エビデンスと嫉妬

Vol.186
CMプロデューサー
Hikaru Sakuragi
櫻木 光

なんとなくの気分だけど
いろんなことがしがらんでいてズバリは言えないんだけど
日本の社会のこの糞詰まりのような気分はどうやったら治るんだろう?
何がこの面白くなさを生み出してるんだろうか?

社会全体で、今、なんか大切にされていることが
少々的外れなんじゃないかと思うのです。

まず、仕事をするときの意思の決定の仕方は
エビデンスの提出とその分析の上に成り立っているのが今は普通。
精密な事実分析による意思の決定ということは誰が考えても
正しいでしょう。

事実を分析しないで決められる方向性より、現状を分析して決める
方向性の方が当たり前のように正しい。

しかし、今は、地表の外、常識の外から突如、新たな波がやってくる時代です。いきなり大きな災害に見舞われたり、訳の分からない今までなかったウィルスに世界中が動きを止められたりする世界。仮想空間の中で物を売り買いしようとしている、ついていけない人にはなんのことだかさっぱりわからない世界です。

それに対応するイノベーションとは「今まで世になかった価値を生みだす」、つまり「できないと思われていたことをできるようにする」ことですよね。

だから、本当は、やろうとする前に、成功を保証するいい事例や数字の裏付けの証拠(エビデンス)など、出せないことがある。今までになかったんだから。それにもかかわらず、新規事業や新サービス、あるいは新たな提案に「調査した完璧な事前エビデンス」か「誰かが既にやった成功事例」を見せてあげないと偉い人というのはハンコを押したがらないでしょう。部下たちの仕事がエビデンスづくりに終始してイノベーションどころではないように見える。

日本人は、社会の問題を技術や数値で解決しようとする考えが強い。理路整然としていないとみんなに叩かれるし、自分の中に拠り所というか経験と思想がないからでしょう。それに対して哲学や議論が好きな欧米人は、社会問題をまず人間の力で解決しようとする。個人の知識や経験も豊富でなければいけない。ここの差が大きく開いてきたんじゃなかろうか?

先日SDGsについての企画の話をしているときに、ヨーロッパの国々がそのことについて躍起になっていてめちゃくちゃ進化している。という話を聞いて驚いたのです。特にサーキュラーエコノミーの分野。

まず、環境問題の解決とそのアイディアは、実際に地球は待ったなしの状況に来ているのもあるけれど、地球の危機的状況に新しい産業として必ず必要とされていて、桁違いのお金を産む。

そしてインターネットのビジネスの世界を完全にアメリカに牛耳られてしまった事へのヨーロッパの怨念がすごい。だから次に来る大きな流れについてはヨーロッパ主導でイノベーションを起こして世界的なビジネスにしたいという願望が強い。というところはありつつも、瀕死の地球を救おうと必死なのは事実である。

日本はインターネットにも環境問題にも頭抜けた力は無い。何をしていいかわからない。

好奇心と想像力がエビデンスに負けてしまう国だからだ。潰れていったいいアイディアはごまんとあるんじゃ無いかと思うのです。喫煙所で交わされる他愛のない雑談の中から生まれるような気づきやアイディアに本質的なものがあるような気がするんだけど、もったいないですね。

そうやって、好奇心旺盛な、押しの強い、アイディアをいっぱい出せるような人材たちをめんどくさがってわざと敬遠して隅っこに追いやって、従順で大人な考えの、言うことを聞く物分かりのいいやつばっかり上に引き上げちゃうもんだから、「いいこと思いついちゃったんだけど事例なんかないよ、だって誰もやってないんだもん」という人間のアイディアをふっと笑ってゴミ箱に捨て続けた結果がこのクソ面白くない社会かもしれません。

「やってみなはれ」なカリスマはもう出てこない。

これが製造業の周りだけで起きているのではなく、エンターテイメントの世界でも同じような風潮なのが気になるんです。エビデンス=人気アイドルグループ。ヒットした原作。出演者の価値はインスタグラムのフォロワー数とか。脚本の面白さや役者の演技で物語を面白くするという観点ではない。

最近の韓国のドラマは確実に面白くなった。世界中で人気が出るほど本当に面白いんだけど、よく見ると元ネタが日本のドラマや漫画だったりすることに気づく。なんだパクリか、というのは簡単なんだけど、必ず元ネタを凌駕する面白いものを作られると、もうそれはパクりとは言えない。それがオリジナルとして韓国ドラマは世界に受け入れられているんです。言葉の壁もあって日本人以外の誰も日本のオリジナルの方を知らないのです。

組織に属していると特に、みんな責任はとりたくありませんよね。一回の失敗で立場を失う社会ですから。そこにも日本の病巣は潜んでいるんですが、集団は誰が責任者かわざとわからないようにして暮らしている頭のついてない蛇のような生き物の国です。

その中で誰が先っぽに近い位置にいるのかを競い合って足を引っ張り合う、嫉妬と恨みが本質の、暗くて嫌な陰口ばっかり叩くような国民性ですからそもそも病気なんじゃないかとも思うし、徳川幕府の頃から何も変わっていないような組織の中の人間関係です。島国根性はオーバーコンプライアンス。コンプライアンスを盾に取って足を引っ張り合うような奴らよ。

そんな世の中が面白いわけがない。どうしても欲しくなる商品や、面白い映画が、ドラマが、CMが生まれるはずがない。出す側もエビデンス重視。他人を喜ばそうという気持ちがまるでない。受け取る側も面白くないんだもん。死んでもトップガンマーベリックは作れないだろうしアメリカに敵うわけがない。面白いことをしようとすると、顔を隠したその他大勢が平気で足を引っ張ってくる。根が深いのかも知れないけど、そういうのはやめた方がいいと気づこうよ。大人たちがみんな矢沢永吉だったらどんなにいい社会だったろうと思うんだけどそうもいかないし。

若い世代はおじさんとおばさんが繰り広げるそんな茶番を忌み嫌って社会と関わろうとしたがらない。若い世代は実は素直でずるい奴が少ない。他人は他人、自分は自分。という考え方が強い。そしてめんど臭いおじさんたちを無視して新しい社会を作ろうという願望の強さも見てとれる。なんならどんどん外国に出ようと思っているかもしれない。

とにかく、やる気のある若者や、なんとかして社会をよくしようとしている人を自分の利害だけで潰したり邪魔したりするのはもうやめたらどうだおじいさんたちよ。と思うのです。

僕は最近まで独身で一人モンだったから、死んだ後のことなんか知るか。俺は若い頃に楽しい時期があって一番いい時を過ごしてきたな、楽しかったぜザマアミロ。と思っていたんです。実は。

ここにきて、50を過ぎて予定外に娘という存在が出現して考え方がガラリと変わらなければいけなくなりました。いい社会であってほしい。ダメになりかけてるなら立て直してほしい。国籍はどうでもいいけど生きていて楽しい日本であってほしいのです。将来、国境などがナンセンスになったとしても、ルーツである日本人ということが誇れる、自信のある正々堂々とした人間で娘にはいてほしいんです。

実際はずるいキツネのようなやつばっかりだったとしても。俺はキツネじゃなかったんだ。言いたいことを言ってやりたいことをやった。正義だと信じてやったことを、表現の仕方をわざと間違って不良だと扱われた。そのおかげで偉くならなかったし随分損したけど。それでいいのよ。キツネが嫌いなだけだから。と娘には言いたいのです。
なんちゃってな

プロフィール
CMプロデューサー
櫻木 光
プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが、矢面に立つのは当たり前と仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。

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