プロダクションマネージャーの昨今

番長プロデューサーの世直しコラムVol.85
番長プロデューサーの世直しコラム 櫻木光

コンピューターやインターネットが飛躍的に進歩して、気がつくとCMを作っている環境も激変しているのを感じます。 特にプロダクションマネージャーがやっている、制作まわりの環境。 僕がやっていた時とはかなり違うのです。 (プロダクションマネージャーについての解説は過去記事へ https://www.creators-station.jp/column/14711

まず初期の作業として、企画の内容を明確にするために画コンテを作ります。 30秒や15秒の内容を絵で並べて、左側に内容の説明、右側に台詞やナレーションが入るものです。

僕らの頃、15年くらい前は、コンテ屋さんといわれる絵かきさんに描いてもらった絵をカラーコピーで拡大、縮小して、裏にスプレーのりを吹いて、カッターと定規できれいに切って、一枚一枚ボードに貼って作っていました。 左側のト書きと右側のナレーションも、ワープロで打ち込んでプリントアウトして、コピー機で拡大縮小してバランスを見ながら切り貼る。家内制手工業です。職人技。作る人によって、その企画が魅力的になったり面白くなくなったりする。

今は、マッカーさんといわれるマックオペレーターという職業があり、コンテを作る日に会社に来てもらって、その方達に、どういうコンテにするのかをPMが指示をして作業をお任せするのが一般的になっています。

次に行うのが、そんなコンテに信憑性を持たせるために見せる資料の「映像を探す」という作業。その企画にそった、映画やドラマのワンシーン、海外のコマーシャル、プロモーションビデオを探して「こういう感じです」とお客さんへの説明のために使う。そういうものをつなぎ合わせて一本のCMを擬似的に作る「ビデオコンテ」の作業をする時もある。

これまたとっても重要な作業なんですが、僕らの時代は、ある意味、曇をつかむような作業でもありました。 まず自分の頭の中にある映画やドラマの記憶を辿る。次に周りの同僚に聞いてみる。それでもわからなければ、映画マニアやビデオマニアの友人に電話して聞く。そうやってある程度目星を付けると、それをリストにして夜中のレンタルビデオ店に走る。両手で抱えきれないくらいのビデオテープを借りて、VHSの編集室にこもり、左右のデッキに別々のテープをねじ込んで右のモニターと左のモニターに別々の映画を早送りで再生して、左目は左の映画、右目は右の映画を見ながら企画に沿った映像を探す・・・。 まだ見ぬ数々の名作映画を片目で早送りで見てしまった事が悔しかったのですが。それでもなかなか狙いの映像は見つからない物です。そりゃあそうです。他人がやった事の無い事を考えるのが企画だし、全くそのままの映像を見つけちゃうとパクリになっちゃうからです。微妙なイメージのずれが必要でした。何日も徹夜するような作業でした。

今は、YouTubeに検索ワードを打ち込むとずらりとリストに出てきます。それでもなかなか狙いの映像はみつかりませんが、選択肢は確実に多い。

撮影後には、撮影した素材を仮編集するオフライン編集という作業があります。フィルムで撮影された素材をビデオにトランスファーして、その素材からオフライン用のワークテープ、画面にタイムコードという時間の数字が入った物をもらう。それを編集機で監督と編集マンが編集する。 編集が終わると、その、仮に編集されたCMのカットを画面に出ているタイムコードを拾い、「1カット目はテイクはいくつで、ここからここまで、何秒何フレーム」「2カット目はここからここまで」という風に手書きで専用のシートに書き込んで記録するのが僕らの役目でした。それをもとに本編集と録音作業をするからです。編集のための指示書です。

今はコンピューターのソフトで監督と編集マンが編集して、編集後にデータとしてポイッともらうだけです。

コンピューターとインターネットのテクノロジーの進歩で何かと便利な環境になっていて羨ましい限りなんですが、それによって、プロダクションマネージャーの仕事の質がずいぶん変わっちゃってかわいそうだなあ、とも思うのです。クリエイティブの内容に関与できなくなってきている。 昔のプロダクションマネージャーは監督よりのアシスタントディレクター的な要素が強かったのに比べて、最近のそれはアシスタントプロデューサー的になってきたのかもしれません。

コンテを作る時は、その企画のどのカットが重要か?どこを強調するか?を真剣に考えて貼らないといけなかったし、加えてスピードも要求されるので企画の内容を真剣に吟味したうえで一気に作業に取りかかりました。カラーコピーも1枚300円とかの高価な時代でしたから、どれくらいカットを拡大、縮小するかはものすごく真剣に考えていました。どうせ消えてなくなってしまうようなはかない企画の内容までも、考えた人の気持ちになって、自分の手で、具体的な提案物に変える様な作業だったのです。

映像を探す時も、今は検索ワードの入れ方のセンスを問われていますが、当時は、まず目星をつける事が大事でした。つまりどれだけの映画やドラマやPVを見た事があって覚えているか?自分の知らない事を教えてくれるブレーンを持っているか?そういう事が勝負の分かれ目でした。だから時間が空いている時は一生懸命映画を見たし、海外から送ってくるCMサンプルや作品集、広告賞のダイジェストなど、自分の中での好き嫌いを排除して映像と向き合うことをしました。映像マニアであればあるほど有利だったからです。

当時、資料探しのときに発見した大好きなナイキのコマーシャルを、企画に関係なく、趣味で膨大な量をストックしていて、それを持っているだけである意味商売になった時期もありました。いまは誰でも見れるネット上にほとんどアップされていますけど。

オフラインのシート書きも、いろんな巨匠監督の編集を身をもって感じる事ができた。 あら、こんなテイクをつかっちゃうの? この組み合わせでよくなるんだなあ~。 へ~こんな編集するんだ。 この長さが絶妙ですなあ。かっこいいなあ。 とか、逆に、この人だせーなあ。 こういう風にすればもっとカッコよくなるのになー、とか。 常に自分だったらどうするか?を考える事ができたのです。

企画の内容からめちゃくちゃ関与しているし、撮影の段取りも組んで、予算を仕切り、編集では編集されたものを細部まで分析している。というのが当時のプロダクションマネージャーだったのです。だから誰よりもコンテを読み込んでいて客観的だから、描いた監督にも意見が言えるし、なんとなく主導権みたいな物を持って仕事をしていた気がします。僕が無駄に威張っていただけかもしれませんが。

僕の時代は、なんとも穏やかな時代だったんでしょう。予算にもある程度の余裕があって、作品の内容に関与して企画が膨らむ様な資料を持ってくるプロダクションマネージャーは評価されていたし、監督とガチで向き合う事ができました。面白い事を考えている奴が偉い。という風潮があったからです。お金の管理は今と比べたらずいぶんルーズでした。

これだけ便利になった世の中でも、プロダクションマネージャーが楽になったとは思えないのです。予算の縮小と、コンピューターやネットで、今まで時間のかかっていた作業が簡単にできるようになった分、製作期間は圧縮されています。待ち時間がほとんどない。すぐやれ明日やれ。

競合プレゼンの仕事が多くなって、企画の作業にすごいカロリーが必要になりました。幸いにしてそのコンペに勝利しても、予選を全力で戦って決勝に挑むがごとく、実作業に入るときには、もうへろへろになっている事もあります。

社会的にもプロダクションが上場することが多くなり、利益率が厳しく問われるようになり、各スタッフやスタジオとギャラの交渉のための電話をしている時間が極端に長くなりました。月末の〆や支払いの作業、仮払いの精算の期日が厳格になりました。

コンプライアンス系の話も厳しくなり、情報の取り扱いに失敗は許されない。その恐怖と薄氷を踏む思いで戦う日々でもあります。

加えて、不用意な「こうすれば面白くなります」という意見はずいぶんリスキーになりました。「お前、その金、どうするんだよ」と、打合せの後、誰もいない会議室でプロデューサーに怒鳴られる様な雰囲気になっちゃっています。

僕のやっていた頃と今では「やらなきゃいけないこと」の内容が違うんでしょう。環境がずいぶん様変わりしました。

なんていいながら、プロダクションマネージャーの人たちに言いたいのです。

CMの現場においては、企画の内容と具体的な制作方法について誰よりも考えが深い人が一番偉いのです。些末な事でごちゃごちゃ言われたくなかったら、誰よりも深く考えて、だれよりも早く問題に気づいて、対処する。ご用聞きなんだけど日本一のご用聞きになれば、誰もご用聞きの扱いをしないでしょう。という事が大切です。

成り行きではなく、自分が作ってみたい世界をちゃんと持って、いつそれができるか楽しみにしておいてほしい。毎日の作業の中から、自分の血となり肉となる表現手法をちゃんとすくい上げて自分の中にストックしておいて欲しい。 そのチャンスといつか巡り会ったら、うまく提案して自分の世界にみんなを引きずり込んでほしい。 それがいつもできるようになるとプロデューサーになってますよ。と。

Profile of 櫻木光 (CMプロデューサー)

プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが、矢面に立つのは当たり前と仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。


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