佐賀通い

Vol.155
CMプロデューサー
番長プロデューサーの世直しコラム
櫻木 光

今年は故郷の佐賀に4回も帰りました。

正月、ゴールデンウィーク、お盆、11月。
働き方改革で平日5日連続の休みを2回取れ、という
会社の決まりもできて休みが取りやすくなったこともありますが
最大の理由は母親が歳をとって弱ってきたことです。

2年前、高校の同窓会で帰った時はまだシャキシャキしていた母が
去年あたりから急に元気がなくなってきました。
東京に出てきて30年。これまでは4年に一度くらいのペースでしか
帰らなかった実家に今年はとにかくよく帰りました。

これから何度、この親と会話できるのか?と思ったら、休みにハワイに行ってる場合じゃ
ない感じがしてきたのです。

なんか想像していなかった展開になってきました。
高齢化ってこういうことなんでしょう。
僕も歳をとりました。母親に比べて父親が元気なのが少し救いではあります。
ただ、どっちもいいおじいちゃんとおばあちゃんなので、とにかく親孝行というのを
したくなったのです。いつかその日が来る日まで。

若い頃、意味もわからず悪いことをいっぱいして、リーゼントで、バイク乗って、喧嘩して
何度も母親を泣かせた罪滅ぼしです。

兄弟は佐賀に住んでいる兄貴が一人いますが、医者で、家庭もあり、これまた忙しいので
親の面倒を兄貴に丸投げするわけにはいきません。僕は気楽な一人もんですから。

実家は建物が確実に痛んでいます。東京でのハイテクマンション暮らしになれると
田舎の古い一戸建ての暮らしはすごく不便です。寒いし。掛け布団が重い。
シャワーヘッドが壊れたままホースでお湯を浴びます。馬か?
老人は積極的に掃除もしないので埃っぽいです。捨てられないのか、いらないものでいっぱい。
ゴールデンウィークにダイソンの掃除機を買って置いてきましたが、
先日使おうとしたら充電されていませんでした。変なODAみたいです。

弱ったとはいえ母親は相変わらずすっとぼけた感じです。

両親からは、これからの暮らしや終活の相談などもあり
親の資産の現状を把握しようということになりました。金庫の中にいろいろ入っている
というので鍵を探しましたがありません。もう何年もどこにあるかわからない、と言い出しました。
家中ひっくり返して両親と手分けして探したけれど見つからず、途方に暮れて、
どんな金庫だっけ?と金庫のカバー布をバサッとあげたら鍵は金庫に刺さったままでした。

母親が、「そういえば金庫の中に現金があるよ。全部あげる」と言い出したので
あるって言ってもたかが知れてるだろう?と言いながら金庫を開けたら
帯封された札束がぎっしり入っていて、びっくりして扉を一回閉めました。
おい。なんかいっぱいあるじゃねえか。シャワーヘッドくらい買え。

ドキドキしながら改めてトレイを引き出してみると、全部100円札の束でした。
総額10万円分くらい。調べたら価値は変わらず10万円は10万円。
母親が「いっぱいお金があったやろ?」とニタッと笑っていました。

また他の日に、母親が郵便局でお金を下ろしたいというから
最寄の郵便局についていくことになりました。
自転車で二人乗りして郵便局へ。
入っていくとなんか空気が変。局員の人の対応がよそよそしいというかなんか変。
虎のスカジャンにスエットパンツ、標準語で態度の悪いボクと、もじもじしている母は
完全にオレオレ詐欺の受け子と騙されたおばあちゃんという見え方だったのです。

保健証見せろ、免許証見せろ、印鑑が違う、下ろした金の使い道を言え、って感じで
なかなかお金を下ろさせてくれませんでした。
僕はそれにイラついて局員にぞんざいな口を聞くもんだからますます怪しまれる。
僕の袖を一生懸命引っ張って「やめろやめろ、人様にそんな口の聞き方はダメだ」
という泣き出しそうな母親。
帰りに二人乗りした自転車の後ろから「お前は何も変わっていない、ダメなやつだ」
と説教されました。懐かしい感じがしました。

老人の1日は朝起きて朝ごはんを食べ、新聞かテレビを見ながらお茶を飲み
昼ごはんの心配をして昼になったら昼ごはんを食べ、お茶を飲み
テレビを見ながら夕飯の心配をはじめて、日が暮れたら夕飯を食べ、
テレビを見て、お茶飲んで寝る。これの繰り返しです。

父親が車の免許を返納してからは外食することもめっきり減ったみたいです。

だから、僕が家にいる時は、午前中に昼ごはんを買いに行き、午後に夕飯を買いに行き、
夜、数少ない地元の友達と繁華街に飲みに行き、帰りに酔っ払ってよろよろしながら
遠くて不便なコンビニで親の朝ごはんを買って家に帰る、という毎日になります。

スーパーのお惣菜売り場には老人用のありとあらゆるメニューがずらりと並んでいます。
いろいろ考えて買って帰ると喜んでもらえるので少し楽しくなります。

そういう暮らしを数日でも体験すると、東京の暮らしはなんと楽なんだろうと思うのです。
歩いて行ける飲食店は、いろんな種類が夜遅くまで営業しています。
コンビニは近くて便利だし、車に乗らないといけない場所なんてほとんどありません。
地方都市の現状は本当に不便です。確実に外に出ている人が減りました。夜は真っ暗。
有名な牛丼などのチェーン店は国道沿いにしかなく、みんな車で立ち寄ります。
車がないと生活できないのにみんなお年寄りで運転もままならない。
田舎でテレビを見ていてもワイドショーで扱っているネタはほとんどが首都圏の話です。

この先、地方都市が、ましては東京を含めた日本全体がこうなっていくことは
容易に想像がついていたはずです。30年前からこうなるよーってテレビで言ってましたからね。
バブルがはじけた後、先進国になり損なって、衰退途上国になり、それに気づかず
みんなで均等に歳をとって、あそこから少しずつ衰退してきてもう結構なところまできた感があります。ずっと繁栄し続けてるなんてことは嘘だったのです。

加えて異常気象。佐賀も今年の夏は洪水に見舞われました。くる台風のデカさも違います。
夏の暑さだって信じられないくらい暑い。そういうニュースを聞くたびに
両親のことがとても心配になります。流されてないだろうか?とか、川を見に行ったりしていないだろうか?とか、熱中症にならないか?干からびてないだろうか?食うものはあるんだろうか?と。

老人を狙った卑屈な犯罪も多い。寂しさにつけ込むような卑屈な奴等。
インフルエンザなどのいろんな病気も怖い。九州北部は中国から砂や汚染物質が飛んでくる。
僕が若い頃に比べると随分過酷な世の中になりました。特に地方は過酷です。

政治に期待しても、どうも無理なようです。道と軍隊の装備しかきれいになりません。
だから民間の企業や団体がそういう問題に対処しないと、
企業が物を売る市場(しじょう)すらなくなっちゃうよ、と思うのです。
キャッシュフローを増やすだけが目的の集団は株主にも相手にされなくなるでしょう。

言いたいことも言えないのか言わないのか、無関心なのか馬鹿なのか?
そういう生活をしてきたツケが回ってきた気もします。一人一人のせいです。

広告業には何ができるでしょうか?映像作りゃ済むのでしょうか?
他のことを考えなければ後悔するような時期に自分が来ちゃったかも知れません。
自動運転の車、AIでの生活の支援、災害の予知、部分的な体の機能をサポート
してくれるロボットなど早く実用化してくれと切に願うようになりました。

救いは、優しい親戚や僕の同級生がちょくちょく親の様子を見に行ってくれること。
都会ではなかなかできなような関係性です。
兄貴やそういう人たちに感謝しつつ佐賀通いが当分続くことを願います。

プロフィール
CMプロデューサー
櫻木 光
プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが、矢面に立つのは当たり前と仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。

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