しくじり先生

番長プロデューサーの世直しコラム Vol.127
番長プロデューサーの世直しコラム 櫻木光

数年前、Webのことがもう少し詳しく知りたかったので
Webディレクター養成講座みたいな講義に通ったことがある。

講師は広告業界の顔見知りみたいな人ばっかりで、教室の一番後ろの席に座っていると、
目が合って嫌な顔をされた思い出がある。
知り合いだったからだ。
講師たちの授業の内容は、自分たちの実務の中でやった仕事の例が多く、ほとんどが成功事例だった。

何の疑いもなく話を聞いていたのだが、そりゃまあ、成功するだろうなあ。
という感想しかなくなってきた。
コンテンツの内容が万人にとって興味のあるような内容だったからだ。
例えば大ヒットした漫画のキャラクターを軸にWebの施策を練る、
そういう人気コンテンツをチョイスして、お金を出して買い、形にするのも
タレントコマーシャルと一緒で成功への近道である。否定はできない。
それが面白くできていればそれでいいんだけど。

そこで、授業の後半にある「何か質問はありますか?」のコーナーで聞いてみることにした。

「えー、皆さん講師の方がお話される事例は、華々しく成功された例ばかりで、
そのコンテンツと組めばそりゃあ成功するだろうな。という話が多い気がします。
それも企画と言えば企画なので否定はできません。
ただ、そういう予算もネタもなくて新しい仕掛けをひねり出して勝負してほしい
と願われているような気がするんです。双方向で仕組みの新しいWebの世界は特に。

で、質問ですが、これまでに請け負った仕事で、そういう人気コンテンツは無いけど、
これは新しい、と思ったのに失敗した例はありますか?
どういうことを企画して、何が行けると踏んで、どう思って制作して、どう失敗したか?
何がいけなかったのか?とか、今となってはどうすればよかったのか?
そういうお話が聞きたいんですけど……」

そう聞いたら、講師が、最初に教室に入ってきて僕を見つけたときより嫌な顔をした。
そしてこう答えた。
「あのねー、櫻木さん、やめてくださいよ意地悪な質問するのは。
えー、他のみなさん、この人プロですから、すぐこういうこと言うんですよ。
いやですねえ、やりにくいんですよ。はい次の人どうぞ」と言った。

なんじゃそりゃ。俺はCM作るのはプロだけど、Webは素人ですよ。
知りたいことがあるから金払ってここに来てるんですけど、と思ったけど言わなかった。
また嫌な顔されるからだ。

しくじり先生という番組がある。
「人生を盛大にしくじった人から『しくじりの回避法』を学ぼう!」を基本理念に、
なんかで失敗してそれまでの地位や名誉を一気に失ってメディアから消えた「しくじり先生」が、
自分と同じ失敗を他人が犯さないように(芸能人やスポーツ選手が出てくる事が多いのだけど)
学校の先生という体で、自分の失敗を教科書にまとめて、レギュラーの出演者の生徒たちに講義をする。という構成になっている、という番組。
この番組が、そこはかとなく深いのです。

出演者には本当に壮絶な人生の人も居る。見ていて泣けてくるときもある。
なにがこんなに泣けてくるのか考えてみた。
こんな人がこんな目に!?と、話がすごいときもあるんだけど、
実は、その教科書の構成がすごいのが解る。

その人の成功から失敗、どう思って判断して何が間違いだったのか?
これからどうするか?という事が書いてある。
番組の性質上、しくじりの綿密な分析が必要になるからだ。
この「何が間違いだったのか?」に気づくのが難しいんだ、と思う。

失敗するだけだったら誰でもできる。
そのまま消えてっちゃう人は、失敗して、諦めたり逃げ出したりで終わる。
がんばりが足りなかった、ということで片付けられてしまう。
人には努力も忍耐も怠慢もあるが、運も不運もツキもババ引く事もある。

ただ、なんというか、うまく行っているときに、それがずっと続くと勘違いし、
「根拠の無い自信」みたいなもんに身を任せた場合に大きな失敗は起きる。

「しくじり先生」の教科書にはそういった人間の弱さ的な失敗が分析してある。
変化しなければいけない限界点で変化できなかった話。
それが面白いというか、面白くないのだけど、すごい勢いで腑に落ちる。
思い当たる節がいくつもあってとても他人事とは思えない。

それより何より、たいした失敗をしなくても、人の調子のいい時期なんて、
一生のうち、せいぜい10年あるかないかである。
どんなに努力して独自の世界観を見いだしても、
世の中のシステムも気分も10年で信じられないくらい変わるようになった。
自分自身だけの話ではないからだ。

自分に何かを仕事として発注してくれる人も年をとる。下から若くてやる気のある奴らが
どんどん出てくる。テクノロジーも変化してマシンのパワーもスピードも上がる。
成功して一度うまく行った人はそのことに気づきたくない。
下降していく自分の勢いから目を逸らす。
という失敗をする事になる。

人のせいにも、社会のせいにもせず、自分の失敗は失敗だったとちゃんと受け止め、
もう手遅れかもしれないけど、失敗は冷静に分析してみる。
勘違いから我に返る自分を、恥とともに受け入れる。
逃げ出したり諦めたりせずそれでもまだやり返してやろうと思う。
それが「がんばる」ということの本質なんじゃないかと思う。

学校でその業界の有名人の成功事例を聞くのは楽しい。
だけど、それは思い出話に近く、おじいちゃんの自慢話に聞こえるときがある。
おじいちゃんの自慢話は、飲み屋で聞くと夢があって楽しいかもしれないが、
その時エルビスが降りてきてな、的な、なんとなく参考にならない事が多い。
失敗した上で成功しないと理論は生まれない。
そういう人たちでも失敗例があるはずだけど、なかなか言いたがってくれない。
自分でも、会社の若者に昔の自慢話を話している時に、ふと我に帰ることがある。
じいちゃんか?と。

チャレンジして、失敗して、ぺちゃんこになって、それでも立ち上がって、
失敗の原因を分析して、やったらいけない事を自分の中で増やしていく。
自分の基準のラインを上げていく。
チャンスをもらった時の喜びと、それをダメにして期待を裏切った時の絶望と、
自分の考えの足りなさや、制御できなかった欲や、カッとなっちゃった時の恥ずかしさや、
それでも人生は続くので、逃げ出さずに、その絶望感を振り払うやり方と。受け入れ方と。

そして、笑いながらその失敗を人に話す事ができ、次の機会をうかがっている。
そういう人の話が養分を多く含んでいる。

Profile of 櫻木光 (CMプロデューサー)

プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが、矢面に立つのは当たり前と仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。


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