様々な価値が流れる、 そんなメディアが夢。

Vol.86
株式会社TBSテレビ 報道局 チーフプロデューサー 黒岩亜純(Azumi Kuroiwa)氏
 
朴訥とした思慮深き哲学者――。TBSの人気ドキュメンタリー番組『夢の扉+』のチーフ・プロデューサー、黒岩亜純さんとお会いした第一印象だ。しかし同時に、理路整然と語る言葉から滲む情熱は凄まじく熱い。報道の最前線で培ってきた経験を現在の番組制作にも活かし、テレビマンとして新たな夢の扉を開いて走り続ける氏に、メディア業界に惹かれたきっかけ、番組制作の魅力などを伺った。

人物ドキュメンタリーの魅力

特典映像

まず、マスコミ業界、テレビ業界を目指されたきっかけを教えて下さい。

もともとドキュメンタリーを観るのが大好きでした。育った国がイギリスとアメリカでしたので、BBCやアメリカのTV局が作るドキュメンタリー番組をたくさん観て、ドキュメンタリーの重みというか、ドラマとかバラエティーとは異なる世界が自分にとって非常に魅力的に思えたんですね。それで、「いつか自分で、ドキュメンタリー番組を作りたいな」という思いを胸に秘めていました。 今もそうですが、特に人物ドキュメンタリー番組が好きで、人に直接会い、その人の魅力を引き出しながら世に伝えていくということがやりたかったんですね。しかもそれが社会的な意義のあることをやっている人に関しては、より惹かれるところがあったので、そういう人を追いかけてみたいなと思っていましたが、いつの間にか、現在の職業に就いていました。

就職する前に観た番組、あるいはテレビからの情報で印象深いものは何ですか?

「テレビの世界に」と思ったのは「映像の力」「生の力」を感じたのが大きかったですね。 アメリカのスペースシャトルが打ち上げ直後に爆発してしまった事故がありました。チャレンジャー号爆発事故です。高校生の時でしたけれど、全米の期待を背負ったスペースシャトルがみなの前で粉々になる瞬間を生中継で見た時、翌日の新聞も読みましたけど、あの瞬間を生で見たときの自分の衝撃、インパクトがあまりにも大きすぎた。映像と音と、その世界というのは、人に多大なる影響を与えるものだなと。もちろん「文章の力」というのも大事ですけれど、映像が、それをさらに上回る時もあるんだな、と痛感しました。悲劇でしたけれど、その「強さ」に惹かれてしまいました。

歴史的な転換期に配属された外信部

TBSに入社されて、最初から報道部に配属になられたんですか?

帰国子女という事もあり、入社1年目から外信部、いわゆる国際ニュースのほうに携わりました。当時は湾岸戦争の直後で、入社した年がソビエト連邦の崩壊だったりとか、ユーゴスラビアが内戦になっていってしまう・・・という、激しく国際情勢が動いていた時代でした。とてもとても新人にとっては、新人だけじゃないですね、報道部員の全員にとっても物凄く大きなエポックで歴史的な転換点でもあり、働いていても、「本当に世の中が動いている!」という時期でした。

外信ですと、速報を常に出すセクション、情報をどんどん出していかなければいけない。そうしたなかで失敗してしまったとか、そういった経験もありましたか?

そうですね、例えば、夜中の1時2時くらいに、突発的にどこかで内戦状態に入ったと。「ドンパチが始まった~!」という。自分たちが必死になって映像をかき集めて原稿を書いているのは良いんですけど、それを伝えるためには当然技術者が必要になる。で、寝ている技術者たちを叩き起こして「スタジオを開けてくれ!」と。当時は人数が少ない中でやっていて、「原稿書いた!」とスタジオに上がっていったら、技術者がいなかった。 連絡してなかったんですね。「どうやって放送するのか!?」と真っ青になり・・・。間もなく放送が始まっちゃう、と。で、それまで技術者たちがどういうボタンを押していたかは何となく分かっていたので、放送直前、「よし! 自分たちでやろう」と腹を括りました。その時はどうにか技術者が間に合って、事なきを得ましたけど。

当時は、テレビ局もまだ「手作り感」みたいなものが残っていた時代。

そうですね。いまは簡単に字幕を出す事が出来ますけれど、当時はそれこそ1枚1枚、用紙に書いてプリントアウトして、それを合成して放送にのせていました。パソコンでパパッと文字を打って、それが変換されてすぐに出るという時代ではありませんでした。確認していて「字幕が間違った!」ということになると、直前で修正しなければいけない。しかも、字幕にも順番があるので、順番が間違っていたりすると、もう手作業でその順番を変えなくてはいけない。 生放送に突入して、裏方の方では、「これじゃない!もう1枚送って! それを出して! 次のも違う! 2枚、3枚送って! 違う、違う4枚!」みたいな感じで(笑)。そうこうするうち、翻訳がもう追いつかなくなったりもしました。ロシア語がそのまま出て、なにも字幕が出てない! そういう時は本当に落ち込みましたね。 正確なものをいかに伝えるか。それが伝わらなければ全く意味のない放送をしているということになる。それはもう、1年生だろうが何年生だろうが、誰も分かっていることで。とにかく、そういうミスを犯したくないという気持ちはすごく出てきますよね。そういう意味で手探り状態というか、手探りの状況をずっと続けていました。

『夢の扉プラス』

現在は「夢の扉プラス」という番組のチーフプロデューサーという立場になります。

番組自体は、昨年の4月をもって、もともと違う部署で作ったものを報道局で作るようになったんですね。報道局になって作り始めてからはおよそ1年半以上経ちますけれど、歴史としてはもう8年目に入っている番組になります。 8年前から人物ドキュメンタリーという感じは変わりませんが、その他の部分は色々変わりました。ナレーターも変わったし、若干、扱っているテーマも変わって来ています。より報道色を入れたものとか、いまの時事性に合わせたものとか。 それからJNN系列の全国のネットワークがありますので、その系列局の力を借りて系列局が何年にも渡って積み上げてきた人脈、そういったところから何かストーリーが出てこないかなとか。そういう地方とのネットワークを活用し、報道局ならではの利点も生かすようにしています。

「夢の扉プラス」という番組を制作するにあたって、大切にしている事は何ですか。

単なる情報番組とは違う、面白い情報を視聴者に与え続けるだけではなく、人間のドキュメンタリーの部分で人の心を引っ張れる、引き込める、そういう人物を取り上げようと決めました。 さらに、夢をもっている。で、3つのトライアングルを作りました。トライアングルの上には「夢」。それは人々を笑顔にする夢を持っている人。 それからもうひとつの点には「主人公のドキュメンタリー、ヒューマンストーリー」。このヒューマンストーリーを見てみんなが感動したり、もっと頑張らなきゃと思ったりとか。とにかく、「ヒューマン」で引っ張れるところ。そして最後に「情報面」。情報面で「面白いな!」と。「こんな素晴らしい話があるんだ。こんな素晴らしい技術があるんだ。こんなやり方があるんだ」と。 この3つが満たされる事によって、ひとつの完成されたものになっていくと。いうことを凄く考えながら制作しています。

誇り高き職人との出会い

これまで制作した中で、印象深い企画を紹介していただけますか。

「ヒューマン」で言いますと、職人さんのお話。「曲がる食器」を作られた方です。 2011年4月10日放送: (株)能作・能作克治社長 食器は、普通は曲がるものじゃない。でもお皿だったり、いろんな器がどんどん曲がっていく、という。錫で出来ているんですけれど、物凄い画期的な食器を作り出して、それを地方から出てきて東京で売り出し、さらには世界へ打って出る!という企画でした。情報面的にも「面白いな。そんな食器があるんだ。それで世界へどうやって打って出るんだろう」と。 同時に、その人の魅力のひとつに、物凄く温和な印象の方でしたが、職人として食器を作っている時に、ある工場見学に来た母子がいて、お母さんが自分の小学生の息子に向かって「ほら、あなた勉強しないとあのおじちゃんみたいになっちゃうわよ!」と言って主人公のほうを指していたみたいなんですよね。それを聞いた主人公は、そこで大きな声を出して反論はしなかったものの、忸怩たる思いがあったんでしょうね。悔しさ・・・。 自分がやっていることへの誇りがズタズタにされてしまった。「あなた、勉強しないからあんなになっちゃう」と言ったお母さんに、「それは違う」と。「この世界は自分が必死になって誇りを持って築き上げた凄いものがあるはずなんだ。俺はそれを日本中に、世界中に訴えて、この仕事の素晴らしさを伝えていきたい」と。穏やかで、常に笑顔でいながらも、非常に力強い志を持っている人でした。その「ヒューマン」な部分に魅力を感じると、企画自体が非常に魅力的になりますよね。

もう一つ印象的に残っている企画は、とんでもない発想をする方。 2011年10月2日放送:石川県羽咋市役所 高野誠鮮さん 「えっ?こんなことは一般の人じゃ考えられない!」というような企画ですね。ひとつ例を上げると、限界集落に陥っていたある地域を、どう救うか、ということを考えていた地方公務員の方のお話です。地元の人からすると「ここは石川県のかなり地方で、何もない」と。「いやいや、何も無いわけじゃないぞ。ここには美しい景色がある、きれいな水がある、美味しいお米があるじゃないか」と。これをどうにか売れないかと考えた。そうすることによって若い人たちがどんどん入ってきて、入ってくる事によって限界集落から脱する事が出来ないだろうかと。 じゃあどうやって集落を有名にするのか。このお米をブランド化出来ないかどうか。ブランドにするためには有名人に食べてもらったらどうか。じゃあ一番いい有名人は誰か。そうだ、この地区は、神の子の原っぱ、神子原(みこはら)地区と呼ばれている。だから「神が宿ってるんだ」と。そこで、「そうだ、バチカンのローマ法王に食べてもらうのはどうだろう」と。そこでみんなは「えーっ!?」となるわけですよね(笑) 普通の人は「何を考えているの?」と。「こんな地域のお米をローマ法王が食べて・・・なんて有り得ない」と。「食べてくれたら嬉しいけれど、食べてくれるわけないだろう」と。でも、彼は市長さんにも言いに行くわけです。「ローマ法王に食べてもらうようお願いしてきます」と、バチカンの大使館まで出掛けて行き、お願いしてくる」と。そしてバチカンの大使館へ出かけていくわけです。 そうしたら返事が返ってきて、「ローマ法王が喜んで食べてくれました」・・・「えーっ!?」となった(笑) 市長もビックリ(笑) で、それが実際に起爆剤となって「神子原米」という、神子原で採れたお米が世に出るようになり、限定的に売り出すことによって非常に高価な、そして美味しい限定したブランドが出来た。そこから一気にいろんな人が集まるようになった。さらには若い人が集まる手段を考えて、どんどん若い人が入ってくるようになり、限界集落から脱することが出来るようになった。まさに発想の転換というか、発想で以って切り拓いたケースですよね。こういうケースは凄く印象に残りますよね。

多様な価値観を許容できるメディア社会の実現

黒岩さんご自身の「夢」は何ですか?

報道局の番組に携わって来ている影響があると思いますが、ベースにある自分の価値観は「いろいろな価値観があって良い」という事。いろいろな思想、考え方、それから手法。それぞれを否定されていくような社会はあってはならない。民主主義の良さは、多様な価値観を許容出来る事ですよね。メディアも同じで、ひとつの時間帯、ある一定の時間帯に同じような情報、同じような価値、同じような泣き・笑いがあるだけでは良くないな、と。いろいろ価値観があるべきだと考えています。 例えば、You Tubeをちょっと覗けば、地上波のゴールデンタイムではやっていないような内容が流れていたりする。でもそこにある種一定の支持が得られたりもしている。そういう価値が、今は分散化されている時代と言われていますけれど、いま分散されている訳ではなく、もともと分散化されている訳であって、それを無理にひとつの統一的な価値に押し留めている、押し込めているような気がします。でも、そうじゃない。こういう笑いがあっても良い、こういう真剣なドキュメンタリーがあっても良い、こういうドラマの描き方があっても良い、もっと言えば、ドラマ、ドキュメンタリー云々という分け方自体なくても良い。 いろいろな価値が放送で流れるような仕組み、そのシステムが作れたら、自分がこの業界に入って本当に良かったなと思える気がしています。それはひとつの小さな番組で出来ても良いですし、願わくは民放各局、NHKも含めた放送局のすべてがそういう価値観をもって、それぞれのユニークさ、独自さというものを発揮できる放送局になれる・・・。それの、何かこう大きなベースが出来るメディアが築けたら嬉しいですね。とてもひとりで実現できるものではないですけど、大きな大きな夢ですよね。

疑問点、問題点を常に意識して持ち続ける

最後に、これからメディア業界を目指す若い子たちにアドバイスをお願いします。

大きな団体、グループ、組織に入ると、当然そこの中の価値観だったりいろんな教えがあったり、そこの特色がある。そこに慣れることが、一番初めの目標になってしまうかもしれません。でも、ある一定の期間が過ぎた時にもう一度原点に立ち戻り、自分が「これは社会にとって良いんじゃないか」とか、「こうする事によって、視聴者にとっても作り手側にとってもプラスになるんじゃないかな」という部分を整理する事が大切かと思います。いつも疑問点を持ち続ける事は、凄く大事だと思います。それは会社に対する不平や不満、悪口を言う事ではなく、次への力になって次への商品開発に繋がっていくようなものですね。 「不便」な状況が「便利」なものを生み出す・・・といったような。例えば、あるメーカーに対して消費者からクレームが入る。クレームというのは、実はひとつの財産であり、そのクレームこそがより良い商品に繋がってゆく。働く側もそうだと思うんです。働く上で、「これは何かおかしいぞ」と思う部分があったら、直ぐそこでバン!と解決しなくてもいいと思いますけれども、その疑問点・問題点を常に意識として自分の中に持ち続けながら、よりいいものを解決、変えていく、そういう力を常に自分の中に持っておくことは、凄く大事だと思います。 いまは言われたままのものを言われたままにこなしてくだけじゃダメな時代ですよね。どんどん、いろいろなものが動いている時代。ぜひぜひ、積極的に自分の中でそういう意識を養って、推進していってもらいたいなと思います。

取材日/2012年10月15日 取材・文/会津泰成

Profile of 黒岩 亜純

株式会社TBSテレビ 報道局 「夢の扉 プラス」 チーフプロデューサー黒岩亜純さん

株式会社TBSテレビ 報道局 「夢の扉 プラス」 チーフプロデューサー

1968年 東京生まれ。 慶應義塾大学卒業後、TBSに入社。 報道局国際ニュースセンター、「報道特集」「筑紫哲也NEWS23」デスク、政治部を経て2011年4月より「夢の扉 プラス」チーフプロデューサー。

 
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