不条理芝居「亜米利加伊勢海老之行進(あめりかいせえびのこうしん)」

横浜市
フリーライター
youichi tsunoda
角田陽一

学生時代から20代のころにかけては芝居を見まくっていた。
それも首都圏各大学の演劇研究家が演じる学生芝居が主だった。
1000円程度で、自身と近しい年齢の人々の思いがけない才能&内面を伺うことができる。
平成のヒトケタ時代でネットの黎明期、
マスコミ関係者でも著名人でもないその辺の人間が
自由に意見や才能を広められるSNSなど想像もできない時代。

脚本家が描いたセリフや演出家が構築したパフォーマンスというフィルターは通しながらも、
知人、あるいは見ず知らずの人間の意外な才能に内面、
あるいは世間の情勢をハッと知りうるまたとない機会であった。

 そんな演劇巡礼の中で出会った芝居たち。
若者的な若さ溢れる集団演舞、黄金色の照明の中で胸中を吐露する一人芝居、
あるいは支離滅裂の中にも系統だったストーリーを見出す不条理芝居と数々ある。

 自身が推す最高の作品こそ、
亜米利加伊勢海老之行進
(平成10年 國學院大學演劇研究会 春公演)
だろう。

2回観に行って、2回とも泣いた。

 

幕が開く。
昭和後期のうらぶれた街路のような舞台美術
そこは大規模改築が始まる前の、当時の渋谷駅 。
雑誌売りの老婆が、青年に話しかけている

 「わしは嫌いだが あんたはどうだいのぉ」

「何が?」

ロブスター

「別に 食ったことないし」

「わっしも食ったことなんかあらぁせるか」

 老婆と青年の会話から舞台はコギャル(絶滅種)と路上弾き語りのギターリスト
バイオリン弾きの応酬へと移り、突如現れたモバイル営業マンの口車に乗せられニセの契約書に判を着いたところで、
まぎれこんだトラウマ青年・春渡朋郎(はるわたりともろう)が長台詞を語り始める。
早生まれでもないのに成長が遅くて運動オンチ、ブキッチョを嘆く彼の記憶は、
幼稚園時代時代の暗い体験へと移る。

 折り紙で紫陽花の花を折ろうとしても、角と角を合わせればすぐにずれてしまう。
糊で紫陽花はガビガビです。きれいな紫色もガビガビです。
焦れば焦るほど珍しく晴れた梅雨時の太陽は遠く…
周りの子たちは一人また一人と減っていく。

67個、68個、69個。あと31個…
ついにカンシャクを起こした僕はさんさんと輝く太陽の元へ泣きながらかけだして行きました。
鉄さび色の門の向こうには群青色のアスファルトの広がる駐車場がある。軽い傾斜のコンクリートを駆け上がると…

 小さな足に大きすぎる靴を履いた彼は転んだ。膝に小石が食い込んだ。
脚を傷め泣きわめいた記憶を透明な口調で語る。

僕はぶかぶかな靴を憎く思いました。小さな手を憎く思いました。小さな背も憎く思いました。
僕ってかわいそうでしょ?

 

一同がホロリと涙にくれたところで、先刻の老婆が登場。
コギャルたちに「数字合わせゲーム」を配り、ペットに餌をやると称して路上にパン屑を巻くという、謎の行動に出る。
路上のアスファルトに。サラリーマンの嘔吐を浴びる路面に
興味を覚え、尋ねる一同に帰ってきた言葉は

 亜米利加伊勢海老

 ロブスターじゃなくて、アメリカで採れる伊勢海老
普段は珊瑚礁の下に住んどるけどが、10月になると行列を組んで大西洋の方へ歩いていくだげな
三匹が五匹、五匹が七匹 七匹が九匹
数万匹になると全長の長さは10km2050
行列から離れると他の生き物に食われる。最初に足を食われる。動けなくなったところで目を食われる。

 

コギャル同様、数字合わせゲームを欲しがる春渡朋郎は老婆に課せられた
「『やさしいおばあさま』と一万八回言う」苦行の末に、
ねんがんのゲームを手に入れる。
だが、老婆の悪意からか、ゲームのコマはすべて紫陽花だった

 ここで朋郎青年のトラウマが爆発、
同時にコギャル一同は「亜米利加伊勢海老」となって行進を始める

老婆が厳かな声で叫ぶ 

「冬の到来を告げる嵐の到来と共に行進は始まった。
3歳から5歳までの伊勢海老が徒只海溝というデカい隙間を目指して進んでいく。
3匹が五匹、5匹が七匹、7匹が九匹!数万匹もの伊勢海老が昼夜を問わず歩き続ける。
行列から離れた者は他の生物に喰われていく。
はじめは足、動けなくなったところで目、恐怖感までも喰われた海老達は徒の抜け殻と消える。
出発は10月、12月には海溝に入る。
巨大な甲殻類の群れは群青色の深海に恋い焦がれた。
それは冬を告げる嵐の到来と共に始まった!」

 春渡朋郎は伊勢海老の行進に合わせて泳ぐ。
最初は勇んでバタフライ、すぐに疲れて平泳ぎ、
背泳ぎでしばし漂ったのち、クルリと身を翻してクロールで泳ぎ出した。

 

数字合わせゲームの乱数のスキマは深い海溝
海溝へ向かう朋郎たち。
詐欺師のモバイル売りがソロバン占いで隙間を塞ぐ。
群青色の海溝は灰色の藻屑と消えた。
一同の「亜米利加伊勢海老之行進」は停止した。

 だが春渡青年のスキマは埋まらない。
黄金色の照明に秀でた鼻柱を照らさせつつ切々と訴える。

「紫陽花の花ももう綺麗に折れるようになりました。脚も大きくなりました。
背も人並みになりました。膝こぞうの石も取り出しました。
跡がちょこっと残りました。それでも偶にパンの耳を齧りながらいろいろなことを考えます。
嘔吐色のパンの耳は僕の保護色です。
群青色のアスファルトは灰色にくすんでしまっても、僕の駐車場には深い海溝が横たわってるのです

 

クライマックスに至り、出演者全員が客席を向きセリフを斉唱する。
映画「アメリ」のテーマにも似た郷愁あふれるBGMの元、
規則正しく躍動する口元の筋肉が暖色の照明に照らされる

 「亜米利加の伊勢海老たちが海溝へ向かう!」
「隊列を組んで海溝へ向かう!」
「伊勢海老たちは行進をする!」

「行進の先には!」

 鉄さび色の格子だ!

 頭上から格子が降ってきて、春渡青年を監禁する

 

 

舞台は冒頭の渋谷駅雑踏へと戻る。
青年が雑誌売りの老婆に語り掛ける。

「僕は嫌いだけど、お婆さんどう?」

「何が?」

伊勢海老

「別に。食べたこと無いでのう」

「僕、この前友達が行方不明になったんです」

「大変だのう」

「この歳になって誘拐もないし、最近落ち込んでいたから、まぁ蒸発だろうって」

「さみしいのう」

 

「彼、コのつく嗜好品が大抵だめで珈琲、紅茶、チョコ、ココアにタバコ、コーラも」

「飲むもんが無いのう」

「だから僕、緑茶を用意して待ってるんです。他に何も飲めないから」

 

「珈琲、紅茶、チョコ、ココアにタバコ、コーラ。コのつくシコウ品と言えば、彼、海溝もだめなんです

 

青年、帰路に就く。
老婆はなおも雑誌を売る。

 舞台が静かに暗転へと融けていく…

 

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誰しもが抱くトラウマ
ふとした言葉の端々でフラッシュバック
向うは暗い海溝の先。

 思考する無機質の指向

 2回観て、2回とも泣いた平成10年初夏。

 

 

プロフィール
フリーライター
角田陽一
北海道生まれ。2004年よりフリーライター。アウトドア、グルメ、北海道の歴史文化を中心に執筆中。著書に『図解アイヌ』(新紀元社 2018年)。執筆協力に『1時間でわかるアイヌの文化と歴史』(宝島社 2019年)、『アイヌの真実』(ベストセラーズ 2020年)など。

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