グラフィック2021.01.20

小さな縁を大きな出会いに。橋口賢司さんはデザインとアートの世界をデジタルとアナログ両面で表現するクリエイター

Vol.47 福岡
グラフィックデザイナー
Kenji Hashiguchi
橋口 賢司

福岡を拠点にグラフィックデザイナー、イラストレーターとして活動する橋口賢司(はしぐち けんじ)さん。3人のお子さんの父親で、四十路を迎えたばかり。鹿児島県出身の橋口さんは子供の頃から大のサッカー好きで、高校時代は多くのプロサッカー選手を世に送り出している「鹿児島実業高等学校」のサッカー部に所属していました。

一時期はプロを意識していた橋口さんが、どのようなきっかけでクリエイターの道へ進むことになったのか。キャリアや現在の仕事、今後の展望などについてお話を伺いました。

鹿児島のサッカー少年が福岡のデザイナーに

ご出身は鹿児島県ですね。

湧水町(ゆうすいちょう)という霧島連山の麓にある緑豊かな町です。実家は乳牛がメインの牧場を経営していて、兄弟は男4人。大自然と大家族と、牛、鶏、犬、猫、ヤギなどの動物たちに囲まれて育ちました。

小学校からサッカーを始めて、高校で鹿児島実業に入り、サッカー部に入部。僕がいた頃は強豪校と言われていた時代で、部員は多いときで約150人。一つ上の学年に(後に日本代表となる)遠藤保仁(えんどう やすひと)先輩がいました

僕自身もプロを目指した時期はありましたが…鹿児島実業からプロになる人がたくさんいたとはいえ、年に1人なれるかなれないかの厳しい世界。その現実を理解して高校の途中から、プロは意識しなくなりました。

高校の終わり頃から体が小さくても活躍しやすいフットサルにはまって。現在も社会人チームの「ランブレッタ福岡」に所属しています(2020年時点はセカンドチームのランブレッタ福岡CC)。全国大会への出場も2度果たしました。

デザインに関心を持ったきっかけは?

元々子供の頃から絵を描くのは好きだったんですが、高校卒業後に測量の専門学校に通っていた頃、壁などをキャンバスにしてスプレーで大きく絵を描く“グラフィティ”に触れる機会があったんです。初めて見たとき、素直に「かっこいいな!」と感動して。

それからはグラフィティ関連の本を集めたり、イベントに参加したりして、思えばその頃からデザインに関心を持ち始めたような気がします。

そこから起業に至るまでの道のりをお聞かせ下さい。

測量の専門学校を出た後、土木関係の会社に就職しました。3年程経った頃に公共事業カットなどの影響が出始めて、土木業界が不景気になってきたんです。先を見据えて転職を考えるようになって。

そのとき浮かんだのは「絵が好き」「デザインが好き」という気持ちでした。思い切って退職し、美術専門学校に行き直しました。卒業後は、スポーツウエアや洋服のマークをプリントする会社に入り、そこで3年程勤めました。

その後「将来のためにお金を稼ごう」と、鹿児島を出て福岡にあるトヨタの工場で期間工に。半年ほど勤め「せっかく福岡に来たんだから!」と福岡で職探しをして、広告代理店に入社しました。そこはデザインの仕事もする会社だったんですが、パチンコ店をターゲットにした案件が多く、激しめでインパクトのあるデザインを約8年手掛けました。イラストレーターやフォトショップの技術は、そこで相当鍛えられましたね。

脱サラは、家事や子育てに忙しい妻の負担を減らしたいという思いから

独立のきっかけは?

いつかフリーでやってみたい気持ちは前々からあったんですが、2人目の子供が生まれるタイミングで会社をやめようと決意しました。

家族が増えれば増えるほど、安定収入を求めそうですが…

前職は、いつも夜遅くまで仕事をして家にいる時間が少なくて、平日は子育ての時間がなかなかとれませんでした。つまり妻の負担を減らしたいという思いが強くて、家族のことを考え、逆に安定収入よりも時間のほうを考えて決断しましたね。どうにかなるだろうと思って。最初のうちは仕事が少ない時期が続きましたが、人とのご縁でお仕事を頂いてどうにかやっています。

独立して良かったです。頑張った分だけ自分に返ってきますし、一番良かったのは家族のそばで仕事ができるところですね。コロナウイルスの影響による自粛期間中も、家で働いているので感染などの心配は少なかったです。

子供は今8歳、5歳、1歳で、たまに部屋に入ってくることはありますけど、家族は僕の仕事のことをちゃんと理解しているので、家で仕事することに何の支障もありません。

屋号の“Connexion design(コネクションデザイン)”その由来は?

僕は「つながり」「縁」という言葉が好きなんですが、「デザインを通して人と人、人とデザインがつながっていくように」と願いを込めてこの名前にしました。お客さまに感動を与えられるようなデザインや商品を提供していきたいと思っています。

現在はどのようなお仕事が多いですか

企業のチラシ、名刺、フライヤー、ポスターなどの紙媒体に関するもの、ロゴマーク、イラスト、キャラクターなどあらゆるもののデザインを手掛けています。今は大手百貨店の店内POPが一番の柱です。ウエルカムボードを手描きすることもありますし、あとは看板屋さんにも週1日入って、グラフィックデザインの仕事とイラストレーターの仕事、どちらもしています。

クライアントはどのように獲得していますか?

起業して最初の頃は、中小企業の経営者が集まる会や異業種交流会などに積極的に参加していました。ただそれはあまり仕事につながることはなく、自分が所属するフットサルチームのメンバーや昔の同僚などから仕事をもらって、そこから派生して人脈が広がり、その方たちからも仕事を頂く…という感じで、ほとんど人とのつながりでお仕事を頂いている状況です。

これまで営業は一切したことはありません。巡り巡って頂く案件ばかりですね。

次々に仕事が舞い込むのは、橋口さんのお人柄はもちろんのこと、一つ一つの仕事ぶりが評価されたからこそではないでしょうか

僕の周りに、いい人ばっかりいるからかもしれません(笑)。もちろん頂いた仕事は全て妥協しません。“絶対に”手を抜かないようにしています。だからほぼ毎日、仕事は夜中までかかってしまいますが…。

なかなかいい案が生まれないとき、ありませんか?

あります。そんなときはいろんなものを見たり、あとはお客さまと話していたらデザインが浮かんでくることがあるので、よくお客さまと雑談しますね。

どんなときにも諦めない精神やポジティブなところは、サッカーで鍛えられました。礼儀や上下関係にとても厳しかったですし、そこで得た忍耐力、我慢強さなんかは、今もしっかり自分の中に生きています。

このお仕事のやりがいは

完成したデザインをお見せしたとき、お客さまの喜びが直に伝わるところです。直接やり取りするので、先方の反応も聞くことができるので、そこがいいなと。あとは、普段会わないであろう人と出会えること。人脈の枝も方向も増えました。 

縁とつながりの先に見えてきた未来への展望

ネットが普及し、場所にこだわらずに仕事ができるようになったぶん、ライバルも多いと思います。同じ業界の人と、どのように差別化を図りますか。

今以上に手に職をつけていきたいですね。元々、絵を描くことが得意だったこともあってウエルカムボードなどの製作もしていますが、独学でしてきたので…。最近、似顔絵の講座を受け始めました。

今後は、ウエルカムボードや、還暦、誕生日といったお祝い用の似顔絵などのアートに、さらに力を入れていきたいです。似顔絵師としてイベント会場で絵を描いたり、自分の書いたイラストのグッズを作ったりしたいですね。あと、元々関心があった壁画アートも学ぼうと、エアブラシスクールにも通っています

さらなる高みを目指すわけですね

年を重ねると新しいことを始めるのが億劫(おっくう)になっていくじゃないですか。でもだからこそ「自分を追い込んで、尻をたたいてでも新しいことに挑戦していかなきゃ!」と思っています。

受講料や材料を揃えることなどにお金はかかりますけど、自分の財産になるので。手描きも、グラフィックデザインもできる!というのが、自分の強みになると思います。

似顔絵は、描きにくい顔と描きやすい顔がありませんか?

あります。似ないときは何度も描き直します。似るまで描き続けますね。煮詰まったら、時間をおいてまた描いて…。自分でみるとまだ似てないかなと思うものも、他の人に見てもらうと「似てる!」と言われることもあるので、対象者の身近な人に見てもらうようにしています。

今後のビジョンについては?

手描きの仕事を増やして、グラフィックデザインとうまく両立していきたいです。パソコンで作るグラフィックデザインは、変更したい点は簡単に取り消しができるし、配置も変えられるし、背景に写真などを入れることもできますが、手描きは失敗したら塗り直しをしたり、一からやり直し。それだけ大変さはありますが、手で描くって温かみがあって、深みがあると思うんですよね。

デザインに携わるようになって約15年。続けることができたのは?

原点である「絵を描くことが好き」という気持ちを失わなかったことです。そして、仕事を通じて人とのつながりができ、作ったものを喜んでもらえる。喜んでもらうのがうれしくて次へのモチベーションにつながる。「あのデザインよかったね」と言われるとパワーが出る。そういう喜びの積み重ねのおかげです。

仕事の拠点として選んだ“福岡”の魅力は?UターンやIターンに向いている土地なのでしょうか。

「東京に行きたいとは思わなかったか」と聞かれることもありますが、僕は思ったことはないですね。夫婦そろって故郷の鹿児島が好きなんですが、福岡は鹿児島から帰りやすい都会です。新幹線を利用すれば時間もかかりません

いろいろな所から人が集まってくるので仕事も多いのと、何より住みやすいです。人も接しやすいですしね。“まち全体”が、これからもまだまだ発展していくんじゃないかという期待もあります

最後に、同じ業界を目指す人へアドバイスをお願いします。

デザインは、自分が見たものや記憶に刻まれているものプラス、想像からできると思うんですね。ですから、美術展に出かけたり、いろいろなものを見ることがいいのではないでしょうか。僕もいろんなものを見て「これ格好いいな」と刺激を受けて、それが自分の引き出しになっていると思います。

そして、独立を迷っている方にはよく勧めてるんですけど「どんどん独立したほうがいい!」ですね。「殻を破ったらいい」と思います。ある程度の経験は必要だと思いますが、起業するといろいろな人と出会える面白さがあるので、ぜひ、起業して欲しいと思います。スケジュールを調整すれば、自分の時間も作りやすいですしね。特にフリーになったら、パソコンさえあれば場所を問わず仕事ができるのでおすすめです!

取材日:2020年11月13日 ライター:中島 敬子

プロフィール
グラフィックデザイナー
橋口 賢司
1980年生まれ。鹿児島県姶良湧水町出身。個人事務所「Connexion design」代表。土木業界を経たあと、美術系専門学校で学びデザイン業界に転身。会社員時代にデザイナー時代で培った経験を生かし2015年に独立。幅広い人脈を生かし、パソコンを使ったグラフィックデザイナー、手描きのイラストレーターとして活躍中。福岡市博多区在住。
Facebook: https://www.facebook.com/connexiondesign

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