プロダクト2017.06.23

東京で知った金沢のブランド。彫金アクセサリーから、生活道具へ。暮らしの中に美しさを

金沢
彫金師 竹俣 勇壱氏
1975年金沢市生まれ。オーダージュエリーを中心に創作活動を行い、2004年アトリエ兼ショップ「KiKU」をオープン。
金沢市を代表する観光地、ひがし茶屋街。石畳の道の両側には紅殻格子(べんがらごうし)のあるお茶屋や町家といった歴史的な建物が並びます。行き交う観光客のざわめきに混じって、どこからともなく三味線や太鼓の音が流れてきます。彫金師・竹俣勇壱さんのアトリエ兼ショップとなっている築約200年の町家は、そんな江戸時代の面影を残す町並みの一角にひっそりと建っています。生まれ育った金沢で創作活動を続ける竹俣さんに、ふるさとへの思いやものづくりに対する情熱についてうかがいました。

自分が着けたいアクセサリーを自分で作ろうと彫金の道へ

彫金の道を選んだのは、どんなきっかけがあったのでしょうか。

もともとシルバーアクセサリーが好きで、ある時自分が身に付けるアクセサリーを探していたのですが、身につけたいと思うものが見つからず、自分で作るのが手っ取り早いと思ったんですね。高校卒業後はアルバイトをしていて、そろそろ手に職をつけようと考えた時にこの仕事を選びました。バブル経済が崩壊した後です。バブルの頃には、飛ぶように売れた金やプラチナのアクセサリーが売れなくなったのに対して、シルバーや古着がデザインを施すことで、高額な商品になって売れることにおもしろみも感じていたんです。

彫金はスクールで学ばずに、すぐにジュエリー工房へ入られたのですね。

ジュエリーの専門学校はあっても、卒業して彫金に携われるのはひと握り。結局、宝飾店やアパレル関係の営業職がほとんどという現実をみて、現場で働くことを選択しました。たまたまそこに工房があることを知っていたこともあり、弟子入りをしました。

彫金を学ぶ苦労も多かったのではないですか。

今なら考えられませんが、月給は2、3万円だっと思います。近所のアパートに先輩後輩と一緒に住んで、朝5時、6時からスタートして遅い日は深夜の3時ごろまで働きました。でも、修行だと思っていたので、苦痛ではありませんでした。

バイクを売って彫金道具をそろえる

ジュエリー工房で技術を身につけた後、独立してアクセサリーの製作と販売を始められたのですね

自分の好きなデザインを形にしたいという気持ちが強くなり、独立しました。資金がなく、唯一の財産だったバイクを売ったお金で、道具を買い込んで仕事を始めました。心配した友達が口コミで紹介してくれたこともあり、幸いお客様が広がりました。自宅のアパートで製作し、お客様にはファミリーレストランで商品をお渡ししていたのですが、当時、金髪の僕が小さな包みを若い男女に手渡し、引き換えにその場で現金を受け取るなんて、どう見ても怪しい。これはまずいぞと思い、工房兼ショップを開きました。2002年のことです。

最初のショップですね。どんな場所に開設されたのですか。

春4月、自転車で物件を探していたところ、金沢の街中を流れる犀川(さいがわ)沿いに桜並木の美しい場所がありまして、見ると目の前にあるビルの一階が空き店舗になっています。これは、川べりで景色もいいし、最高だと思い、オーナー会社に聞けば、「10年ほど前に喫茶店が廃業して以来、空いているのだけどそこでいいの」と言われましたが、家賃と敷金礼金も自分で準備できる金額だったので、即決しました。喫茶店跡ですから、カウンターの中に道具を並べて製作し、カウンターに商品を並べて工房兼ショップのオープンです。

初めてのショップ開設 道路凍結で2週間通行止めに

順調に進んでいったのでしょうか。

車で大通りから入ってくるには交通規制があって大回りしないと店にたどり着けなかったんです。電話で説明しても、たどり着けないお客様もいました。そして2年目の冬に、大雪が降って、川べりは、気温も下がり寒風も吹いて、道路は完全に凍り付きました。2週間にわたって通行止めになります。これはダメだと思い、2004年9月、古い商店街の中にあった町家に移り、アトリエ兼ショップ「KiKU(キク)」と名付けます。「目利き」、「鼻が利く」といったように五感の可能性と、世界共通の花である「菊」を掛けました。

お客様も広がりましたか。

この年の10月に金沢21世紀美術館が開館しました。メディアの注目が高く、取材チームが金沢へ足を運ぶことが増えたんです。アートに関心の高い方々が雑誌に紹介してくれたこともあって、都内の百貨店から催事で出店しないかという声も掛かるようになりました。老舗の百貨店での売上が上がると、ギャラリーからも展示会の誘いをいただくようになり、金沢ではあまり売れなかった商品が、東京では次々と売れていきました。

お客様が抱いてくれる「金沢」のブランド 東京でふるさとを再認識

東京に移ることは考えなかったのですか。

僕自身はそれまで、金沢ということにこだわったことは一度もありませんでした。同じように東京にもこだわりを持ちませんでした。それでも東京に呼んでもらえるのは、逆に地方にいるからなんだろうと考えました。都内の百貨店ではお客様が「金沢から来たんですか。そんな遠くから。じゃあ、一ついただくわ」と言って買ってくれます。これが「浅草から来ました」とか、「代官山に店があります」と言えば、そんな風にはならないのかなと。

意識していなかった「金沢」を東京で再認識することになりましたね。

彫金というのは、産地に全く関係ないんです。漆や陶芸のように、素材がその地で手に入るわけではありません。外国から輸入される鉱物から創り出すものですから。そんな意味では「場」にこだわりはなかったのですが、お客様が「金沢」にブランドを持ってくれるのです。さらに、東京の仲間たちの話を聞くと、「注文を月末までに現金化して家賃を払わなくては」と資金繰りに苦労しています。家賃相場は、こちらとは比較になりませんし、そのために早く仕上げるというのでは、ものづくりに集中できないとも思います。

ふるさとである金沢を拠点にしたことが良い結果に結びついていますね。

これがもっとへき地であれば、家賃はさらに安いでしょうが、お客様が持つイメージは変わってしまったかも知れません。北陸新幹線開業後は、観光客もたくさん訪ねてきてくれます。おいしい料理を食べて、美術館で芸術に触れ、僕らの商品を買い求めてくれるというのも、金沢という土地ならではです。

秋には生活シーンを表現する新店舗をオープン。

観光地であるひがし茶屋街に2012年に新たな店舗「sayuu」を構えたのも観光客需要を見越してですか。

いや、そうではないのです。街中で、風情のある場所に住みたくて、空いていた町家を選んで、自宅兼用でショップと工房を開いたのです。しかし、新幹線開業後はちょっと住みにくくなりました。朝から観光客が詰めかけるから、以前のように短パンにサンダルでゴミ出しするのもはばかられるようになりました。中には、家の中をのぞき、カメラのレンズをプライベート空間にまで向けてくる観光客もいます。休日は大通りまで、車を出そうとしても観光バスや観光客の車の列で進まないこともしばしばです。

ものづくりは、アクセサリーやジュエリーから、カトラリーに幅が広がっています。

自分のデザインを押し付けるのではなく、「形がきれいなもの」「美しいもの」を作りたいと考えるようになり、金属を鎚で叩く「鍛金」の技法を生かして、ステンレスや真鍮のカトラリーを作っています。スプーンは、頭が大きくて、柄の部分が細いデザインが特長です。日本人には、食べ物をスプーンに山盛りにして口に入れて食べる人が多いんです。それでは、上品ではないなと思っていました。僕のスプーンでは頭の部分が大きいから、山盛りにしては一口で食べられない。食べ物を少しずつ口に運んでくれるようになるといいなと思って作ったんです。僕のスプーンで日本人の食事の仕方を美しくしたいなという野望を抱いています。

新しい店舗を計画されていますね。

秋のオープンを目指しています。ここから少し離れた東山2丁目にわずか7坪の敷地ですが、住宅街の中の町家を改築して新たな拠点を開きます。これまでのようなギャラリー風ではなく、小さな住宅の中で生活道具を使うシーンを表現したいと考えています。食器棚には食器が収まり、テーブルの上にはカトラリーが並ぶ。そんな形で販売したいですね。すでに、トイレットペーパーホルダーやテープカッターなどを作っていますが、将来は家の中の90%くらいはこのショップで買えるように、モノづくりを進めていきたいですね。新しい店舗では、東京のデザイナー、金沢の鉄工所とともに「手作り」にはこだわらない美しいモノづくりを目指しています。

取材日:2017年6月12日 ライター:加茂谷慎治

竹俣 勇壱(たけまた ゆういち)

1975年金沢市生まれ。オーダージュエリーを中心に創作活動を行い、2004年アトリエ兼ショップ「KiKU」をオープン。都内百貨店での催事や展示会での販売を行う。2007年ジュエリーに加えてスプーンやフォークなど生活道具の製作を始める。2011年金沢市のひがし茶屋街に「sayuu」オープン。
https://www.kiku-sayuu.com/

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