歌詞を書くということ

番長プロデューサーの世直しコラムVol.58
番長プロデューサーの世直しコラム 櫻木光

数ヵ月前、以前CMでお世話になったあるミュージシャンの事務所から久しぶりに連絡がありました。 「○○が新しく音楽活動をするにあたって、櫻木さんに歌詞を書いて欲しいと 言っています」とのこと。 「はい、いいですよ」と軽く答えたとこから、苦しみが始まりました。

「どんな歌詞をつくればいいんでしょうか?」 「○○は櫻木さんのコラムを毎月楽しみに読んでおりまして、できれば、ああいった内容の歌詞になればいいんじゃないかと思うんですが」 「世直しですか? 世直しの歌? 愛とか酒とか女とかそういうんじゃなくていいんでしょうか?」 「あっ、そういうのもお願いします。とにかく自由に、完成した形じゃなくて結構ですから、ほんとに」 そんな会話があって電話を切りました。 コラムみたいな歌詞ね。ふ~ん。まあ、なんとかなっちゃうでしょう。一度やってみたいと思っていたし、以前コラムにも書いたけれど、今のJ-popの歌詞なんか中学生の作文以下のレベルだもんね。

どんな歌詞を書こうかなあ? 大人の男の、切ない、酔っぱらって自分の制御が効かない幸せと不幸せの狭間の歌にしよう。そんな企画は、いっぱいわいてきます。表現じゃなくて、外枠を考えるのは得意だもんね。 気分としてはやはり「クレイジーケンバンド」だな。「毛皮のマリーズ」じゃ、いいんだけど若すぎて軽い。発注主のミュージシャンのトーンを考えても軽くはいかない方がいい。とかなんとか。

思いついたことはすぐに忘れちゃうから、メモ帳とペンを買って(最近のちょっとしたメモや覚え書きはiPhoneに入れているので)、いつでもくだらないことをメモできるようにして。アイディアを忘れちゃうことへの危機感、全開。やる気満々。 間違ってヒットしちゃったら夢の印税生活だぜ。まあ、そんなに簡単にいかないよな。でも、カラオケとかの印税って馬鹿にならないらしいからな。会社なんか辞めちゃおう。いひひ。 チャンスだ、チャンス。みたいな感じ。ハワイに家買おうとか。まだ、1回も歌詞なんか書いたことないのに、舞い上がってる状態。

で、ある夜更けに、寝付けず、歌詞のことを考えていたら、いきなりいいフレーズがぶわっと降ってきて、「これだっ」と思いました。 ムクッとベッドから起き上がり、買ったメモ帳に緑色のボールペンでせっせと書きました。おおっ、いいじゃん。でもここはこういう言葉の方がいいよなあ。よしそれならこうしよう。と、ああでもないこうでもないを、リビングのソファで明るくなるまでつづけ、1曲完成! 1億円! ニコニコしながらベッドに入り、結構幸せな気分で眠りにつきました。やっぱり俺は天才? 降ってくるもんね。言葉が。

で、朝になって、会社に行かなきゃいけないから眠いけど起きて。あっそうだ、寝る前に書いた歌詞をもう1回読んでみようと、ベランダでたばこを吸いながら見返した。幸せな時間。

で、メモ帳を開いて緑色の文字を読み始めると、急に頭の後ろが寒くなってきた。共通一次試験の自己採点をしてみたら、マークする場所がずれていたときと同じ感じ。が~ん、なんじゃこりゃ。間違っている。ダサいし、野暮いし、恥ずかしい。何が中学生の作文だ、人のことを馬鹿にする前に自分でやってみろ。何が印税だ。根拠のない自信は妄想って言うんだぜ。ばかめ。

メモ帳の歌詞は破って捨ててしまいました。 以来ずっと、船酔いのような毎日です。 それから、本格的な歌詞の研究が始まりました。

たまらん。何がいけないのか? 自分の考えたことを反芻してみる。とにかく「恥ずかしい」のだ。こんなこと考えて生きていると思われたくない。ばれたくない。そういう気持ちが先に立つ。自分に酔わないと書けないぞ。自分に酔うのが好きじゃない。また船酔いみたいな気分になってきた。おえ~、吐きそう。

カラオケに行き、自分の気になる歌を唄ってみる。歌詞をここまで意識して唄うのは初めてで、発見することが多い。こんな気分だったんだ、こんな意味だったんだ、こんなこと言っていたんだ。すごい。なんでこんな言葉が思いつくんだろう? この流れで。そんなことばっかり見えてきます。

作家で歌詞も書いている友人に相談してみる。 「あるとき、妹のブログのタイトルの羅列を見ていたら感動するくらいの良い文章に見えたんですよ。なんだこいつ、こんな美しい文章を書いてるんだ! って。ただの目次だったんですけどねえ。美しい詩に見えたんですよ。だから、そういうことでもいいんじゃないですか? 名詞の羅列とか、体言止めの重なりとか。そういうことでも詩になりますよ~」とな。 確かにそうだ。ありがとうございました。何とかやってみます。

フェイスブックで弱音を吐いてみる。 「かくかくしかじかで、歌詞の書き方がわかりませ~ん。誰か教えてくれませんか~」 それに対する返答は「おまえに器用なことを求めてるとは思えない」とか、「プロの作詞家ではないのですから、自由に、対象を限定したり、ストーリー仕立ても面白いと思いますよ!」とか、「いつもと変わらず、殴って蹴って首絞めた夜に~とかでええんちゃう? 」とか、温かい意見と冷たい意見をごっちゃりいただきましたが、根本的には解決しません。気楽はには、なりましたけど。

仲良くしていただいている、著名なCMの監督からいただいたメールには「誰に向かって唄おうとしているかですよ」と。ハッとしますね。まったく。その通りです。誰に向かってなのか? ここで思いつくのはやはり「自分が生きていることを解析しないで暮らす人」なんでしょうけどね。このコラムのテーマでもあります。

昔、矢沢永吉さんが言った、 「ロックに詳しい層から見ればダサいモノであっても、本当に自分の内面から生み出した音楽をやる。そうでなければ、恥ずかしくて人前に出られない」 この言葉も頭から離れません。

そして、わかったことがあります。 僕の仕事はCMのプロデューサーです。営業職。いただいたお仕事の期日と予算をやりくりするのが仕事。クリエイティブからは少し遠い仕事。でも、僕はクリエイティブな方々と一緒になって考えるのは大好き。だって自分が面白いと思えるものをつくった方が、いいもん。だから煙たがられない程度に企画も書くし、面白いことを言おうと心がけています。

ただ、コマーシャルは、自分のつくりたいものをつくっているわけではない。商品特性、購入者の年齢層、オンエアの期間、予算、放送局の考査。宣伝部長の好み。いろんなことを考慮しなきゃいけないし、あっちを立てればこっちが立たない風なパズルを解いていく作業に近い。ときには、とんちも必要です。いろんな制約の下に成り立っているからこそ、こうしたらどうですか? ああしたらどうですか? と言える。制約にぶーぶー文句を言って暮らしながら、それに助けられて生きている。

そういったフィールドで活動する人間は、面白いか面白くないかを世に問うことを前提に、自由に、あなたの好きなことを時間もお金も無制限でやってくださいと言われたら、むしろ何もつくれないということがわかってきました。 ぶーぶー文句を言う対象がない制作物。それはすなわち自分自身だからです。自分自身を丸裸にして、人に面白い人間かどうかの是非を問う。やべえ。作家やミュージシャンや映画監督といった表現者は、そういうことをしていたんだ。いや、そういうことには気づいていたが、自分でやると、こんなにも自分の体を切り取るような気分なんだ。

でも、新しいジャンルに挑戦させていただいたことに感謝しています。 作詞家じゃないので、本業も手を抜かずに頑張っております。 歌詞だけがまだできていません。悩んでいます。それが問題です。

Profile of 櫻木光 (CMプロデューサー)
~株式会社リフト 第一制作部 チーフプロデューサー~

  • 1968年 佐賀県生まれ、44歳。
  • 1991年 ニッテンアルティ入社(旧 日本天然色映画株式会社)
  • 2000年にプロデューサーに昇格。
  • 2009年 社名がリフトに変更。

プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが(日本にはCMプロデューサーと名乗る人が2000人もいるそうです)、自分のケツを自分で拭こうとしているプロデューサーは何人いるでしょうか?矢面に立つのは当たり前だとつっぱって仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。根性論を書いているかと思ったら、意外に現実論者でもあります。

<主なプロデュース作品>

  • AGF ブレンディボトルコーヒー(原田知世さんと子供)
  • 日清食品 焼きそばU.F.O
  • マルコメ 料亭の味
  • リーブ21 企業CM
  • コーセーサロンスタイル 『髪からはじまる物語」行定勲監督Webムービー
  • クレイジーケンバンドPV
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