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とっぽい人

番長プロデューサーの世直しコラム Vol.131
番長プロデューサーの世直しコラム 櫻木 光

最近はもっぱら死語になっちゃったんですが、
僕が若い頃まで「とっぽい人」って感じの人がテレビや映画の中には沢山いました。
それを真似したとっぽい人もまわりには沢山いたんです。
そういう人たちが好きだったんです。

「とっぽい」を調べると日本語俗語辞典には、
とっぽい
とっぽいとは、気障(キザ)で生意気なこと。
【年代】 不明(明治時代~?)  【種類】 -
『とっぽい』の解説
とっぽいとは「ずる賢い」「抜け目がない」という意味で明治時代には使われている言葉である。また、当時から粗暴という意味でも使われている。昭和時代には気障な人や不良じみた人、または双方を含む「気障で不良じみた人」という意味で使われるようになる。これらは「生意気」という意を含んで使われることが多く、直接「生意気」という意味で使われたこともあるが、どちらにしても現在では死語となっている。とっぽいは香具師・的屋言葉からきたという説もある。ただし、これらはもともと「大きい・太い」という意味で使用しており、先述の意味との関連性があるかは不明。これとは別に「間抜け」という意味でとっぽいというエリアもある。

と書いてある。

僕らが若い頃使っていたこの言葉のニュアンスは「気障な人や不良じみた人」というニュアンスが近いと思う。ちょいワルとか言い換えられそうな時期もあったが、カッコだけのそんな軽い問題じゃなかったのだ。

もう少し言うと、「とっぽい人」は僕の中では、いつも不機嫌で一見扱いにくくて、取っ付きにくい。少しナルシスト。カッコつけてる。
女に優しくて実はもてるが気がつかない。アメリカに憧れた不良という感じで、仲間には優しいけど、外に対してはけんかっ早く喧嘩を怖がらない。
照れ屋で、一人が好きで、情と欲が深いんだけど、本当は自信が無いからあえて自信満々な態度で、逆の空気を読み、身もふたも無い事を言う。
ああ、そんな事しなきゃいいのに、ってことを平気でやって、見てるだけだと痛快だけど、いつも結局損をしてる。
だけど明るくていつもふざけた態度で口が悪い。
そして本質は自分のあり方に後悔したりくよくよしたりしてて、たまに理解者にだけ甘えて弱音を吐きながら酒を飲む。
それが危険で色っぽい。バカっぽいけど馬鹿じゃない。答えは出ない。悪い人の皮をかぶったいい人。
そんな感じの人じゃないかなあ。
そういう人がとても魅力的に見えた。

僕の中でとっぽい人の代表は、まず第一番には若い頃の矢沢永吉。ここはもう圧倒的。龍が天に昇っていく様なかっこよさ。
傷だらけの天使のときのショーケン。
探偵物語の松田優作。ムー一族のたこ八郎。
プロハンターの藤竜也。あぶない刑事の舘ひろし。
というところか。

高倉健や菅原文太は、もう、とっぽいを既に通り越してガチ本物っぽかったので、
カッコイイけどそこにはあまりそそられなかったかもしれない。

昔はとっぽい男のドラマが多かったんだなあ。
なんか切ない男の話が多かった。僕が子供の頃。
こんな話、今の若い人にしたって解んないだろうなあ。
タランティーノの映画に出てくる男っていえばわかるかなあ?
それでももう古くなっちゃうのか?
まあいいか。

ここ数年では、この人とっぽいなあと思ったのはクレイジーケンバンドの横山剣と最近の高田純次だけど二人とも僕より年上だからなあ。若い奴でとっぽい人っているんだろうか?

とっぽい男の生き方を綴ったドラマをあまり見かけなくなった。
高度経済成長期には必要だったんだろう。今はどうなんだろう。

本質的に悪い人は論外なんだけど、悪そうな人は苦情が多いのか?
ほんとに悪い事するかもしれないからテレビにはリスクが高いのか?違法行為はもちろん、やばそうな状況すら画面に出してはいけない昨今、描きにくいのは解る。でも、草みたいな男ばっかり出てくるのはもううんざりだ。
「悪い人」と「悪そうな人」は違う。そこを解って欲しい。
悪そうな人は悪くない。最終的にはいい人なんだけど悪い人かもしれないと言う見え方をするだけだからだ。

テレビCMの世界なんかが特に。悪そうな人は話題にもならない。それが少し不満ではある。どうせ悪い人じゃないんだからいいじゃないか。あ、だめ?すみません。プロデューサーがそんなこと言うな。リスク管理ですよ。

先日、撮影後に舘さんとご飯を食べる機会があったので聞いてみた。
男の子がめちゃめちゃ憧れる対象の男って居るんですかねえ?今の子たちに。と。そしたら一言
「居ないよ。悪そうな奴が居なくなったからだよ」
と。

本当にそうだと思った。
偶像だったとしても、男の子には死ぬほど憧れる対象が必要である。
特に、自分が何者だか解っていない若い男の子が、男らしく行きていこうとする指針になるモデルが必要なんだと思う。実在してるならもっといい。

つらい事があってもひどい目に会っても、ツッパってしのぐそういう人たちを見て、自分もそうしようと単純にがんばる。心の支えとしてのかっこよさを持てるか?

男の子は本能的に悪そうな男に憧れる。くそみたいな常識の檻にとらわれたくないと思っているからだ。
(そう思わない人もいるだろうがあまり面白くない。)
だけど悪そうだと生きづらい、とっぽいと損をする。
と言うことがやってみて解ってきて大人になっていく。

とっぽい上司って昔はいたけど、今はたまにしか見かけない。

 

テレビの画面の中でも実際に生きている人でも
とっぽい人たちは、それでも思うように生きようとしているように見えた。常識に邪魔されながらも自由に見えるのだ。
そこにハラハラしながら憧れる。
俺ももう少し我慢でもしてみるかと思う。

自分でもそうやってみて、あっちにぶつかりこっちにぶつかりして
解っていく方の人生を選びたい。と思っている。そしたら偉くならなくてもカッコイイジジイになれる気がする。

そうやってカッコつけてる気障な人が最近は少なすぎると思う。時代のせいばかりじゃないだろう。なにかが間違っている。

パワハラや理不尽には、一旦我慢して、やって返す機会をうかがいながら力をつけていくのが男だと思うからだ。やって返せる頃にはふと気づくとそんな奴はもう目じゃない。逆に優しくしてやれる様になっている。落とし前をつけるってそう言うことだと思う。いちいちぎゃーぎゃー他人に言いつけてんじゃねえ。と。

悪い奴はいつの時代にだっている。最近はトンでもねえ奴がサイバー空間に潜んで悪い事をする。だけど最近の悪い奴は喧嘩が弱そうだ。自分より弱い奴を遠くから姿を隠して狙う。ズルくて浅ましい。
そいつらには、男らしいと言う言葉すら死語の様だ。
「気障」「やせ我慢」とか「意地っ張り」男にとって大事な言葉も死語だ。

こんな世の中じゃ女の人が一番がっかりするだろう。女の人たちの価値感も大きく変わっている。女の人が働く場所が多くなっていくにつれて、男に依存しないで生きられる人が増えたのだろう。働いて子育てもして、なんてやってると男より大変なのは事実だ。酒飲んで愚痴ってる場合じゃない。 もともと男より現実的で優秀だった女の人が、夢見がちでマザコン化する男たちを追い抜いて行ったから「男らしい」という概念が無力化したのかもしれない。無理して男らしくしなくてもいいのよ。切ない男の話なんて鼻で笑っちゃうのかもしれない 。

もう男が諦められてるのかもしれない。

テレビを何気なく見ていたら、BSで映画「男はつらいよ」が突然始まった。
子供の頃は寅さんがなんか苦手で見れなかったのだけど、歳をとったせいか、気になってじっくり見てしまった。
やっぱり男はつらいんだな。切なくて面白かった。ジーンとした。何でこれが面白いのか考えたらフーテンの寅さんはめちゃくちゃとっぽかったのだ。男はつらくていいんだよ。
気障で意地っ張りでやせ我慢して喧嘩して甘えてて不良で優しい。
そう言う男の人が描かれていた。
僕が思う「とっぽい」の定義にぴったり当てはまる人の話だった。

そういう、自分に自分で決着をつけようとするがなかなかうまくいかない。でも生きるんだ、ってな感じの希望みたいな男の話を僕は男だから今見たい。男たちに見てもらいたい。
ここまできたら、女の人に時代遅れだと言われても、俺も寅さんみたいになりたいもんだと思った。
とっぽく死にたい。じゃないといい女にはモテない。

Profile of 櫻木光 (CMプロデューサー)

プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが、矢面に立つのは当たり前と仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。


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