「映画を作って生きていけるなら何でもしますと、悪魔ならぬ、映画の神に祈りながら・・・・」

Vol.52
映画監督
Kazuyuki Izutsu
井筒 和幸

洋画や邦画を片っ端から見ることに明け暮れた1970年代を、再び、追想したい。ボクが17歳から10年間に見た映画は数え切れない。恐らく、その10年間は後の80年代の10年間、さらに90年代の10年間より、もっとたくさん見たと思う。それはかけがえのない時代だった。

映画を見ては考えたものだ。人間という生き物は何を求めて棲息してるんだろう、その本能、感情とは、思考とは。そして、人類を作った宇宙の真理とは、宇宙はなぜ作られたのか、どうしてこんな人類はこんな場所で生きているのか、どうして人は戦争をするのか、アメリカ人は、日本人は何をしてきたのか。

それらを丸ごと映してみせる映画とは何なんだ。もはや博覧会の見世物でもサーカスでもないだろ、誰のための慰めか、心の傷につける塗り薬か。作品たちは一作一作、絶えずボクに問いかけ、脅かせ、唸らせてきたし、それらは紛れもなくボクの血や肉になってきたのだ。

70年の初夏の出来事が甦ってくる。それは人生を決めた瞬間だった。ミシシッピ州の真夜中の綿花畑に囲まれたクロスロードで、ブルースギターを思い通りに巧く弾けるなら何でもすると悪魔に魂を売ったといわれる伝説のブルースマン、ロバート・ジョンソンよろしく、映画を作って生きていけるなら何でもしますと、悪魔ならぬ、映画の神に祈りながら、高校3年生のボクは8ミリキャメラで初めての映画作りに挑戦したのだった。タイトルは、『奇談 しんおれたちにあすはない』という。35分間のモノクロ作品で、17歳の分際にしてはなかなかの長編だった。もちろん、キャメラは自分の物ではなく、中学からの同級生で隣りの私立高にいたK君が自宅から持ち出してきたダブルエイト型のゼンマイ式駆動だった。16ミリ幅のフィルムマガジンを入れ、一通り撮り終えると蓋を開け、マガジンを裏返しにして装填したらさらに撮れて、プリント現像してからフィルムを縦に割いて繋げるというもの。シングル8が普及していた当時、それらは珍しいものだった。到底、ボクの小遣い銭では足りなくて、フィルムはK君が買って用意してくれた。ボクは撮影と演出をして、主演は映画研究部にいた友人のH君に頼んだ。K君はキャメラ補佐をしながら、ラストシーンでは謎の覆面怪人役で出演してくれた。

伝統校の古い校風とその大学受験体制の中、金縛りにでも遭ったような憂うつな表情で登校する学友たちとつき合う気がしなくなっていたボクは、内ゲバの続く大学には進まないと決めていたので、そのK君に相談して、一発、衝撃作を作って秋の文化祭で全校生徒に見せよう、受験地獄に呑みこまれ、社会の規格品を作るベルトコンベアーに乗せられ、点数が足りないと振るい落とされる、自由な未来を見失った我々自身を描き出そうという画策だった。68年、69年の全共闘運動を見てきたボクもK君もH君も、進学校の権威や保守的な社会体制に、何でもいいから最後に叫びたかったのだ。

その付けたタイトルからも分かるように、アメリカの大不況時代に暴れ回った銀行ギャングのカップルの儚い人生を追う『俺たちに明日はない』(68年)や、彼女の母親との情事に惑う宙ぶらりんな大学生(ダスティン・ホフマン)を描いた『卒業』(68年)などが、影響したのは確かだ。オレたちは何者なんだ、一体、どこに向かうつもりなんだ、学校という獄舎からもうすぐ卒業だぞ、でも解放されるのか、本当にそうなのか。そんなことがテーマだった。

勿論、この年に見た衝撃作『イージー・ライダー』(70年)や、名画座で見たトニー・リチャードソン監督のイギリスニューシネマ、『長距離ランナーの孤独』(初公開は64年)なども影響していた。ボクは何のために走るんだろう、何から逃げようとしてるのかと考えながらコンテを作った。こっちのロケ地は空っぽの校舎と教室、近くの丘の共同墓地ぐらいだが、ゲリラ撮影できるのは日曜日だけなので、3人で一気呵成に撮影した。自分の未来がテストの点数で決まることに耐えられない主人公が男子便所で自慰をする場面もあった。H君は何とかそう見えるように演じてくれた。そして、主人公は謎の覆面怪人に3階の廊下に追いつめられ、襲われる。廊下に血が飛び、彼は悶え苦しみ、怪人は去っていくのだ。血のりはフィルムがモノクロなので習字用の墨汁を使った。後で拭き取るのに苦労したが。
何週間か後、仲間だけで試写したら、とてもリアルと好評だった。音楽はE・クラプトンがいたザ・クリームのロック曲をテープデッキから流して伴奏させることにした。しかし、画面がグロテスクなのか、学校批判だと思われたのか、映研部の顧問教師から「こんなものは映画じゃない。楽しめないし、他校生も来る文化祭では見せられない」と上映を禁止された。「何でやねん、説明しろ!」とボクらは教師に食ってかかったが、許可は下りず、逃げられてしまった。そうなれば、次の手を考えるしかなかった。

(この続きは、次回に)

 

≪登場した作品一覧≫

『俺たちに明日はない』(68年)
監督:アーサー・ペン
製作:ウォーレン・ベイティ
脚本:デビッド・ニューマン、ロバート・ベントン
出演:ウォーレン・ベイティ、フェイ・ダナウェイ、ジーン・ハックマン、マイケル・J・ポラード 他

『卒業』(68年)
監督:マイク・ニコルズ
製作:ローレンス・ターマン
原作:チャールズ・ウェッブ
出演:アン・バンクロフト、ダスティン・ホフマン、キャサリン・ロス、マーレイ・ハミルトン 他

『イージー・ライダー』(70年)
監督:デニス・ホッパー
製作:ピーター・フォンダ
製作総指揮:バート・シュナイダー
出演:ピーター・フォンダ、デニス・ホッパー、ジャック・ニコルソン、アントニア・メンドザ 他

『長距離ランナーの孤独』(64年)
監督:トニー・リチャードソン
脚色:アラン・シリトー
原作:アラン・シリトー
出演:トム・コートネイ、アヴィス・バンネージ、ジェームズ・ボーラム、アレック・マッコーエン 他

出典:映画.comより引用

※()内は日本での映画公開年。

 

●映画『無頼』

『無頼』はNetflixでも絶賛配信中、セルレンタルDVD も発売中。

プロフィール
映画監督
井筒 和幸
■生年月日 1952年12月13日
■出身地  奈良県

奈良県立奈良高等学校在学中から映画製作を開始。 在学中に8mm映画「オレたちに明日はない」、 卒業後に16mm「戦争を知らんガキ」を製作。
1975年、高校時代の仲間と映画制作グループ「新映倶楽部」を設立。
1975年、150万円をかき集めて、35mmのピンク映画「行く行くマイトガイ・性春の悶々」(井筒和生 名義/後に、1977年「ゆけゆけマイトガイ 性春の悶々」に改題、ミリオン公開)にて監督デビュー。
上京後、数多くの作品を監督するなか、1981年「ガキ帝国」で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降「みゆき」(83年)、「晴れ、ときどき殺人」(84年)、「二代目はクリスチャン」(85年)、「犬死にせしもの」(86年)、「宇宙の法則」(90年)、『突然炎のごとく』(94年)、「岸和田少年愚連隊」(96年/ブルーリボン優秀作品賞を受賞)、「のど自慢」(98年)、「ビッグ・ショー!ハワイに唄えば」(99年)、「ゲロッパ!」(03年)などを監督。
「パッチギ!」(04年)では、05年度ブルーリボン優秀作品賞他、多数の映画賞を総なめ獲得し、その続編「パッチギ!LOVE&PEACE」(07年)も発表。
その後も「TO THE FUTURE」(08年)、「ヒーローショー」(10年)、「黄金を抱いて翔べ」(12年)、「無頼」(20年)など、様々な社会派エンターテインメント作品を作り続けている。
その他、鋭い批評精神と、その独特な筆致で様々な分野に寄稿するコラムニストでもあり、テレビ、ラジオのコメンテーターとしても活躍している

■YouTube「井筒和幸の監督チャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCSOWthXebCX_JDC2vXXmOHw

■井筒和幸監督OFFICIAL WEB SITE
https://www.izutsupro.co.jp

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