グラフィック2019.07.10

「地元ってかっこいい」と思えるクリエイティブが全国に波及

新潟
株式会社テクスファーム 取締役社長
Masakazu Kato
加藤 雅一
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「7日で街から消える幻のフリーペーパー」として話題となり、二階堂ふみや桜井日奈子といった美少女を発掘してきた「美少女図鑑」。その生みの親が新潟の企画デザイン会社・株式会社テクスファームです。タイトルに冠する地域に暮らすクリエイターや素人の女の子で作る独特のスタイルは、TVに取り上げられたことで瞬く間に全国に波及しました。 同社が、全国にブームを巻き起こすほどの媒体を生み出し、20年以上にわたり、地方=ダサいではなく、地元=カッコイイと思える街の空気を作り続けてきた、その足跡と秘訣に迫ります。加藤雅一(かとう まさかず)社長自身の言葉には、地方だからこそ、地元に生きるクリエイターだからこそ活躍できるヒントが詰まっています。

「新潟の街ってかっこいいじゃん」と気づかせてくれたフリーペーパー

最初に加藤社長のキャリアを教えてください。

出身が新潟で、大学時代に「SODA」というフリーペーパーに出会いました。そこに載っているのは芸能人ではなくて、街のカフェやショップの店員さんたち。無料で持っていっていいカッコいい雑誌で、しかも載っている人は地元の人ばかりということにすごい衝撃を受けました。当時は今みたいに「ローカル」は注目されていない時代。新潟も地元に残るのは東京へ行けなかった人や、東京で挫折して帰ってくる人、みたいなムードがありました。だけど「新潟の街ってかっこいいじゃん!」と気づかせてくれたのがSODAであり、発行していたテクスファームだったんです。

最初は読者だったんですね。

当時僕は、現副社長である小林友と一緒に、クラブイベントやコントをやったりしていたんです。大学時代から社会人になってからもですね。その活動の中でイベントTシャツを作ってもらうためにテクスファームを訪れたのが直接の最初の接点でした。そこから編集部に出入りするようになって、SODAにコラムを書いたりするようになったんです。

大学卒業時にテクスファームに入社されたのですか?

ストリートカルチャーを作る人にぼんやりと憧れはありましたが、大学卒業後は大手の家電量販店に入社しました。3年ほど経った時にテクスファームが会社化するというタイミングで声をかけてもらい、「そういえば、クリエイティブな仕事がしたかったんだ」と思い出して、転職しました。
入社前のテクスファームの印象は「街のムードを作っている会社」。だからデザイン会社というよりも、街で面白いことを仕掛ける会社というイメージで、その姿勢に共感して入社したんです。

入社後はすぐにデザイン制作を手掛けられましたか?

実はデザインの専門的な勉強をしたことがありません。テクスファームの現役スタッフのうちデザインの勉強をして入社した社員は一人だけなんです。

まずは営業としてスーツにネクタイを締めて営業をしていました。それがぜんっぜん売れない。一方で制作も手伝うようになって、ジーパンにTシャツでカメラを持ってお店や企業を回るようになったら、自然と「CM作れる?」「求人したいんだ」と相談されて仕事が来るようになったんです。 売る気満々のセールスマンよりも、感覚の共有できる話しやすい人の方が、お客さんにとっては相談しやすいですよね。デザイン会社って感覚をカタチにしてあげることが仕事ですから。

デザインの学校には通ったことはないんですけど、もともと音楽や服や本、サブカルチャーなどにたくさん触れてきたので、カッコ良いか悪いかのモノサシは持っていました。デザインに深く関わるようになって、なぜカッコ良い、悪いと感じるのか?なぜちゃんと伝わるのか?その根拠を独学で勉強しながら紐解いていった感じです。

クリエイターとしての転機を教えてください。

5年目くらいで気づいて、今も仕事で一番大事にしていることですが「目的と手段」の本当の意味に気付いたときですね。そこから仕事の進め方やクリエイティブのスキルまで一段上がった気がします。当初すごく作業に時間がかかっていて先輩によく「今やるべきことは何なの?」「かっこつけすぎてて伝わらない」「誰のために作ってるの?」とすごく言われていたんです。その意味を理解してからは物事が整理されて見えるようになりました。

全国にムーブメントを起こした「美少女図鑑」の誕生

全国的に広がり、二階堂ふみさんら多くの美少女を発掘してきたフリーペーパー「美少女図鑑 について詳しく教えてください。

「新潟美少女図鑑」はもともとはフリーペーパーSODAの1コーナーだったんです。当時、美容師さんが作品を世の中に発表できるのは、タウン誌でのビフォーアフターのスタイリングくらい。東京の第一線でやっていたカメラマンも、新潟にUターンしたら実家の写真館の堅い撮影ばかりで。みんな自分のセンスを表現する場がなくてフラストレーションを抱えていたんです。それを表現する場所として作ったのが「新潟美少女図鑑」。カメラマン、美容師、メイク、デザイナー、モデルも撮影場所も全て新潟で作られる写真集。「俺たち、新潟でもこれだけカッコイイことやって楽しんでる」って表現する写真として無料で配り始めました。それがスタートです。今でこそ知名度がありますが、当時はスポンサーの営業に行っても「美少女図鑑?(笑)それ大丈夫??」と首をかしげられることも多かったです。それから数年して沖縄美少女図鑑を始めたり、うちの代表(創業者:近藤大輔)が全国展開するため別法人を作ったり商標登録したり着々と準備をしていて。それからしばらくしてTVの全国放送で取り上げられて、翌日からすごい電話がかかってきました。1〜2年のうちに東京を除く全国でフランチャイズという形で「美少女図鑑」は広まりました。

全国的に「美少女図鑑」が広まり、類似のコンテンツも増えましたが、早々に終了してしまったものもあります。続いている「新潟美少女図鑑」との違いはどこにあるとお考えですか?

第一には、読者である女の子のために作っていることです。僕達がずっと大事にしているのは、美少女図鑑は決してアイドルの登竜門ではなく、一般の女の子が「美少女図鑑に参加して写真を撮ってもらうのって楽しそう」と思ってもらうことを大切にしています。熱過ぎず冷たすぎない、そういう温度。積極的じゃない子にも関心を持ってもらえる“適温”があると思うんです。 残念ながら続かなかった女の子コンテンツは「男性が喜ぶもの」を作っていったからじゃないでしょうか。肌の露出が多くなったり、男の妄想っぽいコンテンツにシフトしていったりして。一般の女の子は「キモイ〜」って近づかなくなったと聞いたことがあります。僕達は読んでいる彼女たちに楽しんでもらいたいし、新潟のような田舎でも、おしゃれをすることで楽しくなることを味わって欲しかった。それは僕が大学時代にSODAを手に取った時のワクワクと同じ感覚。テクスファームは、業界経験のあるデザイナーから学んだりしてないけど、そういう街の生活者の感覚を根拠にしたクリエイティブをやっているから、支持されてきたんだと思います。

「美少女図鑑以外の媒体について教えてください。

「新潟美少女図鑑」に出ていたモデルの子たちが社会人になって、「今度結婚するから写真を撮ってください」と遊びに来るようになりました。そこで誕生したのが美少女図鑑の編集部が作るブライダルブックという結婚写真集。同時に結婚式の楽しみ方を啓蒙するためにフリーペーパー「Huku:Huku(フクフク)」を作りました。そこからベビーフォト、ファミリーフォトと商品が生まれていきました。次に、お洒落な家を建てたいという声に応えるカタチでで「CRAS」という新潟のイケてる建築会社を紹介するフリーペーパーを創刊しました。この20年で媒体を作っている僕らも読者も成長しているから、一緒にメディアも広がっていきました。

自社媒体以外にも「生活者の感覚を理解して表現するのが得意」という会社の性格を理解していただいて、民間はもとより学校や行政の広報の仕事なども手がけています。広報コンテンツを企画するところから、デザイン制作、プレスリリースまでとワンストップでやっています。変わったところだとタレントプロレスラーのキャラクターグッズの開発や、選挙プロデュースなんかも行うことがあります。

地元企業と協業でアパレルブランドもやっています。ニットの生産が盛んな新潟県五泉市では、世界的ブランドの製品を作っている一方で保守契約で公にすることはできず、受注を待つばかりの営業で将来的に心配という課題を抱えていました。そこで五泉の高橋ニットさんと美少女図鑑がコラボで「toiro」というニットブランドを作って、商品開発からデザイン、話題づくりなどの広報戦略などに関わって知名度を上げていくプロジェクトを立ち上げました。

「誰か」のために、これからは力を使っていきたい

 

テクスファームとしての大切にしていることを教えてください。

「生活者視点」で「街を楽しくすること」です。僕達のクリエイティブで、今までなかったものが街にできて新潟も面白いものあるじゃん!と思ってもらえるものを仕掛けていきたいです。ただ見た目のデザインのかっこよさを追求するだけでは素通りされてしまうこともあるので、その“目的と手段、そして温度”が大切です。
だからこそ制作する上では、受け手の心が本当に動くかということが大事なので「自分ごと」として考えることを、スタッフにもクライアントにも常に投げかけています。

今後のテクスファームの展開をうかがいたいです。

僕が社長に就任して3年になりますが、そのタイミングは丁度、僕が30代最後の年でした。もう本格的にオジさんになるし(笑)これからはクリエイティブの力を生かして、若い人や企業がもっと楽しいことを仕掛けられるお手伝いをしよう、という裏方の方にシフトチェンジしてきていました。年を重ねたことでより客観的にものごとが見えるようになりましたし、世の中の仕組みが少し分かるようになりました。だから、才能はあるけどまだ光があたっていないような若い人や会社にも光を当てるようなお手伝いをしていきたいと考えています。

裏方のお手伝いというお話もしましたが、もちろん僕達自身も新しいことを考えていて、今までもニットブランドを立ち上げたりカフェを始めたり、デザイン会社の枠にとらわれない動きをしてきました。次はどんなことを仕掛けるのか、ぜひ期待して欲しいと思っています。

取材日:2019年5月22日 ライター:丸山 智子

株式会社テクスファーム

  • 代表者名:取締役社長 加藤 雅一
  • 設立年月:2002年5月
  • 資本金:3,000万円
  • 事業内容:気持ちと行動を後押しするデザイン・サービス(広告等の企画、コンテンツ制作と運営業務。企業・店舗における広報コンテンツのコンサルティングと制作業務。 フリーペーパーの企画運営。商品開発、店舗運営および上記に関わる一切の業務全般)
  • 所在地:〒951-8116 新潟県新潟市中央区東中通1-86-43 3F
  • URL:http://texfarm.com/
  • お問い合わせ先:TEL&FAX) 025-223-8088 / MAIL) contact@texfarm.com

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