ポストモダンとニューノーマル

Vol.171
CMプロデューサー
Hikaru Sakuragi
櫻木 光

社会学的にいうと、今の時代のことをポストモダン〔後期近代〕というらしいです。

 

ポストモダニズム的な言い方は、建築にも芸術にもダンスにもあります。

これは文化の潮流を表す言い方で社会学的なポストモダンと芸術などのポストモダニズムは意味合いが違います。

 

社会学的なポストモダンは、バブルの時代にその時代の賛美的な言い方で流行ったこともありますが、

まあ、呑気に使い方を間違っていたんでしょう。

 

ポストって表現は漠然としていて明確な答えはありませんが。

実際に近代の後期に差し掛かって、価値観が流動的になって目まぐるしく変わる今の時代が本当のポストモダンだと思うのです。

実際は呼び方なんてどうでもいいんですけど。

 

どういうことかというと、少し前まで信じられていた、確固たる価値観。

未来にトラブルなど無い。人類が出した有害物質は母なる地球が全て吸収してくれる。

という事を前提に語られていた文脈。

 

いい学校に行って、親や先生の言うように勉強して、いい会社に入って定年まで勤め、退職金と年金を貰ったら安泰。

と言う考え方が全く通用しない世の中。

 

常に情報やシステムがアップデートされ、新たな知識が生まれて、その都度社会が変化する。

なんかのきっかけで蓄えたものの価値がなくなり、人間の嫌な面もモロ出しになる。

 

それに伴い未来も未来予想も常に修正して適応しないと辛い世の中になっていく。

昔の価値観で漠然と考えていたライフプランも修正や微調整しないと最後までは持たない。

という事でしょう。

 

コンピューターもスマホもない時代に育った今のおじさんたちは狼狽えていますよ。

うまく順応している若い人たちの新しいルールが受け入れられず、頓珍漢なことして若い人たちに無視され始めています。

今の政治周りはまさにそう。

 

人がそれぞれ未来を予測して生き方を決めなければいけないので個人でリスクも孕む。

いつもリスクを予想しながら流動的で不確定な世の中を生きていかなくちゃいけなくなっていたんですね。

いつのまにか。

ボーッと、くだらない冗談を言って暮らしていた日々は終わっていたんです。

デジタルネイティブの子どもたちは、それが当たり前なのかも知れません。

 

そうなると当然、リスク管理という考え方が重くなってきています。

起きるかも知れない嫌な事を予測して、起きたらどうするかをシュミレーションしておかなければいけない。

杞憂かも知れない事への対処が必要。

想像力の戦い。

 

若者たちの事でよく語られる「偉くなりたくない」とか「社長になりたくない」とか、

「めんどくさいリスクは先に望まない」など避けておいた方が生きやすいという世の中になってきます。

「偉くなるとリスクが高くなるけど見返りは少なそうだなあ。だったらそういうリスクは回避しとこう」と。

自然の流れかもしれません。

 

人間は幸せな人生を送りたいと思うもんですから不安というものは常についてきます。

AIを使い、仕事を楽にこなせるか?AIに仕事を奪われちゃうのか?

実際に、地震が起きて、津波が起き、原発がぶっ壊れ、ミサイルが発射され、飛行機がビルに突っ込む様を見てしまった。

何か起きるたびに未来がぶれる。

これがまた自分の身に起きるんじゃないだろうか?という不安。漠然とした不安。

それを<実存的不安>というらしいです。

 

そんなことを考えても仕方ない。世の中が続いてるじゃないか、俺生きてるし。

楽しいことがないわけじゃ無い。リスクに怯えてばかりじゃつまらない。という事実。

それが実存的不安を打ち消しながら生きていく。という構図。

〔存在論的安心〕というらしいです。

僕たちはそうやってしか生きられないわけです。

 

そういう事を、今はそういう世の中なんだという事を、一旦みんな冷静に考えて理解しておく必要があると思うのです。

学校でも旧態依然とした文脈で受験のテクニックばかり教えるんじゃなくて、

昔とどう変わったか?という現実を教えなければいけない。

 

「未来はどんどん変化すると思うよー。

どう変化するか分かりにくいから世の中の動きを注意して見て、どこにいくかを予想して、外れたら修正して、

自分の生き方も変化させ続けなきゃ生きていけなくなるようなめんどくさい時代ですよ。」と。

あと5年で逃げ切れる中高年もそこから意外に長い人生です。

 

そんな中、最近はコロナ禍で緊急事態宣言が続き、在宅勤務で人と会うこともできず、

カラオケにも行けず、自粛自粛で商売もできず、生活すらままならない人もいる。

いつコロナにかかっちゃうか分からない恐怖に怯えて、ものすごくストレスが溜まり、世の中がギスギスしてきました。

気が狂いそうな人もいると思います。本当に嫌な時期です。

たまたま久しぶりに会った人が話を聞いてる最中に泣き出すケースが多いんです。

 

いつも心配している実存的不安が顕在化している状態で。

しかも世界中そうだから逃げ場もなく、初めて出会う恐怖の「目に見えないコビト」とマスクして毎日戦う。

活動は極端に制限され、マスクなしでは外にも出れない。

それでも暮らしていかなきゃいけない日々です。

また一つ実存的不安の種が現れた。いやですね。本当に。

どこまで頑張れば達成できるのか分からないまま、底無し沼に落ちてもがいてるような気分です。

 

これで生き方を変えなきゃいけない人もわんさか出てくるでしょう。

 

平然と立っていられるためにどうすればいいんだろう?

もうどうしようもないので、自分で打てる手は全部打ツ。

コロナの嵐が過ぎるのを待って、我慢して乗り越えるしかありませんね。

ワクチンくれ。もうすぐ終わるもうすぐ終わる、と思うしか無い。

そして、この騒ぎが終わったときに、本当にやりたい事を考える。

その準備をする。

 

時代が変わっていく事を理解して、打つ手は全部打った、それでもくるなら仕方ない。

と、大きく構えておかないと不安と心配に押しつぶされちゃう。

 

他にも、問題になっている環境破壊の影響で、これからもいろんなことが起きるだろうと予想できるような時代です。

危険な時代。

この先10年で対処できないと地球の未来はないとまで言い出した。

地球じゃなくて人類の未来が無いだけなんだけど。

 

変わっていく時代の中で、自分の命を守るための当たり前の行動。っていうのをいつも考えて、

毎回乗り越えていかなくちゃ気がついたら殺されちゃうような社会。

自分の将来に向かって、いつでも自分のいく先を修正して生きていく覚悟みたいなものが必要になる、めんどくさいことになるんでしょう。

 

ニューノーマルという言葉がいまいち内実が掴めない気がするのは、

この、自己の修正という作業を強いられるはずのポストモダンという時代にとっくに入っていた事を

ちゃんと理解して受け止めなかったからだと思いました。

なんに対してのニューでノーマルなのか?

 

後期近代の中で起きた変化の後に、色んな問題を経て、ツケを払わされ、

それに対処していく形をニューノーマルと呼ぶんじゃないんでしょうか?と勝手に考えています。

つまり、バブル前後の社会の考え方からいきなりニューノーマルは生まれない。

ということですね。ちゃんと変化を踏襲しないと理解できないですよおじさん達。って事で。

 

この動き、コロナが明けたら加速しますよ。

 

プロフィール
CMプロデューサー
櫻木 光
プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが、矢面に立つのは当たり前と仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。

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