「青春58きっぷ 昭和を探せ!後篇」

最終回スペシャル!
電通第5CRプランニング局 クリエーティブ・ディレクター / コピーライター
Akira Kadota
門田 陽

さ、これでほんとのオーラス。オーラスなんて言葉。いまはほとんど使わないですよね。

オールラスト、元々は麻雀用語。昭和の頃は麻雀人口が多かったです。僕も学生時代、バイト代で麻雀牌を買いました。イカンイカン、冒頭から寄り道して。元の道に戻ります。

 

◎三日目<小倉の昭和町>
松本清張記念館を速攻で切り上げ小倉駅前に戻り、天気も気分も悪くないので徒歩で約20分。小倉の昭和町まで来ました(※写真①)。古い町並みも多少ありますがすぐ横をモノレール(※写真②)が通っていて令和的。しかし、駅からここへ来る途中でザ・昭和を発見。一目でかなりディープなことがわかったので、もう気持ちはそちらに向かっています。


写真①

写真②

 

◎三日目<小倉の昭和館>
後から振り返ると今回の探検隊のハイライトはここ小倉だったのかもしれません。ハイライトって言葉ももうしばらく聞いてないなぁ。「パンパカパ~ン、パパパ、パンパカパ~ン♪今週のハイライト!」は小倉旦過市場(※写真③)のすぐそばで見つけたこの看板(※写真④)。この昭和館という名前とそのタイポグラフィの見た目からして昭和そのもの。これは一体何だろう?と行ってみるとその一角だけがまるでタイムスリップしたような空気です。昭和館は映画館でした(※写真⑤)。ここはどこなの?今なの?とフシギな感覚になりました。そういえば、昭和50年代に「ここはどこ?私はだれ?」というフレーズが大流行しました。調べてみると元ネタは1979年(昭和54年)にドラマ「赤い衝撃」で主演の能瀬慶子が記憶喪失になり発した台詞。いやはやひたすら懐かしい。野瀬慶子って確か僕と同じ歳で誕生日も近かったんだよなぁ。山口百恵の主演映画で百恵ちゃんの妹役でデビューしたんだよなぁ。それはさておき、昭和館は中身もまるであの頃でした。当時は多かった傾斜のきつい館内(※写真⑥)。そして何より特筆すべきは映画が始まる前に「サンドウィッチにコーヒーいかがですか~」の売り声とともに客席を制服で廻る売り子さんの存在。このシステムがまだ残っているところがあるなんて昭和の女子なら「うそピョーン」とか言うのだろうな。ただしコロナ対策はしっかり今風にできていました。素晴らしい(※写真⑦)。せっかくなので上映されていた「彼女は夢で踊る」という実際のストリップ劇場を舞台にした映画を観ました。帰り際にパンフレットを購入すると売店のお姉さんから「今度この踊り子さんが来るときにサインもらってあげるから取りにおいで」と言われましたが、ちょくちょく来られる距離ではないので遠慮しました。なぜか昔からもぎりや売店のお姉さんからは優しくされます。


写真③

写真④

写真⑤

写真⑥

写真⑦

 

◎三日目<小倉駅前にて>
昭和館を出るともう一度小倉駅に戻りました。

すると駅ビルの中で「マジンガーZ」の人物大のフィギュアに遭遇(※写真⑧)。この出会いが後半の足を引っ張ることになるとは、このときはまるで思いもしませんでした。


写真⑧

 

◎三日目<武雄の昭和>
小倉駅からJR九州の鹿児島本線と長崎本線を乗り継いで武雄温泉駅で下車。徒歩5分足らずで着いたのは佐賀県武雄市大字昭和(※写真⑨)。予想はしていましたがやや昭和っぽい公民館(※写真⑩)があるくらいで他は何も見当たりません。ジタバタしても仕方ないので一旦これで東京に戻って残り二日の算段を考えることにしました。


写真⑨

写真⑩

 

◎仕切り直して後半戦
さてこのあと一週間は東京で通常のリモートワークに追われながら残した切符でどこに行くのかを楽しく悩みました。結果、二箇所の昭和町とあの頃ドキドキさせてもらった思い出にまつわる場所に行くことに決定。目的地はどちらも日本海側の地方都市。ヨッシ、一気に行きます。

 

◎四日目<名探偵コナンの誤算>
後半の起点をどこにするか一瞬迷いましたが、朝一の飛行機で到着したのは「鳥取砂丘コナン空港(※写真⑪)」。いきなりのコナンワールドが所狭しと出迎えてくれます(※写真⑫⑬)。毎週土曜日の放送を心待ちにしている僕には至福のひととき。このあとJR由良駅いわゆるコナン駅(※写真⑭)に向かいそこからコナンの世界に溢れた北栄町(※写真⑮⑯⑰)を歩いてもちろん作者の青山剛昌ふるさと館を満喫しました(※写真⑱)。ところでお気付きの方もいるでしょうが、ここは本来の目的地ではなく相変わらずのいきなりの道草。コナンは、昭和ではなく平成生まれの物語。ただこの後に行く場所のすぐ近くだと思ったのでついつい寄ってしまいました。だって大好きなんだもん!これが今回の取り返しのつかない最大のミス。ついでにと思ったのが運のツキ。ここから本来の目的地米子市昭和町(※写真⑲)に着くとすでにいい時間。欲張りは身を滅ぼします。地図上では近くても鈍行列車だけの青春18きっぷのダイヤには限界がありました。これがもし18歳のときならどんなにムリをしても野宿をしてでも次へと向かったのでしょうが、58歳は「余裕のよっちゃん」で気にしません。思い切って四日目はここで終了。最終日の予定を変更するにことにしました。ちなみに米子市の昭和町はいたってふつうの住宅街でした。マクドナルドがありました(※写真⑳)。


写真⑪

写真⑫

写真⑬

写真⑭

写真⑮

写真⑯

写真⑰

写真⑱

写真⑲

写真⑳

 

◎五日目最終日<水木しげるロード>
JR米子駅から次の目的地境港駅までは鬼太郎列車(※写真㉑)での移動です。昭和のあの頃テレビから例の「カラ~ンコロ~ン カランカランコロン♪」の音楽が聞こえると見たいような見たくないようなソワソワモゾモゾだる~い気分に襲われました。で、結局はテレビの前に釘付け。鉄人やウルトラマンやライダーとはまるで違うフシギな世界は強烈に子ども心をとらえたまま、色あせることなく今に至っています。その作者水木しげるワールドを街ぐるみで応援している境港は恐ろしくも面白いところでした(※写真㉒㉓㉔㉕)。水木しげる記念館(※写真㉖)はコロナの影響で時間制を取っていましたが見ごたえ十分。またゆっくり来たい街です。帰りの便はコナン空港ではなく「米子鬼太郎空港(※写真㉗)」から乗りました。そうです、起点をこっちの空港にすればよかったと後悔はいつも後に立つものです。


写真㉑

写真㉒

写真㉓

写真㉔

写真㉕

写真㉖

写真㉗

 

◎リベンジへ向かう
いくら最後が妖怪だからこれで「ドロンしました」というオチで終わるのも悪くないかと思いましたが、流石にそれでは面目ないので、青春きっぷは関係なしでほんとは行くはずだった最終地点に翌週行ってきました。

 

◎おまけの六日目<ラストはZ>
またもや朝一の便で「のと里山空港」へ。ここから電車は皆無で「ふるさとタクシー」という名の乗り合いバス(※写真㉘)で移動です。目指すは石川県輪島市にある永井豪記念館(※写真㉙)。探険三日目の小倉駅で偶然見かけたマジンガーZの生みの親の記念館です。あそこで見つけなかったら来なかったかもなぁ。いやいや、きっと運命。大人気のガンダムも昭和生まれですが、それよりも数年早く僕たち昭和ッ子の心を鷲掴んだのが「マジンガーZ」です。そして永井豪がさらに凄いのはZ以外にも青少年のハートと下半身を熱くさせた「ハレンチ学園」の作者でもあるのです。そうなのです、ここを外すわけにはいきません。結果、行ってよかった。記念館自体はコンパクトでしたが展示物の濃度が高く、また係の方が温かく迎えてくれました。


写真㉘

写真㉙

 

見終えて館を出るとすぐ前を行商のお婆ちゃんが歩いていてその姿にもほのぼのさせられました(※写真㉚)。このあと輪島からはJRはないのでバスで金沢に向かい金沢市の昭和町(※写真㉛)が何もないことを確認して(苦笑)小松空港から東京にトンボ返りしました。


写真㉚

写真㉛

◎おまけのおまけ<昭和湯でババンババン>
さて、2017年から4年半続いたこの「クリエイティブ探検隊」の旅はこれにて終了。最後は灯台もと暗し。東京都昭島にある昭和湯(※写真㉜)でこれまでのことを水じゃない、お湯に流してさっぱりしました。この探検隊のおかげでふだんの生活の中に思わぬ発見があることを学ぶことができました。探検隊は大団円ですが、当サイトの別コラム「とりとめないわ」はまだまだ続けますので、どうぞこれからもお付き合いください。ひとまず区切ります。ありがとうございました!バハハ~イ!!


写真㉜

 

(※文中の敬称は略しました。ご容赦ください。)

 

プロフィール
電通第5CRプランニング局 クリエーティブ・ディレクター / コピーライター
門田 陽
電通第5CRプランニング局 クリエーティブ・ディレクター/コピーライター 1963年福岡市生まれ。 福岡大学人文学部卒業後、(株)西鉄エージェンシー、(株)仲畑広告制作所、(株)電通九州を経て現在に至る。 TCC新人賞、TCC審査委委員長賞、FCC最高賞、ACC金賞、広告電通賞他多数受賞。2015年より福岡大学広報戦略アドバイザーも務める。 趣味は、落語鑑賞と相撲観戦。チャームポイントは、くっきりとしたほうれい線。

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