孤独について

Vol.150
CMプロデューサー
番長プロデューサーの世直しコラム
櫻木 光

今回で、このコラムを連載始めて150回目です。

ついこの間100回で、記念に俳優の豊原功補さんと対談したりしたんだけど

番長プロデューサーの世直しコラム 100回記念 櫻木光氏×豊原功補氏 対談

あっという間に150回です。12年と半年書いていることになります。

 

150回だから特別なことを書け、という要望が何件かきたんですが

基本的に150回書くと書くことがなくなります。毎月苦しんでいます。

ただ、今まで書きたくても難しすぎて書けなかったことを書いてみようと

思いました。難しいテーマですが、そこにいる自分のことを書きます。

 

「孤独」について思うことです。

 

昨今の世の中で起こる、やってらんなくなるような悲惨な事件の裏にはこの「孤独」っていう

概念がかなり潜んでいるように感じられます。少子高齢化社会には寂しさを纏った

孤独という概念に対する恐怖がすごいと思うのです。だからヘンテコになっちゃう人が出る。

 

これが本当に嫌なんです。

 

風潮としては今は何でもかんでも「孤独」を毛嫌いしている世の中です。

僕の子供の頃は、テレビのドラマの主人公はみんな孤独でした。

読んだ漫画や小説の主人公なども孤独な人が多かったような気がします。

まだ孤独な人間を慈しむ余裕や未来や若さや無知さが世の中にあったんでしょう。

ドラマ「傷だらけの天使」の最終回なんか今見たら死にたくなるくらい孤独です。

 

今はそういう余裕が少しありません。テレビより実社会がちょっと悲惨です。

ひな壇に芸人がたくさん、寂しさを忘れさせてくれないと見たくない

と言わんばかりどうでもいい話をしています。

 

自分のことを思い返してみたら、僕はずっと孤独を感じていました。

そんなことを言うと「嘘つけばか、お前友達いっぱいいるじゃねえか」と

言われたことがありますが、友達や知り合いがいるからって孤独じゃないわけではありません。

孤独を感じるからって寂しいわけじゃなかったような気もします。

 

僕は、いつも、あんまり友達は周りにいません。大体いつも一人です。

僕を知ってる人はわかります。ポツーンと一人でいます。

こだわりが強いのと、態度と口が悪いのが災いしてよく人に嫌われます。

 

そうやって田舎でバスケをしてる高校生の頃も孤独だったし、東京に出てくる時も生活を始めても

会社に入ってCMを作り始めても、ずっと孤独感はどこかに付いてきます。

おちゃらけて、なんとなく集団に合わせてみんなと無理やり仲良くする、ということができませんでした。結婚していた時も孤独を感じていました。二人でいてもポツーんと1人。二人の中に孤独ってあるんだなあと思いました。

 

それが悪いとは思わないのです。さみしいとも思わない。

 

 

そういう時は何を考えていたのか?

 

大切なことは自分のことは自分で決める。

と思っていたということです。

 

わからないことがあると、困った状況に直面すると、すぐ他人に意見を求める人がいます。

僕はそれができなかったし今もできません。

自問自答しか答えは出せません。本当に困った時、他人に意見を聞いてもベストな選択肢は

出てきません。なぜか?所詮他人の事だからです。

だから自問自答を繰り返す。いろんなパターンの組み替えを自分の中でやる。

タイガー&ドラゴン。俺の中で俺と俺とが戦う。そして意思決定を自分でする。

 

そもそも

他人の入り込む余地が無い悩み。

これが孤独の正体です。

 

誰かいいアドバイスをくれない、とか、相談する相手がいないとか、そういうことを

嘆いて孤独感を感じて落ち込む。嘆く。なんてことは孤独の意味がわかってないのです。

大事なことは他人に聞くんじゃねえ。聞かれた方も迷惑だ。

自分のことを自分で考えて決める。これは「自由」だからです。

 

今回、孤独を調べている時に、孤独のヒーロー代表の矢沢永吉氏の言葉を発見しました。

 

人は孤独だろ?

それを「孤独じゃない」というふりをしたり、

「孤独じゃない」と言い聞かせてることのほうが、

よっぽど、俺、変な話だと思うよ。

 

シンプルに、人間やってると、

基本、孤独だよね、ということを、

決めて、アンダースタンドして、その上で、

さーて、どうやって自分は立てばいいんだろう?

立ち位置はどこ? みたいなことでやるほうが、

ぼくはナチュラルだと思うな。

 

孤独上等よ。孤独なんだから、もともと。

自分と会話しながら、自己暗示をかけながら、

「おまえだったらきっとできる」

って言って、やる。

 

 

これだ、さすが永ちゃん!と思いました。

 

この「孤独」を恐れるあまり変な方向にいっちゃう人は本物のバカでしょう。

 

永ちゃんは「孤独上等」と言った。その通りだと思いました。

歳をとるから孤独になるわけじゃありません。

ずっと感じてきたように「孤独」は若い頃から、生まれた時からあるからです。

 

どの道行こうかと迷った時に、必ず孤独は顕在化すると思うのですが

そんなの当たり前なんだから怖がらなくてもいいんだと思うのです。

他人のせいにも世の中のせいにもできないのです。

 

自分のことは自分で決める。

自問自答して自己暗示をかけて怖がらずに挑戦する。

先のことは誰にもわからない。そこを闇だと思って怖がって緊張して失敗しても

癇癪起こしてあばれてもどうにもならないのです。

 

ひとりぼっちなのは自分のことを決めるときは当たり前ですね。

大事なことを他人に決められたり、いい加減なアドバイスを鵜呑みにしたりするよりは

孤独な自問自答を繰り返す方が、失敗しても納得いくんじゃないでしょうか?

と考えると「孤独」は素敵なんじゃないかと思うのです。

 

「孤独」と「寂しさ」は決定的に違います。

これをごちゃ混ぜにしてはいけないのです。

寂しい時に「孤独だなあ」と呟く人は言葉の意味がわかっていないのです。

敵は「孤独」ではないからです。「孤独」を自分で制御しようとしないと

「寂しさ」が襲ってくるでしょう。敵はその「寂しさ」です。

孤独と向き合った時に、逃げ出して何も決めなかった後悔は寂しさとなって後から

襲ってくることがあります。

 

だから、君は一人じゃない。

みたいな気休めを言ってないで、一人だと覚悟して集まれ。と言いたい。

孤独と絶望も混在してはいけないのです。孤独は自由だから。

そういうことがわかった大人の集団があるのなら、寂しくない人間関係ができるんだけどな。

と思います。

プロフィール
CMプロデューサー
櫻木 光
プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが、矢面に立つのは当たり前と仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。

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