職種その他2021.03.12

10年前の写真を見て思い出したこと

東京
編集ライター
映画とラテンと音楽と
JUNTO

 

 東日本大震災が起こった2011年3月11日から10年が経ちました。
あの時に感じた強烈な恐怖心は、あまり思い出すことはなかったのですが、今年は10年という節目の年でもあるので、当時書いたブログと、家の近所で撮った震災の爪痕の写真を掲載したいと思います。

 すべてのインフラがストップしている中で部屋の片づけや、水の確保に追われていたこと、余震が来るたび恐怖で身体が緊張したこと。

 冷蔵庫が使えないので、家族の卒業祝い用に買っておいた上肉を、真っ暗な中で、ガスボンベを使って食べて
「これがほんとのヤミ鍋だ」と思ったこと…。

 そして震災の後の原発事故、見えない放射能汚染への恐怖…。

計画停電で街頭も信号も消えた中、バスもなくなり半べそかきながら夜道を歩いて帰ったことなど、
忘れていたことが、次々と頭に浮かんできます。

同じ緊急事態宣言下であっても、不安感は今とは比べものになりません。

 

 

~2011年3月のブログより~

実家に帰省中、車を運転している途中で被災しました。

目の前で、塀がドミノ倒しのように、パラパラと音をたてて倒れていくのを目にした時、

これは夢か現実か…。

一瞬、判断がつきません。

 放心状態から我に返り、あわてて家に戻ってみると、家も家族も無事でほっとしたのもつかの間、今度は、余震の中、ガラスの破片だらけの部屋の片づけ。

 日が暮れると、電気、水、ガス、電話もない中、暖をとれるもの、光がでるものをかき集めて夕食。

 ひっきりなしに続く余震に怯えながら、就寝。というか、仮眠。

 水と電気、ガス、そして電話も通じないという経験は生まれて初めてのこと。

文明社会に慣れ切った自分の脆さを実感させられた3日間でした。

まだまだ混乱は続いてますが、非常事態でも、冷静に列を作って配給を待てる日本人って素晴らしい、と実感しています。

 ◇

 そして、10年後、今度は世界中がコロナ感染で非常事態になるなんて、予想もしていませんでした。
自然災害や感染症など、人間の力では抗えないことが、10年単位で起こっているということを、改めて実感しました。
そして、今もまだ故郷に戻れない人々がいること、
福島原発の廃炉という大きな課題が残っていることなど、
昨日は、様々なことに思いを巡らす1日となりました。

 

 

プロフィール
編集ライター
JUNTO
普段は固めの記事広告ライター。ときどき映画やラテン絡みでもお仕事してます。 10年前に2年ほどブラジルに滞在して以来、ラテンカルチャーを日本で広めようと奮闘中。 写真は建築家オスカー・ニーマイヤーが設計したリオのニテロイ現代美術館。 http://officejunto.org/

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