言葉が糸口・哲学の本

東京
書道家・ライター
Tohku
桃空

ベランダには幾つかの植物があり、お正月の頃には蠟梅、少し後にプラム、その後はアーモンド、そしてその次に源平桃といった順に花を咲かせます。4畳半ほどのベランダですが、冬から春に向けて咲いていく様を見て、春がくるのを少しずつ感じることができます。

みんな丈夫に冬を越し、あと暫く経つと小ぶりの薔薇が咲く季節になっていくのでうれしくなります。オリーブも今伸びており、柔らかい枝がふわふわと風に揺られています。

そんな風に時おり外を見たり、小さなベランダでお茶を飲んだりして心を落ち着けるのです。

世の中が同じキーワードでいっぱいになり、せわしなくなり、緊張が増し、互いのことを思いやれないような状態になったとき、心は思いっきり縮んでうっかり外に目が向かなくなったり、自分のことしか考えられなくなったりすることがあります。

テレビ、ラジオ、スマホ、パソコンなどはあっという間に時間の隙間を埋めていき、多くの情報にふと埋もれてしまったりします。なかでもSNSは自由さがときどき刺々しい言葉となり普段使わない言葉などを書けるようなシーンを見受けて、それが貯まると細かいとげとげでやられてしまいそうに。わたしたちはたくさんの情報が飛び交っているなかで呼吸をし、食事をし、ときに自分が情報を発信する側になり、写真をとりSNSとして発信したりもします。自分自身をプロデュースし、自分が広告塔になることだってなり得ます。

考えていくと、きりがない、まるで細い線、細い糸が網の目のように絡み合った空間にいるのと同じようです。

そうしたなかで、わたしはある本を読みます。意味がわからない哲学の本。言葉の謎。けれどそれが様々な扉をあけてくれるようで、なぜかホッとする瞬間が来るのです。腑に落ちる、という表現がうまくハマるかも知れません。

そしてわたしはこのような時代に、一番必要なのが、この「哲学」という世界なのではないかとこの頃思うのです。もちろんこれまでも人々の心に与えてきた刺激はあったでしょう。でも、今、必要なのは哲学の言葉、そして仏教の教えのような、生きるヒントのある言葉なのかも知れない、そんなことを考えるこの頃でした。

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『ドゥルーズの思想』(ジル・ドゥルーズ、クレール・パルネ著・田村毅訳、大修館書店)

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『ドゥルーズ ―解けない問いを生きる』(檜垣立哉、NHK出版)

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『身ぶりと言葉』(アンドレ・ルロワ=グー欄 荒木亨訳、ちくま学芸文庫)

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