自らへのハードルは上げずに下げる?ゲーム背景の第一人者・吉田誠治が語るクリエイターへの第一歩

Vol.181
背景グラフィッカ・イラストレータ
Seiji Yoshida
吉田 誠治

皆さん、ゲームの背景イラストを描く「背景グラフィッカ」というお仕事はご存じですか? そのキャリア20年以上を誇る吉田誠治さんは「自らへのハードルは低くするものだ」と語ります。ハードルは高く課し、たゆまぬ努力を続ける――。それこそがクリエイターになる正しい道だと思っている方は多いかもしれません。

ゲーム背景の仕事以外にも、売れに売れて5刷(※)になったオリジナルのイラスト本。「ワンドロ」(ワンアワードローイングの略で、何らかのお題を決めて、1時間で描けるだけ描くパフォーマンス)の動画配信など、ネットを中心に話題の背景グラフィッカ・イラストレータ、吉田さんの来歴とともに、「ハードルを下げる」その真意を伺いました。
※20年10月末時点

祖父の似顔絵がもたらした、ささやかな成功体験

絵を描き始めた時期やきっかけを教えてください

絵を描くのは物心が付く前から好きだったようです。共働きの両親が仕事に出ている間に面倒を見てくれていた祖父母から「紙とペンさえ渡しておけば、静かに過ごしていた」と聞いています。

当時、祖父の似顔絵を描いたら、それをいたく気に入ってくれまして。額に入れて応接間に飾り、来客があるたびに自慢していたんですよ。それが幼心にうれしくてね。絵を描くことがどんどん好きになっていきました。

小・中学校時代は、気ままに趣味で描いていただけでした。ただ高校入試に備えて受験勉強していた頃は、頭が疲れて眠くなってくるとマンガを描いて、目が覚めてきたらまた勉強に戻る……というような日々を送っていました。1年間で200ページくらい描いたのかな? 誰かに見せるために描いたものではないので、読者は弟しかいませんでしたが(笑)。転機のようなものが訪れたのは、高校時代です。

高校時代に目覚めたゲーム制作への思い。友人を手伝ううちにゲーム業界へまっしぐら

何があったのでしょう?

私が高校生の時はパソコンで「PC-9801」が発売されて数年経ったころ。高校入学直後、「RPGツクールDante98」(92年)というゲーム制作ソフトを利用して個人でゲームを制作していましたが、同時期に友人に誘われてチームでのゲーム制作もするようになりました。

そうして高校3年間、彼らとつるんでずっと同人ゲームを作っているうちに、「よし、将来はゲームグラフィッカになるか」と自然に考えるようになっていました。高校は進学校で、クラスメイトたちが有名国立大学を志望するなかで、僕だけが美術大学を志望していたので、担任の先生には驚かれましたね。

型破りな少年だったんですね。美大に進学されてからは?

実は進学したらゲーム業界への興味が薄れてしまい、その頃は印刷業界や出版業界に興味を持ちました。授業で絵本を作ることもあって、本のデザインっておもしろいなと。ところが、つるんでいた友人のお兄さんがいきなりPC用美少女ゲームのメーカーを立ち上げまして…。

2000年頃というと、PC美少女ゲームにすごく勢いがあった頃ですね。

おっしゃる通り「何かしら出せば売れる!」みたいな認識で(笑)。アルバイト感覚で手伝い始めたのですが、絵が描けるのが僕しかいないということで、キャラクター、背景グラフィック、広報のための宣材、Webサイト制作など、ビジュアル素材を全て任されてしまいキツかったですね(笑)。

そのゲームメーカーのお手伝い以外には、どのようなキャンパスライフを?

僕は早起き体質で、かつ映画好きでしたので、毎朝必ず1本映画を見ていました。そして授業で絵を描いたり絵本を作ったりして、ゲーム制作のお手伝いもして、さらに自分のWebサイトに毎日イラストを公開して……。あのときのインプットとアウトプットの頻度は、今よりもずっと高いくらいです。

美大と聞くと学校の課題をこなすだけでも大変そうな印象があります。精力的なのに驚かされます。ゲーム制作でさまざまな絵を描かれたとのことですが、その頃から背景画を描かれるのがお好きだったのでしょうか。

背景画というより、世界を作るのが好きでした。学生時代の僕は人間が苦手だったんです。人にあまり興味を持てなかったんです。その代わり、人間以外のものには何でも興味がありました、そのときの傾向が、今、こうして背景画を描いている自分につながっているようにも思えます。

学校と、映画をみて、そしてゲーム制作を続けた学生生活でした。そうこうするうちに美大も無事卒業し、そのままずるずるとゲーム業界に身を投じることになりました。

料理から気づいた、クリエイティブを受け取る人の笑顔を思い浮かべること

美大卒業後の話をお願いします。

ゲームメーカーに仕事として勤める以上、他のスタッフの好みや要望を満たす絵を描く必要があるわけです。でも昔はそれがどうもうまくできなくて。そんなときに突破口となってくれたのが、両親が共働きであったがゆえに、学生の頃から日常的に料理していた経験でした。

絵を描くことと、料理。どうつながるのでしょうか?

料理は、調理を始める前にレシピを調べて材料をそろえますよね。絵も、描き始める前に構図を決めて技法を検討します。

“実作業に入る前に、全工程を通して大切な部分の大半が終わっている”ところが似ています。それと、”実作業に入ったあとのアドリブがまた楽しい”という部分も似ていますね。

料理なら「この人に作るなら塩味はもうちょっと強めにしよう」と思うことがあるように、大事なのはそれを食べる人が笑顔になってくれるようにと考えながら作ることですよね。

そう思ったとき、人から依頼されて描く絵も同じなんだ、クライアントの趣味や好みに合わせる必要があるんだ、と気が付いたんです。ちなみに現在、家族の食事はほぼ3食、私が作っています。好きですし仕事の区切りにもなります。ただ集中していたり、締め切り間際だと30分くらい食事が遅れることがあります。でもその程度です。

吉田さんにとっては、どちらも“人のためにする創作活動”だったんですね。

はい。それが分かってからは、絵を描くことに関して苦労らしい苦労はしませんでした。ゲームメーカーは背景グラフィッカが不足しているところも多く、当時のPCゲーム業界は背景をアニメの背景制作会社に発注することも多々ありました。ちなみに当時は成果物が紙で上がってくるんです。それをスキャンして、ゲームで使えるデータにするんです。

今では想像しづらいお話ですね……。

それが普通だった時代に、僕はフルデジタルで作業できて、しかも同人ゲーム制作の経験がありました。「目立つ構造物を中央に描くとキャラクターで隠れてしまうので、少し左右にずらそう」というような思考もできましたので、高く評価されていたようです。

当時は自社の仕事だけでは手が空いてしまうので他社からも発注を受けていました。ただ引く手あまたで、こなすのがどんどん難しくなってきて、独立するにいたりました。

人以外のものに興味を持ち、家庭の事情から料理をして、ゲーム制作の経験も生きた……それまでに積み上げてこられたことのシナジーがすごいですね。

たまたまそこからシナジーを得られたのではなく、おそらく僕は積み上げてきたものがまずあって、自分が積み上げてきたものをうまく踏み台にするにはどうしたらいいかを考えて、それを実行しただけなんです。楽な方向にふらふらと進んでいるだけ、とも言えるかもしれませんが(笑)。

積み上げてきたさまざまな経験をまとめあげる能力があったのですね。当時は、他のメーカーやクリエイターを意識することはありましたか。

それはもう、しょっちゅうでした。同人ゲーム「月姫」(00年)で一躍その名を知られるようになったTYPE-MOONさんや、同じ2000年に設立された(株)ニトロプラスの作品が持つ世界観には、いつも「やられた!」と思っていましたし、当時は日本ファルコムに勤められていた新海誠(しんかい まこと)さんよる「イースIIエターナル」(00年)のオープニングムービーにも、強い衝撃を受けました。

趣味や旅行を経て得る、さまざまなインプットが美麗なイラストを生む

吉田さんには刺激的なインプットになったという香港旅行の写真。

インプットについてもお聞きします。プライベートではゲームはどの程度遊ばれますか?

ゲームは大事な趣味の一つですので、毎日少しずつ時間を作って遊んでいます。近年のゲームでは「レッド・デッド・リデンプション2」(18年)、「デス・ストランディング」(19年)、「ゴースト・オブ・ツシマ」(20年)などが大好きです。

どれも、内容だけでなくグラフィックの美しさでも知られるゲームですね。やはりそういうところが、手に取る理由になるのでしょうか?

ちょっとマニアックな話になってしまうのですが、僕は昔スーパーファミコンで遊んだ「ドラッケン」(91年)が大好きでして。広大なフィールドを探索するのがとても楽しかったんですよ。

そこに確かな世界があると感じられ、さらに自分の好きなように探索できるゲームは何でも好きですね。来月12月(20年)に発売の「サイバーパンク2077」(※)も楽しみで仕方がありません(笑)。 ※取材時には未発売

そうしたゲームに触れることで、何か影響を受けることはありますか?

ビジュアル面では全くありませんが、手掛けたクリエイターたちの考え方や哲学、演出技法などに影響を受けることはあります。

たとえば「ゴースト・オブ・ツシマ」は、月日の流れがあるゲームではないにも関わらず、ひとつの島に四季折々の景観が混在しているんです。紅葉が美しい地域がある一方で、別の地域では雪が積もっていたりする。季節ごとの美しさを見せるためなら、「こういう手法もありなのか!」といたく感銘を受けました。

中学生の頃は、ゲーム「真・女神転生II」(94年)でキャラクターや悪魔を描いている金子一馬さんの絵を見て「こんなにうまい人がいるのか!」と衝撃を受けました。

「ゴースト・オブ・ツシマ」はゲームならではの嘘が心地よいゲームだと私も思います(笑)。他のインプットについてもお伺いしたのですが、気になる場所や地域をご自身で実際に訪れることはありますか?

行きます。それはとても大事なことだと思っています。ついこの前も、非常勤講師として講義を受け持っている京都精華大学からの帰りに高知まで足を延ばして、桂浜や高知城を堪能してきました。

高知城は天守閣と本丸御殿が両方現存する日本で唯一の城ですので、一度実際に行かなければと思っていたんです。やはり実際に訪れると、得られる情報量は段違いです。

今まで一番大きなインプットを得られたのは、時期は曖昧ですが20年くらい前に行った香港旅行です。「まさに映画『ブレードランナー』の世界だ!」と、写真をたくさん撮りましたよ。

高知旅行で立ち寄った書店で「ものがたりの家-吉田誠治 美術設定集-」が大きく展開されていた。写真はそこの書店員さんからお土産としてもらったバス停のジオラマ。

その他、影響を受けた作品にはどのようなものがありますか?

幼い頃に影響を受けたのは、安野光雅さんの絵本です。大学時代に絵本をいくつか作ったのは、この方の影響だといえます。小学生の頃は、月刊科学誌「たくさんのふしぎ 鳥の目から見たら」(福音館書店・88年)をずっと読んでいました。

絵本の体裁なのにパースの描き方が書いてあって、「三角定規と鉛筆があれば鳥瞰図(ちょうかんず)は描ける」ということを教えてくれるんです。僕は、この本で必要なパース理論のほとんど全てを学びました。

(「たくさんのふしぎ 鳥の目から見たら」を)拝見すると、確かに絵本の読みやすさがありますね……。初めて知りましたがこの書籍は驚きです。ちなみに最も好きなものって選べますか?

大学時代にフランスのファンタジー映画「ロスト・チルドレン」(96年※日本上映)と出会って、今なお僕を夢中にさせ続けています。俳優、衣装、撮影、楽曲、編集、脚本……作品を構成するすべての要素が良すぎて、僕はこの作品を評する言葉を持ちません。そのくらいに素晴らしい。

好きな映画は数えきれないくらいありますが、全カットのキャプチャー画像を保存しているのはこれだけです。

ヒット中の書籍を生んだ同人活動、ワンドロなど、仕事以外のさまざまなアウトプット

2020年7月、『ものがたりの家-吉田誠治 美術設定集-』(PIE International)が出版されました。吉田さんの同人誌「ものがたりの家I」「II」をベースにした書籍ですが、同人誌はどういった経緯で描かれ、書籍化になったのでしょうか。

あるゲームの制作に参加したときに、他の背景スタッフと世界観を共有するために描いた街や建物の設定画の評判がすごくよかったんです。ゲームが出たら、僕の書いた設定画集のようなものも出そうという話になっていたのですが、諸事情からゲームそのものが世に出ず終わってしまいまして。

それなら、新たにオリジナルの設定を作って、同人誌にまとめて発表してみようかな、と思ったのが理由のひとつです。

もうひとつは、大学の生徒たちに見せたいからです。彼らに美術設定を作らせてみると、どこかで見たようなものが多いんです。このくらいのオリジナリティは出力してほしい、という見本のつもりで作ったというのもあります。

こんなマニアックな同人誌は売れないだろうと思っていたのですが、一冊目を出したら大変ご好評をいただきまして。需要があるならもう一冊作って、二冊分をまとめて書籍化したらどうだろうと、ツテのあった出版社(PIE International)に企画を持ち込んで実現しました。

お仕事とともに同人活動も積極的に続けている、そのモチベーションの源泉は?

モチベーションといいますか……気分転換のようなものですかね? 僕は昔から、いつも絵を描いているのが普通で、しかも描きながらでも普通に会話できるので、打ち合わせをしている時すら何かしら描いていたります。

でも、そういうときに仕事の絵を描いているわけではないですから。そういうプライベートで描いた絵を発表したいと思ったら同人活動になる、というだけのことなんです。僕は大学時代から、本を作ることも大好きですので。

ここまで吉田さんはクリエイターとして非常に順調だと感じます。あと聞きたいのが「ワンドロ」(ワンアワードローイングの略。何らかのお題を決めて、1時間で描けるだけ描くパフォーマンス)の配信です。これはどのような経緯で始められたのでしょうか。

実はずっと順調だったわけではないんです。ワンドロを始める少し前、受けた仕事がこなしきれなくなってパンクしてしまったんです。「だめだ、もう絵を描くのはイヤだ!」と思ってしまいました。

まず受けていた仕事をすべてキャンセルさせてもらって解放されて……。そんなときに始めたのが、ワンドロでした。しかも皆さんに好評で嬉しくなって、気持ちが前向きになりました。絵を描くのがイヤになって始めたことが、結局絵を描くことだったんです(笑)。

根っからの絵師、絵描きですね!前の話とつながるのですが、絵を描くこと自体で壁にぶつかったご経験はおありですか?

それは一度もありません。仕事ではなく、趣味の絵ならいくらでも描けますね。その秘訣(ひけつ)、といえるか分かりませんが、まず僕は、自分の絵は下手だと思っています。

うまい絵が描ければもちろんうれしいですが、描いた絵の9割くらいは、どこか満足できないものなんです。でも、途中で投げ出すことはしません。「満足できなくてもいいから、とにかく完成させる」というのが僕のポリシーです。

いわゆるスランプと呼ばれるものの大半は「“自分が満足できる”絵が描けない」、という意味だと思います。それは言い換えるなら「うまい絵を描こうとしているから」スランプになるんです。

その点、僕は最初からうまい絵を描こうと思っていない。だからスランプになったことはないですし、描けなくなったこともありません。

自らに高いハードルを課すのはいいことばかりではない、ということでしょうか? 最後に、クリエイター志望者へアドバイスをいただけますか?

大きな仕事でいい結果を出して、華々しく名が売れるに越したことはありません。でも、この道で何十年とやっていくには、大きな仕事を一つ二つ受けただけでは食べていけません。細かい仕事もたくさんこなす必要があります。なかなか表に出ないような「地味な仕事をコツコツとやっていくイメージ」を、きちんと持てるかというのは考えてみてもいいと思います。

あとは、趣味の時間もきちんと確保することです。仕事だけだと、アウトプットするばかりでインプットが追い付かず先細りします。趣味などにも一定の時間を割き、定期的にインプットもすることが大切です。何より、気分転換になりますしね。

僕よりずっと若いのに、大きな仕事を受けて見事に結果を出している人を見るたびに、僕は才能がないなと思います。でも、続けていくうちに身につくものは確実にあると感じています。

続けてきた間に、自分よりうまい人が業界から抜けていくこともありました。 ですから、毎日続けるために、自分へのハードルは適度に下げましょう。これが、僕にできる最大のアドバイスです。

取材日:10月13日 ライター:蚩尤 スチール:小泉真治 動画撮影:加門寛太 動画編集:遠藤究

プロフィール
背景グラフィッカ・イラストレータ
吉田 誠治
東京都在住。PC向け美少女ゲームメーカー「鯖」の原画兼グラフィッカ兼背景を経て、独立。フリーで背景グラフィッカとして活動、京都精華大学の非常勤講師も務める。近著に「吉田誠治作品集&パース徹底テクニック」や「ものがたりの家 -吉田誠治 美術設定集-」など。個人活動にも積極的で、同人誌「ものがたりの家I」「ものがたりの家II」を制作。Twitterで広く知られるようになった「ワンドロ」(ワンアワー・ドローイング)配信などでも話題になった。
吉田誠治オフィシャルサイト: http://yoshidaseiji.jp/
吉田誠治オフィシャルYouTubeチャンネル: https://www.youtube.com/YoshidaseijiJp
Twitter: https://twitter.com/yoshida_seiji

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