白いことを知っている人だ、わたしは面白いことが知りたい」

と太郎が答えます。

 

ずいぶん端折りましたがそういう感じの話だったと思うのです。

この話がずっと心の中にあります。

 

 

何を言いたいかというと、若かろうが歳をとっていようが、

いじめがいけないことだという理由をちゃんと理屈で理解していないのに、

いじめはよくないのは当たり前とヒステリックに言い張るのは逆に良くないと思うのです。

「人を傷つけないお笑い」に感じた違和感はそこです。

所詮、綺麗事でトレンドワードにしか聞こえないのです。

 

その理屈がわかっていないと、人を傷つけない笑いはどういう笑いを作っていいのか、

それが面白いのか?本当に誰も傷つけていないのか?

ネタを作る人は悩むでしょうし、受け取る側が無知だと、何をやってもケチつけてくる。

 

同じことをしても人間関係によって、笑い転げる時もあれば死にたくなる時もある。

 

ネットでの誹謗中傷が問題になっているけれど、「人を傷つけない笑い」を若者が求めているとしたら、

ネットに誹謗中傷書きまくる奴に若者はいないのだろうか?

いじめ系のお笑いが好きなおじさんおばさんばかりが同じように誹謗中傷書き殴っているんだろうか?

そうとは思えない。

 

これは世代間の雑な括りの問題ではなくて、人による。

人の感じ方の問題に立ち返るんだと思う。

 

世の中にいじめがなぜおこり、人が傷つけられ続けているのは何故かと考えてもわからない。

何もわからない訳ではなくて、理由がありすぎてわかったことにするのが難しい。

人間の本能や本来の残虐性を語れるほどそこに詳しくもないからだ。

 

ネット上の誹謗中傷はいじめでしかない。内容もさておき数の多さでの恐怖ないじめ。

テレビも週刊誌も、一番売れる商品は「いじめ」になってると感じる。

張り込んででもいじめる対象を見つけ出しては正義ぶっていじめを娯楽にしている。

常に解決策は示されない。袋叩きにして飽きたら終了。

『人を傷つけないワイドショー』を誰も提唱したりはしない。

 

そんな中で「人の傷つかない笑い」とか言われても違和感しか持てなかった。

落語をききなさい。

 

ただ、弱いものをいじめるより面白いことがある。という事をわかっていなければいけないんだと思う。

つまり、人をいじめて人を傷つけるということの真反対の行為を各々自分で探さなければいけない。

そうしないと幸せになれない気がする。

 

若者も、そうじゃない人も、身近なお笑いにだけ正義を求めてないで、自分に関わることには正義を求めようよ。

まず選挙にいきましょう。

そして自分に関係のない事は、放っときましょうよ。

興味があったとしてもゴチャゴチャ書き込まないでおきましょうよ。と、思った。

 

大人もちゃんと若者に教えなければいけないと思う。

今の大人は意外にバカが多いから若者は自分で考える方がましかもしれないけど。

わかってる大人が少ないのが問題かも。

わかっているけど身動きが取れないから知らんぷりする場合も多いし。

 

傾向としては大人の世代は卑怯で意地悪な奴が未だに多い。

実際の生活や環境がシビアだからだろう。忖度もある。黙っていた方が儲かる。

若手の頃に理不尽に鍛えられすぎて麻痺してる人もいるだろう。

 

人間の本質として「いじめは快楽」というのがあるならば、

それを理解した上で自制して見せるのが大人の欲割なんだけど。

先生が先生を苛めちゃうんだから生徒もどうしていいかわかんねえよな。

 

大人に人気のあるお笑いは「人を傷つける笑い」だ。

という若者の意見は漠然としているけど、その例えだったのかもしれない。

それの何が楽しいかわからないという若者の意見は、決して無視は出来ない。

今の気分だからだ。

若者の方が敏感に、この変に歪んだ社会に違和感を感じているのだろう。

 

コロナや台風や地震。すべての人間性が試されている時代。

世代間の違いは本質じゃなくただの特徴もしくは傾向。

すべては、その人がどういう人間性であるか?にかかっていると思います。

 

プロフィール
CMプロデューサー
櫻木 光
プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが、矢面に立つのは当たり前と仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。

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