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グラフィック2019.12.18

より良いものを生み出そうとすると、悩んだり、苦しんだりもする。 でも、それを上回る達成感があるから、この仕事は辞められないのです

広島
Vol.35 株式会社データワークス アートディレクター
Kenji Hirakawa
平川 賢二
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広島に住み始めて30年以上。すっかり広島の色に染まっているように見える平川氏だが、元々は広島で働こうとは思っていなかったそう。しかも、デザイナー志望ではなかったというのだ。数々の広告を手掛け、広島の業界では一目置かれる存在の彼が、なぜ、この地でデザインの道へ進んだのか、お話を伺った。

本当は音楽に携わる仕事をしたかったが、思いもよらないアクシデントが!

広島に来たきっかけなどを教えてください。

高校を卒業して、広島の予備校に入学したのが縁ですね。実は元々デザイナー志望ではなく、音楽に携わる仕事がしたかったんです。浪人生活をしながら、これからどうしようかと考えていた時、自分は音楽が好きだから、音楽に携わる仕事をしたい! と進路を決めたのです。とはいっても、僕は歌は上手くないし、楽器の演奏もできない。だけど、何らかの形でアーティストに力を貸したいと思った。友人がバンドを組んでいたり、周りに音楽をやっている人が多かったりということも影響していたのかも知れません。
本当は、東京のレコーディングスクールに進学する予定でした。入学金なども払い終え、住むアパートも確保していました。その頃400㏄バイクに乗っていたのですが、なんと、交通事故に遭ってしまったんです。広島で住んでいた部屋のカギを、不動産屋さんに返しに行った帰りのことでした。重症だったので入院を余儀なくされ、広島から出られなくなったんですよね。
それが思いのほか、なかなか治らず、結局1年入院しました。その時、入学が決まっていた専門学校はどうしようか、と心配になりました。その学校に理由を話したら「1年遅らせて入学しなさい」と言われホッとしていたのですが、1か月くらいして閉校してしまったんです。寝耳に水です! だけど、リハビリを頑張って退院したときに「デザインでもやってみようかな」と思うようになったんです。

音楽関係の仕事に就きたいと思っていたのに、なぜデザインを?

浪人時代にバイトをしていたところが、レンタルレコード屋さんだったんです。当時は、カセットテープも一緒に販売していたのですが、売れ残ったテープがけっこうあったんですよ。それを、店長に「売ってほしい」頼まれまして。それで、テープの売り場を装飾したり、コピーを書いたりしたんです。本屋さんのポップみたいなものですよね。そういうことをしていたら、売れたんです。自分はまだデザインのことなど一切分かっていなかったのですが「なんか、楽しい!」と思ったんです。それで、そういうことに携われるところがないか探していたら、そのバイト先に来るコピーライターが「デザインを勉強できるところが広島にあるよ」と教えてくれたんです。事故で入院したことも含めて3年くらい広島に住んでいたので、そこで頑張ろうかな、と。専門学校時代の担任が、僕が最初に入った会社から教えに来ていた人で「うちに来ないか」と誘われたこともあり、新卒で入社することに決めました。
なので、僕の場合、特別広島に愛着があったわけではないんですよね。広島からただ、出られなかっただけなんです。よく言われるのが「誰かに後ろ髪をひかれたのでは?」ということ。それは、カミさんかどうか知らないですけど(笑)。

デザイナー人生がスタート!「普通じゃないことをやる」のが面白い

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キャッチコピー「便利さと引きかえに失うもの。」

新卒時代から現在まで携わってきた仕事について教えてください。

今までにやってきたデザインは、不動産関係が多いですね。僕が最初に入った会社で流通や不動産関係の仕事を担当することが多かったですからね。主に紙媒体ですが、マンションや戸建て、宅地などの広告です。
市内のとある高級マンションのチラシに携わったことも忘れられません。その話が来たとき、マンションの売れ行きが芳しくなく、不動産屋さんから「人を呼ぶチラシを作ってほしい」と依頼されたのです。一般的に、週末とかに1日で呼べる人数は、ヒットして30~40組です。それは、何か景品を用意したり、イベントをやったりを含めてのこと。その不動産は、そういったことに頼らず、富裕層を狙っていたのです。なんと、僕がデザインしたチラシで、結果300組くらい来られたそうです。別に、来場者特典などは全くなかったんですよ。なぜ、そこまで集客できたのか? それは、けっこうビジュアルがおかしかったからかな。それに、コピーもちょっと変わってた。「都心の静謐(せいひつ)」みたいな。今でいうマンションポエムってやつです。そこで僕は初めて「静謐」という言葉を覚えましたよ(笑)。

当時は今よりポエムっぽい表現が多かったのですか?

いやあ、そういうのばっかり。マンションのコピーって、今だったらけっこう規制されますよね。ありもしないことは言ってはいけないとか。例えば「ここに住んだら、あなたの生活が豊かになりますよ」とかね。でも、そのころは、そこまで規制はなかったと思います。「都心の静謐」って謳ってるわりには、そんなに静謐ではなかったし(笑)。僕がデザインしたのは、暗めの空を背景にして、真ん中にポツンとマンションを配置したもの。それがメインビジュアルでした。

その時代では異質な感じだったのでしょうね。

そうですね。周りからは「変なの作るよね」と言われました。とは言っても一応、不動産関係のデザインをやるうえでのセオリーみたいなものは叩き込まれているわけです。「ここで大理石を使うと、少し高級感が出るよね」みたいな。そういったことはある程度やりながら「自分らしい表現」をいろいろと試してきた。そのうち、だんだんと認められていったんじゃないかな。

デザインをしていく上で、大切にしていることを教えてください。

「他人がやらないことをやりたい」と常に思っています。かなり前の話ですが、ある日、有名なイラストレーターさんが営業に来られました。彼の絵のタッチは和風で、どちらかというと日本画のようなイメージ。このような絵はイラストというよりも、絵画みたいな感じで取り扱われるものです。作家さんのような感じの人だったので、初めのうちは、自分たちが広告で使うようなものはなかなかないかな、と一歩引いていた。ですが、思い切って「広告にチャレンジしてみませんか?」と持ち掛け、ある団地のチラシに採用したのです。そうすると、そのチラシを見た人が「何だろう?」と思うでしょう? さらに、その絵をきちんと1枚の額にして、現地、住宅展示場で小さな個展もやりました。それは好評だったのですが、ご本人には「広告業界は、なんか変なところに修正を加えるよね」と言われちゃいました。「イラストの髪の色や髪形を変えろと言われたら、イチから描き直さなくてはいけないじゃないか」とも。ですが、そういうことって、この業界では絶対にあることなんです。
今まで不動産に限らず「普通ではないものを作りたい」という気持ちで、いろいろなチャレンジをしてきたつもりです。それが、良い結果に繋がり、広島でもそれなりに認められるようになったのかな、と思います。僕は賞とか獲ったことがないんですよ。大手広告代理店と一緒に仕事をしていたら、おのずとそういった道ができてくるんだけど、僕はあまり興味がなかったもので。面白い表現をしたいだけで、賞を獲りたいという面白さを追求してはいないのです。「自分は無冠の帝王でいいや!」って自己完結してます・・・(笑)。
ですが、ちょっとは「自分が作った証」のようなものがあれば嬉しいですよね。何かカタチとしてずっと長く残るものとか。僕のことは知られていなくても、誰かがそれをずっと見続けるモノ。誰かに自慢をしたいわけではありません。今日のように取材を受けたら話しますけどね。自分で見てほくそ笑んでいる、みたいな。そういう気持ちって、こういう業界にいなければ分からないんじゃないかな。

なんだか建築家みたいですね。クリエイターならではの醍醐味って感じ!

ほんと、そう! でも、30年以上やってきて、そういったカタチに残るような仕事に携われることって、2、3個くらいしかないんですから。10年に1つ何かできたらいいな、と。基本的に、残り続けて伝説になるような広告って、なかなかありませんよ。でも、自分の中で「あれ、良かったね」とか、自分に自分を自慢する、みたいな。だから、僕は手抜きができないんですよね。どんな仕事でも。手を抜こうが、抜くまいが、出来上がるものには代わりはないから。
良いものを生み出すのって、苦しいですよね。でも、それをカバーする達成感みたいなものがあるから、こうして長く続けられているのだと思います。僕の歳になったら、別に誰かをあっと驚かそうとか、世の中に打って出ようとか、全くないわけですよ。とにかく、今までの経験を活かして下手を打たないようにするだけです。「今からアーティスティックにやっていくぜ!」みたいなことは微塵も思わないようになりました(笑)。

新しい場所へ行くのなら何かを捨てることが必要。その覚悟はありますか?

この業界は今後どのようになっていけば良いと思いますか?

今の時代、自分たちが教えられてきたことや体験したことなどは、若い人たちに通用しないです。長年、人を教えてきて思うのは、やはり、僕たちがやってきたことがある程度通用する人間でないと、長続きしないということ。「ちょっとキツイ」「どうして早く帰れないの」とか言うのなら、辞めればいいと思ってしまいます。自分が納得いくものを作ろうと思ったら、時間がかかることもあるでしょう。僕の教えるスタンスは「時間がかかるということは、悩んでいるんだよね? それは自分で答えが出せないんだよね? 答えが出せるようになったら、早く終われるようになるのはわかるよね?」そのようにして判断をさせること。それは、僕自身が先輩たちから教えられてきたことと全く変わりはありません。
でも、1つ言えることがあります。センスはどうしても教えられません。自分のセンスに合うように育て上げるのは無理です。実は、それを試したことがあるのですが、全く違うデザインが上がって来たことがあります。センスって多少は磨くことはできますが、無いものを有るものにするということはできない。それはもう、波長とか、生まれ持った素質なんじゃないでしょうか。これが、30年人を教えてきて出た答えです。たまに、同じような考えの人や感性を持った人はいますが、今までにそういった人に出会ったのは数人ですよ。それに、同じようなセンスを持った人間は、こういう業界にいると独り立ちするので、交わることはあまりなかったですね。

広島のクリエイティブ業界の特長や魅力って何でしょう。

広島は自動車産業や、それに付随する工業系の企業が多いというイメージです。なので、そういった業界が元気だと、それに携わっている広告代理店や制作会社も元気があるな、と。確かに、東京や大阪と比べたら広告の量が違います。広告の量は人口に比例するところもありますからね。広島にも大手の代理店がありますけど、やはり地元に長くある老舗が頑張っているなと思いますよ。

最後にU・Iターンを考えている皆さんにアドバイスを。

故郷に戻るということは、何かを捨てないといけないのかな。それをしていかないと「自分は、やはり馴染めない」という結論にしかならないと思います。僕がフリーランスから、今回のように就職したこともそうです。「自由な時間」というものを捨てましたからね。U・Iターンに限らず、会社を辞めて違うところに行くとしても、そこにどんなルールが待ち受けているのか分からない。
僕が今回、フェローズさんに仕事を紹介していただいたのは「自分ができることは、これしかない」と思っていたから。もしかしたら、ほかにも稼げる何かがあるのかも知れないけど、僕には分からなかった。皆さんも「自分はクリエイターしかない!」と思っているなら、相談してみてはどうでしょうか。また、本当に地元を支えようと思ったら「地元の企業」が狙い目だと思いますよ。

取材日:2019年11月21日 ライター:橘髙 京子

プロフィール
Vol.35 株式会社データワークス アートディレクター
平川 賢二
島根県益田市出身。日本デザイナー学院広島校卒業後、株式会社アドリブに入社。35歳で独立。有限会社FLAT3設立、約8年同社に勤務。その間、突然脳梗塞で倒れ、2年ほどリハビリに専念。退職後、約6年フリーランスで活動し、2019年10月から現職。

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