コロナ禍の丑年に予言妖怪「件」を考察する
コロナの流行でメジャーになった
妖怪・アマビエ
コロナ第3波
一時は一日に2千人を超えた都内の新規感染者も昨今(令和3年2月下旬)では数百人に落ち着いたものの、終息宣言にはいまだ遅い今日この頃。
東京オリンピックの安全な開催を願いたい。
桃の節句も近づき次は桜と気がせく昨今だが、コロナ第一波で花見の喧騒が一掃されたのは昨年の春。当時、ネット世界で流布し始めたのは「疫病退散」に効能があるとされた妖怪「アマビエ」であった。
伝承によれば江戸時代後期の弘化3年(1846年)、肥後国の海(有明海?)の海面が夜ごと光るのを訝しんだ土地の役人が改めたところ異形の者が現れ
私ハ海中ニ住アマビヱト申
者也当年より六ヶ年之間諸国豊作也併
病流行早々私シ写シ人々二見せ候得
「私は海中に住むアマビエと申す者である。今年より6年間は諸国は豊作となるが、同時に病も流行するだろう。私の絵姿を写して人々に見せなさい」
と語る。その「アマビヱ」の姿が恐らくは当地の役人によってスケッチされて江戸に送られ、瓦版のネタとして出版されたことで現代に残された。それが昭和後期に妖怪漫画家・水木しげるの筆でキャラクター化され、さらに昨今のコロナウイルス世界的大流行に伴い「疫病封じの守り神」として流布されることになる。
アマビエの大流行。
それはコロナに対する恐れの仕業なのは言を待たないが、なんでもキャラクター化して面白がる日本人の特性。そしてアマビエの外見そのものも原因ではなかろうか。
地元の役人がスケッチしたというアマビエの姿は、一見したところロングヘアーの人魚を思わせる。そして画風があまりにもキッチュで稚拙である。
多少なりとも絵心のある人なら自身の感性のもとに「かわいいアマビエ」を描きたくなるものだろう。こうして有名無名のアーティストに命を吹き込まれた新たなアマビエは現代のネット、SNSの威力で流布され、コロナ同様の大流行と相成ったわけだ。
アマビエに圧倒された厄除け妖怪
それが「件」
さて…
コロナ流行、アマビエ大ブレイクの傍らで忘れ去られた「疫病封じの妖怪」をご存じだろうか。それこそが「くだん」である。漢字では「件」と表記する。くだんの歴史上における初見は文政10年(1827年)。越中国(富山県)の立山へ薬草を採りに分け入った者が「くたべ」と名乗る「山精」と出会い
今年よりして三五年の間、名もなきえしれぬ病流行して、草根木皮も其効なく、扁鵲、倉公も術を失ふべし、されど我が肖像を図写して一度これを見ん輩は必ず其災難を免れるべし
と告げられる。
以降「くたべ」の絵姿を写した印刷物が「疫病除け」として全国的に流行したという。なお「くたべ」の出現地が「越中立山」であることは、「越中富山の薬売り」の営業活動に大いに貢献したことだろう。
参考文献にある「くたべ」の容姿は、「獣身人面」「肩まで伸びた髪の毛」「性別は不明」。ソフトな表現を用いれば、マンガ「少年アシベ」に登場する中華料理店「王々軒」のシェフのようなルックスだ。
それから約10年のちの天保7年(1836年)に発行された瓦版は
大豊作を志らす件という獣なり
との題の元、丹波国(現在の京都府北部)の倉橋山で人面牛身の怪物『件』が現れたとの記事の元「人面牛身」、首から上は角を生やしたザン切り頭の男性の面をした牛の絵図を掲載する。
そして曰く
此絵図を張置バ、家内はんしやうして厄病をうけず、一切の禍をまぬがれ大豊作となり誠にめで度獣なり
(この絵図を貼っておけば、家内繁盛、疫病にかからず一切の災難を免れ大豊作となり誠にめでたい獣である)
と、解説する。
件のイメージは
「厄除け」から「予言」に変わる
ところで「件」くだん、を多少なりとも知る人は、件に以下のようなイメージを持っているのではなかろうか
1 牛から生まれる、人面牛身の妖怪
2 人語を話し、予言を伝える。その予言は必ず当たる
3 人々に予言を伝えたのち、間もなく死ぬ
平成初期に「少年ジャンプ」で連載されていた怪奇マンガ「地獄先生ぬ~べ~」でも、上記の「予言して死ぬ」をモチーフにした逸話が登場する。牛ならぬ、校庭のウサギ小屋のウサギの腹から生まれた「くだん」のおぞましさ。その逸話で「件」のイメージをすり込まれた人も多かろう。
だが前記したように「くたべ」、そして天保年間の丹波国に現れた「件」は獣身人面ながら「動物の腹から生まれる」「人語で予言をする」「予言して間もなく死ぬ」の伝承は無い。あくまでも「絵姿を張り置けば家内安全、無病息災、商売繁盛」などなど、招福のもとに人間界に降臨する。本来、件はおめでたい妖怪だったのだ。
だが時代が幕末から明治に移ること、件のイメージは「招福」から「予言して死ぬ」へと変貌していく。
当時の日本各地で「牛の腹から生まれた『人面の子牛』が『日本とロシアが戦争する』としゃべり、間もなく死んだ」との風説が伝わり始める。岡山県出身の小説家・内田百閒(うちだひゃっけん・1889年 – 1971年)は1922年に発表した短編小説「件」で、主人公である件にこう語らせている。
件は生まれて三日にして死し、その間に人間の言葉で、未来の凶福を予言するものだ
なお件の逸話は「西日本発」が多い。伝統的に日本では、車や犂を引かせる家畜は「地域差」があった。東日本では主に馬が用いられ、西日本では牛が用いられた。広島県山間部の田植え踊神事「囃田」では、まず飾り立てられた牛が田を掻き、続いて早乙女らが田植え歌に合わせ苗を植えていく。かたや東日本の岩手県では、飾り立てられた馬が農道を行進する。
そんな「家畜の地域性」も一因だろう。
だが太平洋戦争末期に、件は東日本の帝都東京にも出現する。
戦勝てんこ盛りの大本営発表の下でも日本の色濃い敗色はぬぐい切れず、庶民の間には流言飛語が頻発していた。そんな折の昭和19年、警保局発行の「思想旬報」に曰く
戦争の終局近しとする流言も本年(昭和19年)に入り著しく増加の傾向を示し
と断った上で
○○(伏せ字)で四足の牛のような人が生まれ此の戦争は本年中に終わるが戦争が終われば悪病が流行するから梅干しとニラを食べれば病気に罹らないと云って死んだ
と紹介している。
そして日本は敗戦。
復興から高度成長、戦後のサブカルチャーが爛熟する中で件はマンガなどに取り上げられ「予言して死ぬ妖怪」として定着する。
なお終戦前後期の関西において「体は人間、頭は牛」…件の容姿とは正反対の「牛女」が現れたとの風説が、小松左京の短編小説「くだんのはは」、あるいは木原浩勝・中山市朗の『新耳袋』に取り上げられているが、ここには深入りしない。
コロナ禍でも流行しない件
容姿が災いした?
さて、本記事を執筆するにあたり参考文献とした
『江戸東京の噂話‐「こんな晩」から「口裂け女」まで』野村純一 2005年
においては「件」にかかわるもろもろの事例、あるいは鎌倉時代の正史『吾妻鏡』に記された怪奇事件…建長3年(1251年)、武蔵国浅草寺、現在の東京都台東区浅草寺に「牛の如き者」が乱入し、その怪異に立ち会った寺僧24人がたちまち病みつき、7人までもが即死した、との怪異、あるいは顔が牛、体が人間の女性の「牛女」に追われたバイクが転倒し、目撃者が全員死亡した事例を紹介し、
「目撃者がすぐ死んだ。非生産的な結末だからこそ、牛女の怪異譚はそれ以上成長しなかった」と説く。
その上で「件」同様の「予言妖怪」としてアマビエ、アマビコを「名のみ」紹介し「当時の人気のほどはうかがい知れるものの、ひとたび衰退するや、今日に至るまで姿を見せる機会に恵まれることなくすっかり忘れ去られてしまっている」として締めくくる。
参考文献が発行された2005年、平成17年より約15年。
その間に日本は未曽有の震災に襲われ、幾多の共同体が失われた。
復興の象徴として招致されたオリンピックへの期待が高まる中、数百年ぶりの生前譲位、そして史上初の「和文元号」による改元。
だが令和の御代は疫病にさいなまれ、世界運動会は延期となった。
そんな中で「疫病除けの聖獣」として、ネットの威力をもって伝染するアマビエ
その役目をもともと担っていた「件」は、「人面牛身」というあまりにも「野暮ったい」容姿が災いしたか、完全に忘れ去られた格好である。
コロナ3年目の丑年。
人面牛身の「件」はアマビエに対抗して、いかなる将来を伝えてくれるのだろうか。
※参考文献
『江戸東京の噂話‐「こんな晩」から「口裂け女」まで』野村純一 2005年