「逃げた女を追いかけて」

第74話
電通第5CRプランニング局 クリエーティブ・ディレクター/コピーライター
Akira Kadota
門田 陽

料理はしません。できませんと言ったほうが正しいかな。コンロでお湯を沸かすのも年に数回、たまにカップ麺を作るときとレトルトのカレーを温めるときくらいです。先日久々にチキンラーメンを食べるために火を使いました。僕は卵が嫌い(※とりとめないわ第20話)なので何も入れないのですがそのときは物足りなくて冷蔵庫の中を探すと柚子胡椒の瓶を発見。よしよしと思ったのが運のツキ。賞味期限が切れて半年以上経っています。こうなるといけません。どうしても柚子胡椒がほしくなり有楽町にある福岡のアンテナショップに買いに行ってしまうのです。3分で食べられるはずが火を止めて結局食べるまで1時間かかってしまう始末。困った性分です。

ワクチンを打った少しの安堵感や世の中が動き始めたこともあって何かきっかけを見つけては外に出たくなっているのかもしれません。特に週末は無性にどこかに行きたくなります。ステイホームの間に作った観たい映画や芝居を書き留めたノートをめくります。このとき目を付けたのはホン・サンス監督の「逃げた女」。確か近所の映画館でやっていたはずです。しかし調べるともうやっていません。そうなんですよね。映画って、大々的な全国ロードショーでない限りわりとすぐに次の映画に切り替わってしまうのです。年に千本以上公開されるので仕方ないといえばそれまでですが。あれあれ?さらに調べると、すでに都内の映画館ではぜんぶ終わっています。神奈川や千葉や埼玉もやっていません。唯一、盛岡ルミエールという所でやっているのを発見!盛岡か、遠そうだな。確か、わんこそばのとこだよなぁ、くらいのぼんやりとしたことしかわかりませんが気持ちはすでに盛岡です。さらに気持ちよりも先に足は動いて体は東京駅のみどりの窓口。東北新幹線盛岡まで大人1枚を購入してすぐに乗車。朝10時20分東京発はやぶさ17号で盛岡に着いたのがお昼の12時32分。何の前準備もせずに来たのでぼんやり車窓を眺めるだけの2時間とちょっと。案外近いなと思いました。盛岡駅から街並みをキョロキョロしながらで徒歩約12分。パッと見、映画館らしくない佇まいのビル(※写真①)でしたが手前の道にはシネマストリートという名前が付いていました。

※写真①

そして東京を出て2時間半でなんとか「逃げた女」を捕まえました(※写真②)。なかなか趣のあるいい映画館でした(※写真③)。

※写真②
※写真③

映画自体は77分で完。ホン・サンス監督特有のカットバック(加瀬亮主演「自由が丘で」のときにも駆使されていた)も健在で面白かったです。映画館を出て、さてどうしたものかと街をおじさんぽ。せっかくなので地元のお酒を一杯だけ飲んで帰ろうと居酒屋に入ったのが今回の星まわり。移動の疲れもあってかその場で眠くなり駅そばのビジネスホテルにチェックインしていました。

翌朝、ホテルの大浴場で我を取り戻し盛岡駅へ。構内を歩いているとJRの建物と連なった所にいわて銀河鉄道の駅があります。
覗き込むといい感じの列車が止まっています(※写真④)。

※写真④

これはもう乗るしかないです。隣の青山駅まで乗りました。青山駅は東京の青山とはずいぶん違う景色(※写真⑤)。駅の表示に前九年口とあります(※写真⑥)。

※写真⑤
※写真⑥

これって、中学時代にムリヤリ覚えさせられた1051年人を恋(1051)する前九年の役のその場所のようです。スマホの地図検索で調べると徒歩20分くらいで古戦場の跡地があるみたいなので行くしかないでしょう。もはや何をしに盛岡に来たのでしょうか。田舎道をとぼとぼと30分、なかなか見つかりません。何の案内も出ていません。ただ街の名前にも前九年とあるのでこの辺で間違いはないはずです(※写真⑦)。

※写真⑦

少し息を切らし水を飲み、そういえば743年墾田永年私財法や1232年御成敗式目制定なんかも強制的に覚えたよなぁ、名より実(743)をとる墾田永年私財法とかをブツブツ思い返しながらそろそろ諦めかけたときに、あ!ありました。わりと交通量の多い道路のすぐ横に当時の様子が書かれた掲示板がたてられています(※写真⑧)。

※写真⑧

この地この場所で源頼義・義家親子が活躍したのだそうです。今から970年前。源親子は京都からここまでどうやって来たのでしょう。馬だよな。その頃って、地図はあったのかな。僕にはムリだなと思いながら汗をぬぐってたまたま出くわしたバスにひょいと乗ったところ駅とはまるで逆方向で、その日結局東京に戻れたのは夜の帳が下りた時間でした。

 

 ところでこの「逃げた女」はその後(今日10月27日現在)東京の早稲田松竹に戻って来ている(※写真⑨)話はまたの機会に。

※写真⑨

 

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プロフィール
電通第5CRプランニング局 クリエーティブ・ディレクター/コピーライター
門田 陽
電通第5CRプランニング局 クリエーティブ・ディレクター/コピーライター 1963年福岡市生まれ。 福岡大学人文学部卒業後、(株)西鉄エージェンシー、(株)仲畑広告制作所、(株)電通九州を経て現在に至る。 TCC新人賞、TCC審査委委員長賞、FCC最高賞、ACC金賞、広告電通賞他多数受賞。2015年より福岡大学広報戦略アドバイザーも務める。 趣味は、落語鑑賞と相撲観戦。チャームポイントは、くっきりとしたほうれい線。

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