グラフィック2019.04.17

地方でクリエイターを育てる土壌を!福岡にこだわり活動するキャラクターデザイナー

福岡
イラストレーター、キャラクターデザイナー 谷口 亮 氏
Profile
1974年、福岡市生まれ。1997年、アメリカ・カリフォルニア州のカブリオカレッジをアート専攻で卒業。企業のキャラクターや雑誌のイラストなどを手がけるほか、オリジナルのネコキャラ「ヌヌコ」のイラストやグッズを制作。2020年東京オリンピック・パラリンピックのマスコットをデザイン。
物心がついた頃から絵を描くことが好きで、イラストレーターになりたかったという福岡市出身の谷口亮さん。まわりのクリエイターが仕事を求めて東京に出ていく中で、地元にこだわり続け、ついには渾身のキャラクターが世界的なスポーツ大会のマスコットに選ばれ、一躍脚光を浴びました。福岡でどうやって仕事をつかんでいったのか、ローカルだからこそ感じる課題など、本音をたっぷり伺いました。

父親の影響で絵を描き始め、“遠回り”するためアメリカへ

谷口さんのキャリアについて教えてください。小さい頃から絵が好きだったのですか?

福岡市早良区で育ち、物心がついた頃からよく絵を描いていました。親父がイラストレーターなので、影響を受けたのかもしれません。特にドラえもんやトムとジェリーが好きで、この前、保育園が同じだった友人に会ったら「劇の時にネズミ役でジェリーを描いてて、すっごくうまかったよね!」と言われました。かわいいのが好きだったんです。
小学生になるとファミコンのゲームキャラを考える人に憧れたり、マンガもいいなと思ったり。オリジナルを描いていて、「コロコロコミック」や「コミックボンボン」のイラストコンテストでは何度か賞をもらい、イラストがシールになったこともあります。
将来は絵の仕事をしたいと思っていましたが、親父から「普通の高校に行ったら?」と言われて、地元の高校に進学。大学はアメリカに行きました。

なぜアメリカを選んだのでしょう?

美大は合格の基準がわかりづらいという噂で、運任せは嫌だなと。ならば専門学校はどうかと親父に相談したら、「できるだけ遠回りをして、たどり着くようにしなさい」と言われて。それで、アメリカのカリフォルニアにある大学へ行くことにしました。中学2年と高校2年の夏休み、アメリカにホームステイに行くツアーに参加して、とても面白かったからです。

アメリカでの大学生活はいかがでしたか?

最初の半年は現地で英語をみっちり学び、それからガブリオカレッジでアートを専攻しました。アメリカの大学は猛勉強しないと単位が取れず、卒業もできないので、人生で一番勉強しました。アートはもちろん、歴史や数学などの一般教養の授業もとても楽しくて、知識が入ってくるという喜びを感じました。
学校で技法は習うけど、絵って、教えられるものというより、自分でたくさん描くことが大事だと思っていて、大学生活はどっぷり絵を描けたというのがすごく良かった。デッサンに没頭したり、スケッチブックを持ち歩くという課題が出て、外でスケッチして、バスの中でも人を描いたり。そして1997年に22歳で福岡に戻りました。

「キャラクターでいく」と決めて、地道に活動を続けた

帰国された時、将来についてどう考えていましたか?

絵の仕事をしたいという軸は決まってましたが、どんな絵を描いていくかは定まってなくて。

風景なども幅広く描いていたのですか?

いえいえ、風景は大っ嫌い(笑)。人ばかり描いていて、リアルなものもかわいいテイストも、マンガイラストも好きでした。福岡に帰って来て、とりあえず流通センターでアルバイトを始めました。
親父の事務所に遊びに行った時、中学生の時に描いていた玉ねぎマンというキャラクターをふと思い出して、耳をつけて猫にしたら面白いかなと描いてたんです。それを親父がチラッと見て、「それ面白いやんか。お前はキャラクター1本でいけ」と言われました。親父は高校生くらいまで僕の絵を褒めてくれてたけど、その後はダメ出しばかりに…。それが5年ぶりぐらいに「あ、褒められた!」と驚きました。

それで、キャラクター1本でいこうと。

はい、プロが言うなら、と(笑)。まずは作品を人に知ってもらわないと始まらないと思い、キャラクターをいくつか考えてポストカードなどにして、週末にひとりで天神の路上で売っていました。すると同じようにアート活動をやっていた友人から「一緒にやりませんか?」と誘われ、アクセサリー作家や弾き語りの人たちと一緒に路上でやるように。2年ほどは毎週、路上でやっていました。

そこから作品が売れるようになったのですか?

作品はボチボチ売れたけど、1枚たかだか100円200円。それで生計を立てようという気はなく、とにかく知ってもらうための宣伝活動でした。そのうち人脈が増えていって、つながりから少しずつ仕事をもらえるようになりました。

つながりから仕事になるというのは、具体的にはどんな感じでしょうか?

最初にもらった大きな仕事は、ある信販会社のキャラクターでした。路上で僕の絵を気に入ってくれた方の集まりに参加して、そこで名刺を渡していた方が、たまたま知り合いから「キャラクターを作ろうと思っている」と聞いて、僕の名刺のイラストを見せてくれたらしくて、キャラクターデザインを頼まれました。あるときはバーで飲んでたら、たまたま横に座っていた方から仕事をいただいたことも。外に発信するためにグループ展をしていたら、福岡の広告代理店の方が立ち寄って連絡をくださって、その方とは今でも一緒に仕事をさせてもらっています。

福岡を拠点にしながら、東京の仕事もされていますね。

初めのうちは東京の芸術祭やデザインフェスタなどのイベントに出展していたのですが、なんか違和感がありました。僕は作品を売りたいんじゃなくて、仕事がほしかったから。それで東京に行く時、mixiで知り合った東京のアートディレクターの方に連絡したら、「谷口くんはキャラクターがかわいいから、パズル雑誌とかいいんじゃないの?」と言われて、パズル雑誌を何社か回ったら、そこでレギュラーの仕事などをもらえました。それから少しずつレギュラーが増えて、安定してきたのは30歳くらいからでしょうか。

他にはどんな仕事を?

Benesse(ベネッセコーポレーション)さんの仕事など小学生向けの教育機関のお仕事が割と多いです。
「キューティー★マミー」という松本伊代さん・早見優さん・堀ちえみさんのユニットのシングルジャケットのイラストを描かせてもらったり、人生ゲームのパッケージのイラスト、コンシューマーゲームやスマホゲームを少し。自分が好きでプレーしていたモンスターストライク(株式会社ミクシィ)のPRにも絡ませてもらいました。

世界的なスポーツ大会のマスコットに選ばれて、仕事に変化が

キャラクターをデザインする時、大切にしていることは?

なるべくシンプルなデザインにしています。シンプルなほうがインパクトが強いから。依頼された時は、いただいたコンセプトや会社のイメージなどをもとに考えます。打ち合わせの途中にひらめいて、こんなのどうかなとその場で描くことも結構あります。

昨年は、世界的なスポーツ大会のマスコットに選ばれましたね。

はい、公募で2000件を超える作品の中から3作品に絞り込まれ、全国の小学生による投票で自分の作品が決まった時は、うれしかったです。それまで何度か公募に出したことはあったけど、一度も採用されたことがなかったので。自分らしいテイストの作品を出していたので、余計にうれしいです。

マスコットに選ばれてから、変化がありましたか?

僕は何も変わらないのですが、まわりが変わって、地元福岡の仕事が増えました。これまでほとんど東京の仕事でしたが、今は半々くらいになりました。
実は、そこに大きな課題を感じています。僕はこれまで福岡で20年活動してきました。でも、反応は薄くて、ほとんど東京の仕事をしてきた。福岡にはたくさんクリエイターやデザイナーがいるのに、地元で認めてくれる人がなかなかいないのです。だから、「福岡には仕事がない」と見切りをつけて、東京に出ていく人が多い。

なるほど、そういう声はよく聞きます。

僕は「東京に行けばどうにかなる」とみんなが出ていくことに反骨精神があって、「僕は福岡で何とかしてやる」と思ってました。福岡で広告やモノづくりをする人たちは、地元にどんなクリエイターがいるのか、もっと身近なところに意識を配ってほしいと思います。クライアントが、有名なクリエイターや東京のクリエイターじゃないと安心しないから…という意見もわかりますが、地元のクリエイターに目を向けて、この人がいいと直感的に思えるなら、その感覚を信じて大事にしてもらえたらなと。クライアントに「これ誰!?」と言われても、「まだあまり実績はないけど、僕はすごくいいと思うので、ぜひ使いたいんです」と情熱をぶつけてほしい。福岡のクリエイターを見つけて、仕事を回して育てていくような土壌ができれば、福岡はもっと潤うと思います。デザインも地産地消しないと、もったいないですよね。

オリジナルのキャラクターを展開していきたい

これからどんな仕事をしていきたいですか?

これまでは頼まれてキャラクターを描くことがメインでしたが、これからはもっとオリジナルのキャラクターをメインにしていきたい。稼いだお金をオリジナルに投資している段階を抜け出して、最近はようやくお金になってきました。

どんな展開が考えられるのでしょう?

サンリオさんみたいに、キャラクターありきでライセンシー契約をして、グッズを展開するようなイメージです。これは路上でやっている時から、ずっとやりたかったこと。自分で作ったキャラクターはやはり愛着がありますから。今はヌヌコ日和、フテネコなどのかわいいキャラを描いてます。

キャラクターデザイナーのやりがいは?

自分が好きなものを描いて、認めてもらえるところですね。福岡でやっていると何でも描けないと仕事になりにくいけど、何でも描いていると自分の味が出せない。今考えると、僕はキャラクターに絞っていたのが良かったと思います。最初はなかなか仕事がなかったけど、1つ仕事をすればそれが実績になり、同じような仕事が増えて、名指しで仕事をもらえるようになったので。

最後に、キャラクターデザイナーを目指す人にアドバイスをお願いします。

デザイナーに限らず、やめないことが一番。継続が力になると思います。ただし、ただただ続けるんじゃなくて、ちゃんとアンテナを張り、チャンスに飛びついていかないと。今は外に出ない人が多いと思うんですよね、誘われても面倒だからいいやとか。僕は「行ってみたらいいやん、面白いかもしれんけん」って思う。どこから仕事が生まれるかわからないし、何度も行っていると、ここは絶対に外せないとか、アンテナの感度が良くなる感覚がありいます。すぐには何もないかもしれないけど、「あの時にあの人に会ってて良かったな」と思うことって、わりとありますよ。

取材日:2019年2月15日 ライター:佐々木 恵美

 

谷口 亮/イラストレーター、キャラクターデザイナー

1974年、福岡市生まれ。1997年、アメリカ・カリフォルニア州のカブリオカレッジをアート専攻で卒業。帰国後、福岡の路上でキャラクターグッズを販売しながら人脈を培い、企業のキャラクターや雑誌のイラストなどを手がけるほか、オリジナルのネコキャラ「ヌヌコ」のイラストやグッズを制作。2020年東京オリンピック・パラリンピックのマスコットをデザイン。

 
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