映像2020.08.19

関東からの移住を“楽しむ”映像制作プロデューサーは「北海道の眠れる魅力」にわくわくしている

Vol.42 札幌
映像制作プロデューサー
Yo Kimura
木村 陽

映像制作プロデューサーの木村陽さんは、神奈川県横浜市の出身です。地元の高校を卒業してからカナダ留学を経て、東京で20年以上にわたり映像制作の実績を重ねてきました。北海道札幌市に拠点を構えたのは2018年のこと。

横浜と札幌を行き来するデュアルワークを続け、2020年、北海道での活動を本格化させました。あらゆるものがそろう首都圏から遠く離れ、北海道へIターンすることに不安はなかったのでしょうか。木村さんの思いを伺いました。

裏方として映像と信頼関係をつくってきた

関東から札幌へIターンした木村さんに、最初はお仕事から伺います。どのようなジャンルの映像を手掛けてきたのでしょうか。

テレビ番組の制作アシスタントとして映像業界に入り、20年以上が経ちます。今まで報道、バラエティ、ドキュメント、通販のほか、映画やCM、PV(プロモーションビデオ)、MV(ミュージックビデオ)、ウェブ動画など、さまざまな映像制作を経験してきました。仕事として扱ったことのないジャンルに対しても常にアイデアを巡らせています。

木村さんの具体的なお仕事をお聞かせいただけますか。

なかなか戸惑う質問ですね。実は、師匠である映像プロデューサーに「われわれ制作の人間は黒子である」と教えられ、ずっと裏方に徹してきました。完成した映像はクライアントや出演者の作品であって、自分の作品と考えたことはありません。

自分を成長させてくれた仕事という意味では、大手映画会社や大手自動車メーカーの映像制作でしょう。いわゆるナショナルクライアント(全国的な知名度のある大企業)の仕事は規模が大きいだけあり、いろいろな経験ができました。外資系製薬会社に依頼されてMR(医薬情報担当者)向け映像制作セミナーの講師をした経験も、今に活きています。

現在の仕事スタイルにつながる転機を教えてください。

映像の世界に飛び込んで2年、テレビ番組のADからD(ディレクター)へと昇格した頃、アミューズメントパークに出向しました。制作会社の社員のままで、クライアント企業の社内クリエイターという立場になったわけです。駆け出しのうちに、映像制作の全体像を発注側、つまり最上流から見られたのは幸運でした。

仕事を受注する側からは見えず、発注する側になったから見えたこともあります。一つの仕事に関わるスタッフの「関係性」は、その一例でしょう。クリエイターのモチベーションを上げる発注の仕方、クライアントを納得させる提案など、人間力と呼ばれるようなものが学べましたね。このときの経験が、「ものづくりとは、成果物だけではなくリレーションシップをつくることなのだ」と気付かせてくれました。

家庭と遊びのなかにクリエイティブがあった

映像に興味を持ったのはいつ頃でしょうか。

もともと映画が好きで、大学時代は、年間500本くらい映画を観る生活をしていました。このときは観るだけで、つくることはしていません。

初めて映画を撮ったのは、中学生のときです。剣道部と掛け持ちで創作クラブに入って、小説を書いたり、映画を撮ったりしていました。

今、振り返ってみると、テレビアニメを観て、そのキャラクターをチラシの裏に描いて遊んでいた幼年期から、映像に興味はあったのかもしれません。当時、父がCM制作会社に席を置いていたこともあり、絵コンテをよく目にしていました。そのときCMをつくりたい、映像の仕事がしたいと思ったわけではありませんが、きっと何かしらの影響は受けているのでしょう。

クリエイティブがとても身近な環境だったのですね。

床が抜けるほど大量の本に囲まれ、家の中にはクリエイティブな遊びが当たり前のようにありました。父が広告の世界にいたことも大きいと思います。

ラジオの番組表をつくって、父が取材で使っていたテープレコーダーでラジオ放送のまねごとをしたり、私がピアニカ、兄がサックス、姉がほかの楽器を持ちだしてセッションしたり。お年玉で買ったマイコンでゲームをつくったり、絵を描いたりもしていました。当時から今に至るまでぶれずに好きなのは、ストーリーを描くことですね。

映像の道へ進んだ理由を教えてください。

強い意志というよりは、なりゆきです。高校を卒業した後、周りの勧めもあってカナダに留学しました。卒業後またカナダに戻るつもりで帰国して、アルバイトを探していたとき、父に紹介されたのが、映像制作会社だったのです。

映像に興味があるといっても、知識やスキルはほとんどない。それなのに入社2日目からいきなり現場に出ることになりましてね。小学生を捕まえてアンケートに答えてもらいました。あと自分でエキストラ役をやったあげくに、NGを13回も出しちゃいました。まあ悪戦苦闘しながらも楽しかったですよ。そんな中で仕事を覚えていきました。

北海道は豊かな自然と整ったインフラが魅力でした

木村さんと北海道の関わりを教えてください。

初めて北海道に来たのは、高校生のときです。当時、父が北海道に新しくオープンするテーマパークの仕事をしていました。足繁く北海道に通っていたので、興味が湧いて私も遊びに行っていました。だから、なじみのある土地とまでは言えないけれど、知らない土地ではないというのが、私と北海道の関係性です。

移住への不安はありませんでしたか。

まるでなかったですね。移住してからの暮らしや仕事について、それほど深刻には考えませんでした。映像制作は、場所に縛られない仕事だからでしょうね。どこにいても仕事はできると考えていました。

妻は医療関係なので、やはりどこに行っても仕事はあります。当時、娘は小学4年生でしたが、子どもは柔軟性や適応力があるので心配していませんでした。実際、新しい学校にも生活にもすぐになじんでいましたよ。

札幌を選んだ理由を教えてください。

まず、豊かな自然が暮らしの近くにあること。コンクリートや人工物ではなく、自然に抱かれて生活することは、思春期を迎える娘にとっても、私や妻の心の健康にとってもいいだろうと考えたのです。

そして、東京へのアクセスの良さ。飛行機を使えば、3時間ほどで移動できます。これは重要なポイントでした。東京の仕事を継続していたので、どうしても東京にいなければならないときもあったからです。

さらに、札幌はいわゆる五大都市圏の一つでインフラが整い、産業の集積地でビジネスチャンスもある。それは魅力で、東京を脱するのも面白いかもしれないと思いました

直接のきっかけは、妻の転職です。札幌で開院するクリニックからスカウトされたので、いい機会だと考えて移住を決めました。

知り合いのいない北海道で、どのように仕事をスタートされたのでしょうか。

2018年に引っ越したものの、昨年までは東京の仕事がメインでした。北海道で本格的に活動し始めたのは今年になってからです。

まず、株式会社フェローズ札幌支社を訪ねてみました。実は、東京でニュース番組をつくっていたとき、スタッフの派遣元がフェローズだったので、なじみがあったのです。早速、発注いただきましたよ。新型コロナウイルスの影響で、たくさんのスタッフが一堂に会するような仕事はまだありませんが、一人で完結する企画系の仕事を請け負っています。仕事とは別に、広告代理店の方々も紹介していただきました。一緒に面白いことを仕掛けたいと考えています。

仕事をするうえで、東京と北海道の違いはありますか。

今のところ、違いは感じません。どの仕事でも、ディレクションやプロデュースのロジックは同じです。料理に例えると、映像のジャンルによってレシピは変わっても、素材をそろえて調理するという基本は変わりません。東京と北海道にも同じことが言えて、好まれるレシピは異なるかもしれませんが、私のやるべきことは変わらないのです。

どんなことも楽しめる人が、Iターンに向いている

これから挑戦しようと考えていることは?

仕事と直接は関係ありませんが、米国の西部開拓時代を描いた大人気TVドラマ「大草原の小さな家」のような暮らしがしたいです。北海道は、家に対して敷地面積がとても広い。そこで、家族が寄り添いながら自給自足の生活を送る……憧れますね。最近、夫婦共通の趣味として家庭菜園を始めました。いい土地が手に入ったら、自分たちで基礎からログハウスのような小屋を建てようとたくらんでいます。

それは北海道だからできる暮らし方かもしれませんね。

北海道には計り知れないポテンシャルがあります。ほかにももっと楽しいことがあるはずで、わくわくしか感じません。

雪が降ると、雪かきは大変だし寒いし滑るし、それほどいいものではないとも思うわけです。でも、気候による理不尽は、その土地らしい魅力となります。除雪が嫌だと嘆くだけなら、雪は邪魔者にすぎないけれど、缶ビールを冷やしてくれると思えば、愛すべきやつに見えてくるでしょう?

時代の変化の中で、生き残るのは面白いものだと思っています。面白いコンテンツをつくるなら、魅力にあふれた土地が有利です。その意味で、北海道はものづくりに強い。道民のみなさんさえ気づいていない魅力をどんどん引きだしていきたいですね。

どのような人がIターンに向いているでしょうか。

それは間違いなく、楽観的で何でも楽しめる人です。失敗したら帰ればいいという気楽さがないと、自分を追い詰めてしまうかもしれません。住み慣れた場所を離れて、知らない土地で生活すると、それまでの常識や価値観と異なることに直面します。そのときは、ワンクールのドラマを見るようなつもりで、その状況に置かれた自分を楽しんでしまいましょう。それは、企画や制作のヒントになるかもしれませんしね!

取材日:2020年7月20日 ライター:一條 亜紀枝
※オンラインにて取材

プロフィール
映像制作プロデューサー
木村 陽
神奈川県横浜市出身。高校卒業後、カナダの州立大学へ留学。帰国後、東京のテレビ番組制作会社に入社して技術を学ぶ。映画やプロモーションビデオなどの映像制作会社を経て、2001年に独立。フリーランスの映像制作プロデューサーとして、MV(ミュージックビデオ)のディレクション、大手映画会社や世界的な自動車メーカーの動画企画・制作など、さまざまな映像プロデュースに携わる。2018年、横浜市と北海道札幌市を拠点にデュアルワークに踏み出す。2020年から本格的に北海道での活動を始めた。

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