アーティスティックな感性と 創造力という力を 誰しもが持っている

Vol.123
現代美術家 宮島達男(Tatsuo Miyajima)氏
六本木を代表するパブリックアート「Counter Void(カウンター・ヴォイド)」の作者である宮島達男さんは、世界的に知られる現代美術家。東日本大震災直後に、自らの手で消したままになっているこの作品が、アートプロジェクト「Relight Project(リライトプロジェクト)」により、2016年3月、いよいよ再点灯されることが決まりました。

「リライトプロジェクト」を取材する中で「カウンター・ヴォイド」の作者である宮島さん本人に「会いたい!」と、ついに、宮島さんのスタジオへ。「リライトプロジェクト」、「カウンター・ヴォイド」、そして宮島さん自身についてじっくりお話を伺ってきました。

 

3.11をみんなで考えるアートプロジェクト 「リライトプロジェクト」

宮島達男「Counter Void」2003年 / テレビ朝日所蔵作品

宮島達男「Counter Void」2003年 / テレビ朝日所蔵作品

まずは、なぜ「カウンター・ボイド」を消したのか。また、なぜ、再び点けようと思われたのでしょうか。

3.11が契機となって亡くなった多くの方たちを追悼したいという思いがありました。それから、あの当時、エネルギーの問題もありましたので、そういったことも考えて、鎮魂という形で消させていただきました。

震災後、そろそろ3年が経とうという頃、東北のほうでは、まだ避難生活をされている方々がいるにもかかわらず、関東ではすでに震災のことを忘れかけていて、世の中の意識がなくなってきていました。震災直後は、日本中が被災地にある種の思いを馳せていたのに、誰もそれを振り返らなくなってしまった。だから、「カウンター・ボイド」を再点灯させることで、「なぜ消えたのか。」そして、「なぜ再び点けようとしているのか。」ということをみなさんに考えていただきたいと思いました。

宮島さんが、そんな思いではじめられた「リライトプロジェクト」ですが、今では、公募で選ばれた一般市民の方による「コミッティ」というチームを中心に、プロジェクトが進められていると伺いました。そういう中で、宮島さん自身は、どんな立場で関わっていらっしゃるのですか?

このプロジェクトは、僕がやりたいというだけではなく、周りの人たちの思いが塊となって、進んでいる感じなのです。機運によってみんながネットワークを組んで、思いをシェアしながら何かをしようという動きになってきています。みんなの「こうしたいね。」という声が集まって塊となり、それを実現するというのがとても面白いし、それこそがまさに「3.11をみんなで考える」というプロジェクトにふさわしい動き方だという風に思っています。

ですから、僕の立場というのは、参加者のひとり。 作者ではありますが、「カウンター・ボイド」を再点灯させることで、「もう一度、みんなに東北へ思いを馳せてもらいたい。」という思いを共有している参加者の一人です。応援団みたいな立場でしょうかね。そんな風に考えています。

クリエイティブ好奇心「第123回 アートと社会の関係を考えるアートプロジェクト Relight Project」

「カウンター・ボイド」の産みの親として 娘を見守る父親の気持ちで見つめています

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「カウンター・ボイド」を最初に作った時、六本木の顔として存在していた時、消した直後、そして今。作品に対する思いは、変化しているのでしょうか?

僕自身は、産みの親なので、思いとしてはあんまり変わってないんですよ。 (母として)娘を産んで、その娘を見守る父親の気持ちですから、ずっと自分の娘っていう思いで見つめています(笑)。 もう彼女も、出来てから10年以上経つので、今はもうかなり満身創痍(まんしんそうい)なんですよ。点けたとしても、かなり傷だらけで本人にしたら「こんな姿を見せたくない!」と言うかもしれない。それでも、満身創痍の姿を見せてでも、伝えなくてはいけないことはあると父親の意思を理解してくれていると思います。かなり擬人化しています(笑)。 作品は、大体、娘なんです。

息子さんはいないのですか?

女の子が多いですね。 中には、男の子もいるんですけど、ヤンチャ坊主で、ちゃんと収まるところに収まってくれないんです。

なるほど、作品を収めるのは、娘をお嫁に出していく感覚なのですね。

そうですね。 美術館とかコレクターのもとに、送り出す時には、お嫁に出すような感覚ですね。

コントロールできないものと認めてしまえば 世界はもっと広がるし、もっと美しくなる

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作家には、多かれ少なかれ自分の作品をコントロールしたいという気持ちがあると思いますが、宮島さんの作品を見ると、そういう気持ちがだんだんと緩まっているのかなと感じました。

僕自身、アーティストとして作品を作り始めた頃っていうのは、ニュートン力学的考え(人間がすべて支配できるという絶対的な存在であるという考え方)で、自分の思いのままに作品が作れると考えていました。ところが、人と関わりを持つプロジェクトを数多く手掛けていくと、自分の意に沿わない動きまで出てきて、でも、その意にそぐわない動きを認めていかないことには、その先にプロジェクトが進んでいかないんです。であるならば、自分がコントロールしようという思い自体が間違っていて、コントロールできないものなのだと認めてしまえば、世界はもっと広がるし、もっと美しくなるという風に考えるようになりました。

具体的には、何がきっかけだったのですか?

「柿の木プロジェクト」※1という、僕自身がライフワークとしてやっているプロジェクトがきっかけです。このプロジェクトを通して、多くの一般市民の方や子どもたちと関わり、自分がコントロールしようとしている世界なんて、ほんのちっぽけな世界でしかなく、もっと大きな世界が広がっていることを感じて、自分のアーティストとしての姿勢を少しずつ変更してきました。扱う素材は同じですが「考え方」をかなり変更してきています。 ※1長崎で被爆した柿の木の二世を植樹し、育てることを通して子ども達と一緒に「平和」、「命の大切さ」、「人間の生き方」について考える機会となることを目指すアート・プロジェクト。

そこから「リライトプロジェクト」に、つながる考え方も出てきたということでしょうか?

そうです。アーティストだけが、コントロールの先導者となるのではなく、むしろ参加する人たちの意思に従って、どこに行くかわからないプロジェクトは、コントロール不可能な状態です。それがまたおもしろいところでもあると思っていますね。

それこそが「自然」の状態なのですね。

そう。「自然」というものは、コントロールできません。最初、議論している時に、点けようということで始めているのに、「点けないほうがいいんじゃないか」という意見が多くなったこともあるんです。 そういうことであれば、それでもいいなという風に思っていましたが、今は、3.11に点灯しようという方向に進んでいて、来年(2016年3月11日)、点灯することがほぼ固まりましたので、ぜひ応援したいと思っています。

挫折した時に文化に励まされ、 ミッション、生きざまとしてアーティストの道を決心

さて、ここからは、宮島さんご自身に関する質問をさせていただきます。 まずは、アーティストになったきっかけを教えていただけますか?

もともとは、とても単純というか、よこしまな動機なんですけど。(笑) 高校生の頃、アーティストとして生きるというのは、カッコいいと思って憧れました。

具体的には、どなたに憧れたのですか?

佐伯 祐三さん※2ですね。フォーヴィスムの荒々しい絵を描いて、格好良くよう逝していくという生き方に憧れていました。(笑)

でも、大学を1回、2回落ちると憧れは消えて、もっと強い意思が出てきました。挫折した時に自分を励ましてくれたのが文化でした。映画だとか、セザンヌだとか、音楽だとか。文化の力に鼓舞されて、もう1度生きてみたいと思えたので、自分もそういう存在になれたらいいなと思いました。憧れではなく、自分自身のミッションというのかな、生きざまとして、アーティストの道を歩いていくことを決心しました。 ※2 大正~昭和初期の洋画家。短い活動期間の大部分をパリで過ごし、フランスで客死した。

アーティストの道って、簡単じゃないですよね。相当厳しい世界だと思いますが。

僕の出た学校(東京藝術大学)は、その当時、55人油絵科がいて、44倍の倍率です。 そんな超エリートの55人の中から、今、作家として作品で食べているのはたった2人。 ただ、僕自身は、「アーティストとして食べていけること」と「アーティストである」ということはイコールの関係ではないと思っているんです。つまり、別の仕事をしてお金を稼いで、自分自身をパトロネージュ(金銭的に支援)し、作品を作っていく。どんなに認められなくても評価されなくても作品を作っているという事実があれば、それはアーティストと呼んでいいんじゃないかと思っています。

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アーティスティックな感性は誰しもが持っている 「すべての人は、アーティストである」ヨーゼフ・ボイス

それでは、普通の人とアーティストの違いはなんですか?

僕自身は、普通の人とアーティストの区別は全くないと思っています。 アーティスティックな感性は誰しもが持っているし、創造力という力を誰しもが持っているはずなのです。

では、誰しもがアーティストやクリエイターになれるということでしょうか?

表現をするには、ある程度、練習が必要であったり、きっかけが必要であったりするんですが、きっかけがあれば、思わずそれが花開くっていうことは、いくらでもあると思います。

また、絵を描くこと、音楽を作ること、小説を書くこと以外にも、たくさん創造性を発揮できる場面はあります。例えば、自分が働いている職場の環境を良くしようと思った時に、ちょっとした工夫を考えることも実は創造性なんです。例えば、アインシュタインやスティーブ・ジョブス、あらゆる企業体によるイノベーションとかクリエイティブとかっていうのは、すべてが創造性の成せる業なんです。

ヨーゼフ・ボイスというドイツの著名な作家が「すべての人は、アーティストである」と言って、社会の中の自分が今いる立場で創造性を発揮して、少しでも世の中、社会を良くしていこうという社会彫刻の概念を提唱しました。あらゆる人はそういうちょっとした工夫によって、必ず創造性を発揮できるんです。

では、そういう社会の中でアーティストの役割とは?

アーティストと呼ばれる人たちの役割は、常に第3者に向かってその創造性を花開かせるように刺激を与えていくことだと思います。例えば、モネの絵を見たときに「美しい」と思う。でも、なぜモネの絵がそんなに美しいと思うのか。いろいろ考える。そう考えさせるような大きなクエスチョンをアーティストは作品に残せるんだと思います。

では、最後に若いアーティスト、クリエイターに向けて、エールを。

はっきり言って、若いクリエイターたちが考えていることは、僕にはわからないんですよ。僕は、それでいいと思っていますけどね。変に、全部を認める大人という高みから言っている話ではなく。これからを作っていく若いクリエイターというのは、僕らおじさんとか、おばさんには、わからないんだと思うんですよ。僕がデビューした時もそうでした。「これはアートって言えるのか」と、わかってもらえませんでした。でも、それは仕方のない話なので、気にする必要は全然ないです。若いクリエイターの人たちには、自分の世界観をしっかり作ってもらって、おじさん、おばさんに理解される、されないっていうのは、全く関係なく進んでいいんじゃないかと思います。自信を持って、自分の信じるところをやっていけばいいと思います。

クリエイターといっても、それだけで食えない人たちもいるので、僕の考えでは、その道で食える食えないっていうのは、時の運だと思っています。

僕自身も、時の運です。 ある状況がなければ、僕の作品は、評価されてなかったし、未だに食えていないと思います。

ぜひお願いしたいと思うのが、伝えたいことがあるのであれば、決してあきらめないで欲しいということ。そのためには、食える、食えないは二の次で考えていいと思いますよ。 ただ、自分の食い扶持は自分で稼いでね。誰も助けてくれない。けれどそれが、おじさん、おばさんにわからない自分の世界観をつくっていくための唯一の道だと思います。

ありがとうございました。 「Relight Days」での「カウンター・ボイド」の再点灯楽しみにしています。

取材日:2015年11月16日 インタビュー、テキスト:クリステ編集部

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Profile of 宮島達男

現代美術家・東北芸術工科大学および京都造形芸術大学副学長 1957年東京生まれ、東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻修了。 【主な展覧会】 1988年ヴェネツィア・ビエンナーレ・アペルト 1996年「ビッグ・タイム」フォートワース近代美術館・テキサス 1997年ヘイワード・ギャラリー・ロンドンを巡回 2008年「Art in You」水戸芸術館・茨城

公式サイト:http://tatsuomiyajima.com/

 
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