ハリウッドで経験した映画に関わる喜び。徹底的な取材で、知られざる職業を誠実に描く

東京
株式会社スタジオレヴォ 代表取締役
Ayumu Yamasaki
山﨑 歩

映画の企画・製作・配給などを手がける東京の株式会社スタジオレヴォ。代表取締役の山﨑 歩(やまさき あゆむ)さんは、日本の大学を中退後に渡米。カリフォルニア州立大学で映像製作の基礎を学び、映画の本場であるハリウッドの映像制作プロダクションで働いた経験を糧に、日本で独立を果たしたクリエイターです。いつか「映像を作る側に回ってみたい」という思いを原点に、知られざる「職業」にスポットをあてた作品を相次いで製作。綿密な取材を元にした作品に、込められた思いとは。自身のキャリアや会社設立の経緯、クリエイターへのメッセージとともに聞きました。

「映像を作る側に回ってみたい」。スティーヴン・スピルバーグ監督も学んだ名門校が原点

日本で大学を中退後、カリフォルニア州立大学で映画製作を学んだのが、キャリアのスタートだったそうですね。

日本で大学へ通っていた当時に流行っていたトレンディドラマが好きで、いつか自分も「映像を作る側に回ってみたい」と思いが強くなっていったんです。映像を勉強するのであれば「映像制作の本場で学びたい」と考えて、ハリウッドがあるアメリカへの留学を決意しました。
ニューヨーク州とカリフォルニア州の大学に出願して、最終的に、ハリウッドに近いという理由でカリフォルニア州立大学ロングビーチ校に留学したんです。スティーヴン・スピルバーグ監督の出身校で、西海岸の映画製作における名門校として知られていたのも留学先に選んだ理由です。

大学では、何を学んだのでしょうか?

映画製作についての幅広い知見を得ました。アメリカの大学の利点ですが、日本の大学とは異なり入学時点で「監督コース」や「脚本コース」と決まっているわけではなく、あらゆるものを経験して「どれがやりたいか」を絞っていくのが現地の文化なんです。ですから、大学では脚本や監督、カメラマン、映像編集、メディアセールスと、あらゆる職種を学生ながらに経験しましたし、卒業制作では、映画に効果音などを付けるサウンドデザインも経験しました。

パッケージ作品の「特典映像」制作で味わった苦労とやりがい。学んだ「人との向き合い方」

現地では大学のかたわら、ハリウッドの映像制作プロダクションでも働いていらっしゃったと伺いました。

学生ビザに付随するものとして、大学で卒業に必要な単位を取ったあとに給与をもらいながら働くことができる「オプショナルプラクティカルトレーニング」という制度があるんです。その制度を利用して、働いていました。

映像制作プロダクションでは、「特典映像」の制作に関わっていらっしゃったと。

いわゆる、DVDのようなパッケージ作品の特典映像ですね。メイキング映像の制作に関わり、制作者インタビューなどのアシスタントを務めていました。当時、関わったなかで思い出深かったのは、ホラー映画『エルム街の悪夢(HD復刻版)』の特典映像です。ウェス・クレイヴン監督やキャストのジョニー・デップなどのインタビューに立ち会い、撮影当時の様子を記録した資料写真を補正する作業も担当しました。貴重な写真をスキャンして、データ化したのちに画像編集ソフト「Photoshop」で画像のシワや汚れを補正していたのですが、なにぶん古い資料なので、日焼けしたり折れ曲がっていたりするものもあったので大変な作業でしたね。ただ、自分の関わったものが商品としてお店に並ぶやりがいを味わいましたし、ファンへ届くまでの過程を経験できたのも大きな学びでした。

当時の経験は、会社を設立された現在も生きていますか?

人との向き合い方として、生きていると思います。私の働いていた現地の映像制作プロダクションは小規模で、スタッフ同士の関係性が密だったんです。そのおかげで、代表者とも気さくにコミュニケーションできる環境があり、私を含めてアジア人が数人しかいなかったのですが、人種や言葉のハンデを感じることなく伸び伸びと仕事ができました。日本で会社を設立して以降、関わるスタッフが萎縮せず、窮屈な思いを感じないような環境で、仕事をしてもらいたいと考えるきっかけになりました。

作品を完成させるまでの道のりは「終わりのない冒険」のよう。友人が独立を後押し

アメリカでの生活を経て、帰国後は国内の映画製作会社で勤務されたそうですね。

劇場公開用の映画製作を手がける会社でしたが、大学や映像制作プロダクションで学んだ技術を生かすのではなく、プロデューサーを補佐する役割で入社しました。帰国した当時は30歳で、国内で「映画に関わりたい」と思って就職活動をしたものの、技術職での採用は叶わなかったんです。日本で大学を中退して、留学してからの就職となると、新卒でキャリアを積んだ人に比べたら経験値が少ないのは当然で、実際、面接で「年齢のわりに経験値が圧倒的に少ないから、技術職では無理」と言われたこともありました。就職した会社は日韓の合作映画を多く手がけていて、英語ができる人材を求めていたのが幸いでした。

その後、現在のスタジオレヴォを設立された経緯は?

当時、偶然にも独立のきっかけになる話が友人から舞い込んできたんです。アメリカの大学でともに学んでいた友人から「日米の合作映画を作りたいので、日本側のプロデューサーをやってもらえないか?」と打診されました。仕事や働き方を見直していたタイミングでもありましたし、社会的信頼を考えると個人で請け負うのは難しいと判断して、会社を設立しました。

設立当時に掲げた御社の理念「The Quest for Creativity(クリエイティビティの探求)」には、どのような思いを込めたのでしょうか?

映画に限らず、物語を作る過程ではアイデアが必要になります。ただ、アイデアだけで作品が完成するわけではありません。物語をどう展開するか、脚本をどう構成するかなど、道筋は無数にあり、いろいろな方々の力も借りながら完成までの道を歩くのは「終わりのない冒険」のようなものだと思っています。たとえ、道中で壁が立ちはだかったとしても「粘り強く立ち向かっていこう」という信念を忘れないよう、「The Quest for Creativity」を掲げました。

記念すべき1作目の映画では4年間の準備期間で徹底的な取材を。今後は配給事業にも力

現在、事業の核は何でしょうか?

メインは、映画の企画、製作です。以前は、制作プロダクションの撮影した映像を預かり、作品完成までの仕上げ工程を担うポストプロダクションのコーディネート事業も手がけていたのですが、年々、縮小傾向にあります。今後いっそう注力していきたいのは配給事業で、自社製作の映画はもちろん、他社からの問い合わせも幸いなことに増えてきました。

映画の企画、製作をメインに据える構想は、設立当初からあったのでしょうか?

元々、日米での合作映画を作る目的で友人と共同で設立した会社ですから、当初から目標にはありました。映画の制作環境が変わり、当初の中心であったポストプロダクションのコーディネート事業が縮小したのにともない、自然と移行していった流れです。自社で企画・製作・配給を手がけた1作目の映画『スクール・オブ・ナーシング』の構想は会社設立当時からあって、設立から4年目の2014年にようやく撮影を開始できました。

映画『スクール・オブ・ナーシング』は看護師養成機関を舞台に、看護師を目指す主人公が奮闘する姿を描いた作品。撮影までに、4年の準備期間があった理由は?

現実にある職業を扱う作品では、本職の方から「ありえない」と批判されるおそれもあるので、作品づくりのため徹底的に取材したのが理由でした。看護業界を描くにあたって、看護師の方をガッカリさせてしまうような作品にはしたくなかったんです。そのため準備期間には、国立や県立、私立の看護系大学や、看護専門学校で学生や教職員からお話を伺い、現役の医師や看護師の方たちの意見を参考に、脚本を何度も書き直しました。16年の公開以降、今なお大学や専門学校の関係者から「看護実習の描写をリアルに描いた作品を学生に見せたい」と問い合わせをいただきますし、努力が報われたと喜びを感じています。

映画を通して知られざる「職業」と「地方の魅力」を発信したい。未知に挑戦する大切さ

今後、どのような作品を手がけていきたいとお考えでしょうか?

先述の『スクール・オブ・ナーシング』では看護業界、23年公開の映画『マリッジカウンセラー』では結婚相談所での仲人たちの群像劇を描いてきました。今後も世間で存在は知られていても、その内実があまり知られてない職業は掘り下げていきたいと考えています。
また、幼少期に父が転勤族だったことから地方の魅力を発信したいとも考えているんです。日本で映画業界へ就職した当時に「東京一極集中」の風潮に疑問を抱き、いつか「地方のよさに目を向けたい」と考えたこともあったので、映画を通して届けていきたい気持ちはあります。『スクール・オブ・ナーシング』は熊本県で、『マリッジカウンセラー』は愛知県で全編を撮影しています。

ともに作品を作り上げるクリエイターの方々には、何を求めますか?

常にプロ意識を持っていてほしいです。アニメ『鬼滅の刃』のセリフにもありましたが、「責任をまっとうする」というのはやはり大切だと思うんです。映画製作では、色々な立場の人たちが関わります。撮影現場では、各部署でチーフ、助手、応援など、それぞれの役割がありますが、立場によらず、誰に対してもリスペクトを持ちながら仕事へ取り組んでもらいたいです。

映画製作など、映像業界での活躍を夢見るクリエイターへのメッセージもいただければと思います。

若いうちは、とにかく色々なことに挑戦してほしいです。私は、アメリカの大学へ渡ったことで監督には向かずとも「映像の仕事が好きだ」と気が付いたのですが、やってみないと分からないことはたくさんあると思うんです。今は、あらゆる情報を得やすいですし、物怖じせずに未知の世界へ飛び込んでから取捨選択してもかまわない時代ですから。飛び込んだ先でつかんだ縁や人脈は将来必ず生きてきますし、何事も吸収する姿勢で日々を生きてもらえたらと思います。

取材日:2023年6月12日 ライター:カネコ シュウヘイ

株式会社スタジオレヴォ

  • 代表者名:山﨑 歩
  • 設立年月:2010年2月
  • 資本金:1,000万円
  • 事業内容:劇場用映画の企画・制作・出資・配給・宣伝及び興行。テレビ番組、CM、PV等各種映像コンテンツの企画・制作・販売。出版物、ビデオソフト、キャラクター商品等の企画・制作・販売。著作権、商標権、意匠権等版権の管理及び販売。各種イベント等の企画・制作・運営・宣伝
  • 所在地:〒166-0014 東京都杉並区松ノ木3-29-26
  • URL:https://studiorevo.jp/
  • お問い合わせ先:上記サイト「Contact」ページより

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