職種その他2017.02.15

東京→沖縄、そして故郷の福岡へ。 経験を活かし、写真と故郷に恩返しを!

福岡
フォトグラファー 松岡 啓祐 氏
1967年福岡生まれ。青山学院大学三年のとき、役者仲間だったスイマーズ、マサ子さん、フライングキッズなどのバンドを撮影し、偶然写真家としての仕事が始まる。独学での三年の活動後、東京綜合写真専門学校に入学。その後、マガジンハウス「CLiQUE」編集部写真デスク、十文字美信氏の助手として写真と照明を学ぶ。2004年、東京から沖縄に移住。2013年、福岡に帰郷し写真家として活動を開始。
インターネットや交通網などインフラの発達や“地域おこし”、“移住支援”などの地域活性活動で、東京や大阪などの大都市にこだわらず、地方でもクリエイターとして活躍している方が増えています。そこで、クリエイターズステーションも地方のクリエイターに注目!新コーナー「LOVE LOCAL」では、地方で活躍しているクリエイターの方に直撃インタビューし、これまでのキャリアや、地方でクリエイターとして活動するポイントやメリット、地方ならではの仕事のやり方や考え方に迫ります。 記念すべき第1回は、現在は生まれ故郷である福岡に拠点をおいて活動しているフォトグラファーの松岡啓祐(まつおか けいすけ)さんにインタビュー。東京→沖縄→福岡と活躍の場を広げる仕事のスタイルや、今後UターンやIターンを考えているクリエイターへのアドバイスなどをお聞きしました!

仲間のデビューがキッカケで、フォトグラファーに。 結果を出すことでリピートに繋げる。

松岡さんがフォトグラファーとして活動されるようになったキッカケは?

もともと写真が好きで最初からフォトグラファーを目指していたわけではなく、学生時代は役者になりたくて劇団に所属していました。当時はバンドブームで、仲間のバンドを撮影した自分の写真が音楽誌やプロモーション用に使用されて、撮影のオファーが来るようになりました。経験を積まなくてはと思い、出版社の編集部に所属したり、広告写真家の助手を務めた時期もありましたが、基本的にはポートレート中心のフリーランスのフォトグラファーとして東京で20年ほど活動していました。

「写真を撮って欲しい」という周囲の依頼に応えているうちに、いつの間にか仕事になっていたんですね。

修行期間もなく、専門的な学校に通ったこともなく、フォトグラファーとしての基本的な知識がないままにプロになってしまったんですよね。今から思うと、ほんと奇跡みたいなことですけど(笑)、自分のやりたいように仕事をしていました。例えば、ライブの写真を撮る仕事では、カメラを1台しか持っておらず、途中でフィルムが切れたら、フィルム交換のため、ライブが進行しているのに写真が撮れない。プロのカメラマンの常識では、2台のカメラを使って切れ間なく撮影するというワザを知らず1台で自信を持って撮影していましたので、見るに見かねて、「松岡くん、これからも仕事してもらうから、もう1台カメラ買いなさい」と言われたり、「ポートレート用に中望遠レンズを買いなさい」と言われたり。知識がないから怖いものなしで、プロとしてありえないことなのに、言われても「そんなものなんだ」みたいな反応をしていましたね。今では、そういう無茶苦茶なやり方、学んだことや業界の常識を「知る以前」にいつでも戻れる才能というか、頭の柔らかさも仕事上、有効であるとも思います。

そんな状態でも、仕事は絶えずに来ていたんですよね。

東京は、結果を出せば次のオファーは必ず来ます。とにかく1回1回の仕事に全力で取り組み、もらうお金以上の結果を出そうと必死にやれば、必ずリピートで仕事が来ます。それを信じて目が覚めてから寝るまで写真だけのストイックな生活を送っていました。

写真の専門学校の講師に就任し、沖縄へ。 教えることが写真を深く検証する機会に。

充実した毎日だったにも関わらず、沖縄にIターンした理由は?

入学案内パンフレットの仕事が縁で、沖縄にある専門学校の写真講師になりませんか、と声をかけていただいたんです。 もともと波乗りが好きで、沖縄の海で出来るなら、東京の仕事をどうにかして両立させようと考えて春休み、夏休み、冬休みは東京に帰る了解を得て引き受ける決心をしました。当時は雑誌の連載を担当していたりレギュラーがいくつかあったのですが東京の仕事を整理して沖縄に行きました。写真を知らない若い人達と向き合えばマンネリを打破できるんじゃないか、写真に出会った初めの頃のような力が湧いてくるんじゃないか、という切実な理由も少しありました。

これまでのフォトグラファーとして結果を残す仕事から、学生を教える仕事へと、大きな転換でしたね。

教えることで、フォトグラファーとしても、どんな小さなことでも写真に関することはすべて検証するという良い機会になりました。専門学校生なので、まったく何も知らない、真っ白な状態ですから、飛び出す質問がユニークなんですよ。それに対して、自分が今まで培ってきたことをあらゆる角度から再確認しなくてはならず、準備と復習に授業の本番以上に時間がかかりました。 後から学生達に話を聞くと、かなり驚いたようですが、授業の初日にまず「俺は講師じゃないから」と宣言しました。先月まで高校生だったとしても、私とあなたは同じクリエイター同士という覚悟を持って欲しいと伝えました。私自身も、生徒たちから、いろいろ吸収したり刺激を受けたいと思ったからこそ引き受けたので、本当に面白い経験でした。課題を出しても、例えば、子供の頃から船が大好きで船を撮ってきた学生の写真は構図がどうとかを超えて伝わってくるものがあるんですね。しかもそれは私だけでなく、クラスの全員が感じることなんです。

「先生は沖縄の太陽よりアツい!」と学生達に言われたのは今でも忘れられない思い出です。彼らの担任の先生から「2年生になって教室が変わったとき、彼らが一番最初に何をしたと思います?それまで壁に貼っていた写真を新しい教室に貼り直しに行ったんですよ!いったいどんな授業をしたか、教えてくれませんか?」と言われました。
実は最近、もらい火で自宅が火事にあったのですが、そのとき貰った学生達からの寄せ書きにとても励まされています。

沖縄では、フォトグラファーとしての活動は?

移住してみて、地方は東京よりも「人のつながり」が重視されるのを痛感しましたね。私の仕事を高く評価してくれていた地元の方の紹介でようやく依頼がくるようになりました。金額的には東京よりももちろん安いのですが、全力で仕事に取り組む姿勢は私の生きる証とも言うべき私の写真家魂です。「松岡というメチャクチャ熱いカメラマンがいる」と噂が広がり、仕事になっていきました。

故郷の福岡にUターン。 山があり、海があることで、バランスを取り戻す。

沖縄では講師としてもフォトグラファーとしても順調だったようですが、なぜ福岡に?

直接のキッカケは、父が亡くなり、母が一人暮らしになったことです。しかし、漠然と「そろそろ帰りたいな」と感じていたんですよ。沖縄では福岡の方言を話す相手はいませんし、自分が沖縄の言葉を話して沖縄人にはなれない。やっぱり自分は福岡人だなあと。

久しぶりに福岡で暮らしてみて、変わったところは?

街はものすごく変わりましたね。若い人達の方言のイントネーションが変わったと思います。 でも、近くに山があり、海があることは変わっていません。東京にない山と海があり、子供の頃からあった、見てきた風景ですから落ち着くんでしょうね。 海もあり、山もある福岡は、特に人としてバランスが良くなる土地だと感じます。

バランスが良くなっているとは?

山があり、海があるのは自然なことですが、東京にいるときは毎日が忙しくて、刺激がありすぎて、ビルばかりで海と山がないことに気づかないんですよ。山と海があると、季節に敏感でいられますし、それは日本人として当たり前のこと。東京にいるとそれがなくなっていく。どこか人としてバランスがおかしくなっていて、それが福岡に住むことで戻ってきたと感じています。

他に、改めて感じた福岡の良さはありますか?

昔も今も福岡人は皆、地元愛が強いのは変わってませんが、自分の若い頃よりも福岡に自信を持っていると感じます。自分の頃は、やはり1番は東京で、次は大阪で……と感じていましたが、今は東京にはもちろん、ロンドンにもニューヨークにも負けない、福岡は福岡の良さがある、「俺たちは、福岡人なんだ」という自信を感じます。インターネットの影響もあるんでしょうが、それはすごく良いことですよね。

すべての経験に感謝! 地元では得られない経験を、地元に還元して欲しい。

今後、福岡でどんな活動をしていきたいと考えていますか?

写真に恩返ししたいですし、18歳まで育ててもらった地元に恩返ししたいですね。生意気な若者が、写真を通していろいろな人に会え、いろいろなところに行かせてもらい、写真から身にあまるほどのギフトをもらったと感謝しています。写真がくれた全てのことを地元に返していきたいです。

今後、UターンやIターンを志すクリエイターにアドバイスをお願いします。

東京では地方にはない大きな案件を手掛けると思います。その経験をさせてもらっていることに、まず感謝をすること。そのときはキツくても、泣きながらでも、その経験に感謝すれば、必ず気づきがあります。 そして、地元に帰ったら、これまでの経験で積み重ねてきた気づきを還元して欲しい。もしかしたら、「自分なんてたいした経験をしていない」と思っているかもしれませんが、地元では見られないことを見てきたことは間違いありません。取るに足らないようなことでも、地元では必ず必要とされている経験なので、自分だけに留めず、出し惜しみせずに受けとったものは周りにも与えることを心掛けてほしいと思います。

取材日: 2017年1月23日 ライター: 植松織江

 

松岡 啓祐(まつおか けいすけ)

1967年福岡生まれ。青山学院大学三年のとき、早稲田大学演劇研究会の役者仲間だったスイマーズ、マサ子さん、フライングキッズなどのバンドを撮影し、偶然写真家としての仕事が始まる。独学での三年の活動後、東京綜合写真専門学校に入学。その後、マガジンハウス「CLiQUE」編集部写真デスク、十文字美信氏の助手として写真と照明を学ぶ。2004年、専修学校インターナショナルデザインアカデミーの写真講師となり、東京から沖縄に移住。2009年、世界一周旅行。2013年、福岡に帰郷し写真家として活動を開始。

東京デザイナーズウイーク2013にてGraphic Grand Prix by YAMAHA日比野克彦賞受賞。 乙一監督映画作品「立体東京」撮影など、現在まで雑誌、広告、CD、DVD撮影多数。現在、「笑え!」という写真展を準備中。被写体を募集します。kokoronosurf@gmail.com まで。

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