幕末最強の豆腐屋

東京
カメラマン、ライター、社会人兼旅人
社会人兼旅人の旅空
鈴木勝彦

黒船がやってきた幕末の動乱期。江戸に山口一郎という男がいた。
この男。武士ではなく豆腐屋である。

この男はかねてよりお国のお役に立ちたいと考えており、その機会を伺っていたようである。
そんなある日。山口のお得意様である幕臣の蒔田広孝が京都見廻組の支配役になることが決まった。
それを聞いた山口は蒔田に自分も京都へ連れて行ってくれるように直談判した。
当時の京都は開国か攘夷(鎖国継続)かで幕府・朝廷・会津藩・長州藩など各勢力が争っており、殺伐として非常に治安が悪い。

それを幕府が組織した京都見廻組。浪人衆だが会津藩が管理することになった新撰組が治安維持に努めていた。

そんなところに豆腐屋を連れて行ってもなぁ、と蒔田も思っていたが山口の情熱に押され、共に京都に上洛することになった。

ついにお役に立てる時が来た!と山口は意気揚々と京都に向かったが、そこで山口が見たものは禁門の変で荒廃した京都の姿であった。
(禁門の変とは:京都から追放された長州藩が、京都守護職の松平容保らの排除を目指して京都市中において市街戦を繰り広げた事件。結果長州藩敗れる。)

この現実に山口はキレた。この日のために鍛練し続けていた剣をあちこちで振るい、長州の志士を鬼のように斬りまくった。この豆腐屋の奮迅に見廻組幹部も驚いたという。

しかし見廻組は幕府のエリート集団。いくら豆腐屋が涙ぐましい活躍をしても見廻組には入れることはできなかった。そこで見廻組幹部は山口にこう伝えた。

「新撰組に入隊しろ」

今も残る新撰組名簿には山口一郎の文字はない。
きっとどこかで自慢の豆腐を作りながら、その後の動乱を見ていたに違いないだろう。

プロフィール
カメラマン、ライター、社会人兼旅人
鈴木勝彦
千葉県市原市出身【Portfolio : https://ienekoyamaneko.wixsite.com/k-suzu】

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