5億ピクセルの高精細VRが持つ可能性。京都の“デジタル職人集団”DiO
その美しさは、風景写真でありながらまるで動く絵画を見ているよう。株式会社DiOのウェブサイトで見られる東京駅の画像は、限りなく“本物”であり、美しいものに触れたときの快楽を与えてくれます。解像度は最大5億ピクセル。他社のものとは一線を画す高精細なVRは、スタッフの手作業により生み出されているというから驚きです。
また、京都に拠点を置く企業として、寺社などの文化財保護にも力を入れており、創業当初から日本の歴史や文化、伝統をデジタル技術で記録する取り組みを続けてきました。最先端のデジタル技術であるVRと、文化財保護。一見正反対に見える2つは、代表取締役である一筆 芳巳(いっぴつ よしみ)氏の中では強い結びつきがありました。最高品質のVRにこだわる理由とVRを活用した未来像について、伺います。
デジタルコンテンツとの出会いは“着物の柄”だった
会社を立ち上げられる前は、どんなことをされていたのでしょうか?
私の実家は京都の呉服屋で、悉皆(しっかい)業を営んでいました。悉皆業とは、問屋さんから白生地を預かってデザインを考え、職人さんに依頼して完成させる“着物のプロデューサー”のような仕事です。ずっと家業に携わってきましたが、代替わりをした20代のころ、初めて「デジタルコンテンツ」に出会いました。そこで自分たちが作っている着物の柄をデジタルデータにして、パソコンで再現してみよう、と思いついたのです。当時はデザインソフトがやっと出始めたころ。PhotoshopやIllustratorを使って編集していて、バージョンが2.0くらいだったと記憶しています。スキャニング技術も今ほど優れていませんでしたが、まずは既存の着物の柄をスキャンして取り込む作業から始めました。
なぜ、着物の柄のデジタルデータ化に取り組もうと思われたのでしょう?
背景にあったのは、着物の売れ行きの減少でした。「型友禅」という伝統的な染色法では、染色に用いる「型」を作るところから始めるため、型にかかる費用を償却できるくらいの量の反物を作らなくてはなりません。しかし、その反物を使って作った着物は当然同じ色柄ですから、着物の需要が減った今はたくさんの売れ残りが出てしまいます。そこで、「インクジェットのプリンターで印刷できれば、1点からでも柄物を作れるのではないか」と思いつきました。通常のインクジェットプリンターが白い紙に印画するのと同じ方法で、真っ白な“布地”にも柄を描けるのではないか、と考えたのです。柄をデジタルデータ化したのは、プリント用に加工するためです。プリンターで布地を印刷するためにはもうひとつ、“布地用のインク”が必要でした。そこで、京都工芸繊維大学の先生とともに布地用インクの開発に取り組み始めたんです。
布地用のインクは、紙用のインクとはまったく異なるのでしょうか?
はい、一口に繊維といっても、植物性繊維、動物性繊維、人工繊維、と種類別で分かれており、それぞれに性質が異なります。繊維の種類が変わると、発色や定着の仕方も違ってくるんです。また、インクの中には、印刷後にスチームで蒸されて発色するものもありました。焼き物における釉薬のように、スチームをかけてみないと色の出方が分からなかったんです。さまざまなパターンを試し、繊維の種類や温度の違いでどんな色が出るのかを調べてパソコン上でデータベース化していきました。その後インクは実用化に至り、大手メーカーさんと連携して布地用のプリンターの開発にも携わりました。
デジタルコンテンツとの出会いのきっかけは、「着物の柄」という日本の伝統文化だったわけですね。
この経験から「文化的な価値を持つものをデータ化して活用できないだろうか」という想いが強くなりました。「デジタルアーカイブ」という分野に興味が湧くようになったのです。デジタルアーカイブとは、文化資源をデジタル化しデータとして記録・保存を行う取り組みのことで、1990年代後半は行政がデジタルアーカイブによる文化財保護に積極的に取り組み始めた時期でした。京都市にも「デジタルアーカイブ推進機構」という組織が立ち上がって。私も文化財保護には強い関心がありましたから、それらの動きに加わり、会議や委員会に参加するようになりました。当時は、3DCG画像によって作られた仮想現実(VR)コンテンツが主流でした。3Dのアニメーションのようなものですね。しかし、1つのコンテンツを作るのには何億円という莫大な費用がかかり、完成したコンテンツもうまく活かせなかったように思います。新たなデジタル技術が少しずつ登場し始めたものの、パソコンの処理速度は現在とは比べものにならないほど遅かったころ。当時の取組みはまさに、VRの黎明期だったと言えるでしょう。
VRを主力事業にして会社を立ち上げ
起業の意志はもともとお持ちだったのでしょうか?
自分の中では、「起業したい」という意識は特にありませんでした。家業を継いだ20代後半のころからずっと会社経営に関わってきましたから、やるのが当たり前だったような感覚です。この会社はもともと妻の家族が経営していた会社を妻が引き継ぐかたちでスタートしました。今も経営は妻に任せていて、私はもっぱらデジタル技術を使った文化財保護のビジネスモデルを考えるのが仕事です。利益には執着せず、「いいものを作りたい」「面白いものを作りたい」という気持ちのほうが強いですね。文化財保護の仕事には、社会貢献の意味合いもありますから。立ち上げのころから現在まで変わらず、VR制作を主軸事業に掲げています。
会社を立ち上げられたころは、まだVRの認知も低かったように思います。事業として手がけるのに不安はなかったのでしょうか?
そうですね…会社を立ち上げる前に、大学の国際観光学部で授業を持っていた時期があったんです。その中で学生に、カメラを持ってお寺を回り、撮影した画像データでデジタルコンテンツを作らせる課題を出したことがありました。完成したものをみんなで見せ合って感想を言い合ったところ、とても好意的なリアクションが返ってきたんですね。学生の意見はそのまま、ユーザーの意見でもあるはずです。「文化財を保有する人と訪れる人の関係に、デジタル技術が介在できるかもしれない」と感じました。VRなどのデジタルコンテンツをビジネス化したら面白くなるんじゃないかな、と。
事業は順調に軌道に乗っていったのでしょうか?
いいえ、初めはVR制作の売上だけでは会社を続けていくのは難しく、ホームページ制作なども並行して受注していました。その後「VRと地図情報を組み合わせてみてはどうか」と考え、オリジナルの地図コンテンツを開発しました。地図の中に配置されたマークをクリックすると、その場所のVRが広がる、といった具合です。この地図は観光地の紹介などに活用でき、行政機関からの引き合いを多くいただきました。近年では、映像機器などを手掛ける大手メーカーさんから、商品を展示する際に使うVRを提供してほしい、という要望も受けています。私たちはこれまでに文化財保護の目的で900近いデジタルコンテンツを制作してきましたから、手持ちのデータがたくさんあるんです。実にその8割近くが、京都の寺社や文化財、風景などを撮影したものです。
5億ピクセルの解像度を持つ美しいVRを制作
御社のVR画像は、非常に高精細で美しい仕上がりが特徴です。やはりこだわりがあるのでしょうか?
私たちは機械に依存せず、「手づくりで高精細の画像を提供する」ことを大切にしています。一眼レフカメラを使って少しずつずらしながら写真を撮り、パソコン上で、手作業で画像を貼り合わせているんです。
最近では360度のパノラマ写真を写せるカメラもたくさん発売されていますが、仕上がりの品質には限界があるので、高画質のコンテンツを作ることは難しいでしょう。手間がかかる仕事ではありますが、その価値はあるはずです。
また、私たちが提供しているVRの画像は、最大“5億ピクセル”の解像度を持っており、これは、人の目で認識できる最大の画素数だと言われています。つまり、これ以上解像度を上げても人の目では違いが分からないギリギリの数値です。VRは写真画像を組み合わせて作っていますが、これだけ解像度を上げてもファイルサイズが大きくならずに済むところも特徴です。
5億ピクセルとは、すごい数字ですね!なぜそこまで画質にこだわるのでしょう?
VRを見てくれるユーザーの方に、一番いい状態で画像を提供したいからです。それが、撮影した被写体にとってもプラスになると信じています。コンテンツ化された画像がそれなりのクオリティを持っていれば、見ている方も心地良く感じますよね。違和感なく見られるように、被写体の再現性を最も重視するようにしています。文化財などを「記録する」という意味合いにおいても、再現性はとても大切なポイントです。
VRの素材となる写真を撮影するときには、どのような点を意識されますか?
素材となる写真の撮影には自社の担当者が出向きますが、一番難しいのは「アングル」の決め方です。被写体をどこから撮ればいいのか?ということですね。
お寺の庭を例に考えてみましょう。庭師は、部屋の中から庭を見てもらうとき、どこから見られるのを意識して作ったのでしょうか。部屋の角から?それとも中央から?立って?それとも座って?
仏像が、信者から拝まれる、つまり下から見上げられるシーンを想定して作られたように、庭にも本来は決められた見方があるはずなんです。庭も、お寺も、仏像も、すべてに“作り手”がいます。作り手は見る人の目を考えて作っていますから、私たちもその視線に合わせて、カメラのアングルを設定しなくてはならないんです。これには背景にある歴史の知識が必要となり、非常に難しい点です。
買い物という“体験”を、居ながらにして楽しめる未来へ
ここ1年のコロナ禍を通して、どのような変化を感じていらっしゃいますか。
コロナ禍により、人とデジタル技術の関係性は大きく変わりました。今まではデジタルに辿りつかないと思われていた70代以上の方たちが、一気に市場に流入してきたのです。特に需要が高まっているのは、商業施設からのeコマース(※ネットショップ)サイト制作です。サイト上にVRを取り入れることで、サイトを訪れた人があたかも店舗にいるような感覚で買い物を楽しめます。
百貨店を始めとする歴史ある商業施設は、“信頼”と“ブランド力”が最大の魅力です。既存のショッピングサイトのようにただ商品を羅列するだけでは、その魅力を伝えることはできません。リアル店舗を持っているからこそ、ネット上でも発揮できる強みがあるはずなんです。現在の百貨店のネット販売は7割近くがお中元・お歳暮に限られているそうです。服飾や宝飾品、インテリアなど主力商品の販路開拓にはまだまだ辿り着けていません。その実情をひっくり返すようなVR空間作りができれば、と思っています。
eコマース事業では今後どのような展開を目指していますか?
VR技術で、これまでとは全く違ったショッピング体験を皆さんに提供したいです。百貨店で買い物をするときのように、VR内で、お客さまが寄り道をしながらゆっくり好きなものを探せるような空間ができれば。できるだけ映像の再現性を高くして、なおかつ店舗が安価で導入できるようなシステムを作りたいですね。VR上に複数の店舗ができてくれば、より、百貨店や商店街にいるような感覚に近づきますから。たとえコロナ禍が収束したとしても、体が不自由な方や高齢者の方、介護をしていて出かける時間が取れない方など、身体的、時間的に買い物に行けない方々がたくさんいます。もしネット上にVRの店舗ができたら、このような方々にも買い物を楽しんでもらえますよね。ただ必要なものを買うのではなく、ワクワクする“体験”の要素を盛り込めるところがVRの大きな魅力です。
そう考えると、VRの可能性はまだまだ広がっていきそうですね。
通常の買い物はもちろん、VRだからこそ実現できる特別な体験も生みだせます。店舗の奥のドアを開けたら、そこに外国の街の景色が広がっている…なんて、まさにドラえもんの「どこでもドア」ですよね。“ショッピングとジャーニーがミックスされる世界”です。こんな遊び心ある空間が実現したら、とても面白いと思います。これからは、どこまで綺麗に違和感のないVRを作るかが課題ですね。私たちにしかできない高品質のコンテンツ作りにこだわっていきたいです。心意気はクリエイターとかアーティストではなく、“デジタル職人集団”でありたいですね。だってここは職人の街、京都ですから。
取材日:2021年5月17日 ライター:土谷 真咲
株式会社DiO
- 代表者名:一筆芳巳
- 設立年月:2017年3月
- 資本金:1,500万円
- 事業内容:VRコンテンツ・eコマースシステム・デジタルMAPコンテンツ・アニメーションコンテンツ等の開発・制作・販売及び運営、ジタルコンテンツのプラットフォーム配信における設計・運営、Webサイトでの広告業務及び広告代理店業務、デジタルサイネージへのコンテンツのレイアウト設計・運営、デジタルアーカイブスに関する研究・技術開発、文化財保存に関する研究・技術開発
- 所在地:〒602-8061 京都府京都市上京区甲斐守町97番地西陣産業創造會舘
- URL:https://dio.gallery/
- お問い合わせ先:上記HPの「お問い合わせ」より