「青春58きっぷ 昭和を探せ!前篇」

最終回スペシャル!
電通第5CRプランニング局 クリエーティブ・ディレクター / コピーライター
Akira Kadota
門田 陽

のっけからさびしいお知らせですが、当クリエイティブ探検隊は次回でおしまい。そこで最後の探検は隊長門田の長年の探し物を見つけに行くことにしました。探し物は青春のあの頃。青春といえばあの切符。そうです、「青春18きっぷ」で「昭和」を探しに出かけようと思います。
【今回の探検は緊急事態宣言や、まん延防止等重点措置の発令期間ではない2021年3月23日から4月4日にかけて行っています。(※写真①)】


写真①

 

◎青春18きっぷの基礎知識
鉄道ファンからすれば当たり前すぎることでしょうが、僕は58年の人生で初めて「青春18きっぷ」を使いました。もちろん名前は知っていましたし、興味は持っていましたが名前(ネーミング)のイメージで勝手に若い人向けのものだと思っていました。「青春18きっぷ」とはどんな切符なのか。すこぶる簡単に説明しますと、
①利用者の年齢に制限はない
②発売は年に3回、利用期間も春夏冬の一定期間だけ。
③切符は5回分のセット発売のみでバラ売りはなし。1回分は乗車当日限りで1日使える。
要は一人なら5日分です。料金は12,050円。
④乗れるのは普通(快速)列車つまり鈍行の普通自由席のみ。
という乗り放題切符です。どうですか?僕の想像とはずいぶん違っていました。年中買えると思っていましたし、自由席なら新幹線はともかく特急には乗れるイメージでした。そりゃこの価格ではムリですもんね。行程の途中で特急や新幹線を使う場合、特急料金はもちろん乗車券も必要なので、鉄道ファン以外にはそんなにお得を感じない切符なのかもしれません。

 

◎一つだけのルール
さて、今回の青春58きっぷの探検隊ですが、ルールは緩めに設定。「青春18きっぷの世界」でよく聞かれる損得分岐点や諸々の細かい条件(この切符、きちんと調べるとかなり使いにくいです)には縛られずに行います。

唯一の決め事は起点から終点までの間は「18きっぷ」を使用すること。他はその限りではありません。すなわち起点までの移動と終点からの移動は何でもヨシにしました。またJRのない区間の乗り物も自由。ふだんは普通の会社員なので土日と休暇を使っての探検です。あしからず。

 

◎初日<起点は大阪の昭和町>
朝一の飛行機で大阪に到着。起点の場所はカンで決めました。大阪市阿倍野区昭和町(※写真②)!以前仕事(ロケハン)で近くに泊まったときに面白そうな街だな、と目を付けていたのです。「名は体を表す」を町ぐるみでやっていると言ってもいいでしょう。昭和町の中心の文の里商店街はどこを切り取っても、ザ・昭和の佇まい(※写真③④⑤⑥)。しかしいきなりの誤算は昭和町駅がJRではなく地下鉄だったこと(※写真⑦)。それからコロナの影響や着いた時間が早かったせいか開いている店が少なかったです。ここからJRの天王寺駅まで出て次の目的地へ向かいます。


写真②

写真③

写真④

写真⑤

写真⑥

写真⑦

 

◎初日<あの頃見たアニメ>
天王寺駅からは一旦大阪駅に行きそこから尼崎駅を経由、JR宝塚線で宝塚駅に到着(※写真⑧)。そこから宝塚音楽学校(※写真⑨)の前を通って徒歩約10分。僕が物心がつきたての頃に毎日見ていた「鉄腕アトム」の作者手塚治虫の記念館に着きました(※写真⑩)。念入りの感染対策を入口で受けて入った館内はコンパクトながらも各フロアとも工夫が施されていて(※写真⑪⑫⑬)手塚ファンにはたまらないであろう大宇宙でした。特にライブラリーやアニメ工房などは子どもでなくても一日中いたくなる場所。スケジュールのため後ろ髪を引かれながらここを去り、宝塚駅から尼崎を経由して新長田駅に到着。アトムの次は鉄人です。ここは漫画「三国志」や「鉄人28号」の作者横山光輝の地元。そこで鉄人推しの街づくりをしたそうです。令和の今どきそんなことができるのかな?という疑念もありつつ来て見てビックリ!鉄人の街は存在しました(※写真⑭)。地元にとっては当たり前の風景なのでしょう。僕以外は誰も鉄人の姿が見えないかのようにその横を自然に歩いています(※写真⑮)。お台場のガンダムも立派ですが、驚きは断然こっちです。唐突感というか周りとのバランスのなさが圧倒的で、もの凄く強烈な存在感を放って立っているのです。いわゆる「なんじゃこりゃあ!」です。この写真、東京に戻って仕事仲間や友だちに見せるたびに「エッ、ウソだろ!?」という反応。「生で見たい」という人も多くて、なぜそんなに知られていないのか(関西では有名なのかもですが?)フシギです。


写真⑧

写真⑨

写真⑩

写真⑪

写真⑫

写真⑬

写真⑭

写真⑮

 

◎初日<四国へ渡る>
しばし鉄人の雄姿に見惚れていると時計は夕方の4時をまわりました。ここから次の目的地まで「18きっぷ」だと約4時間。明石、姫路、相生、岡山と乗り継いで瀬戸内海を越えるとそこは四国。目的地の一つ手前の高松駅に20時過ぎに着き(※写真⑯)駅前の宿に飛び込んでみると宿泊ОK!しっかりうどんを食べて明日に備えました。


写真⑯

 

◎二日目<高松の昭和町>
朝7時17分JR高松駅発。7時20分に隣の昭和町駅に到着(※写真⑰⑱)。小さな無人駅ですがきれいな住宅街の中にあります。不審者を見るような地元の人たちの目を感じつつ昭和町をグルっと一周(※写真⑲)。するとその中に菊池寛記念館がありました(※写真⑳)。知っていれば時間を読んで来たのですが開館までは待てません。偶然の産物なので仕方なく、次の場所までまた長くお尻の痛い鈍行電車に揺られながら向かいました。ほんの半日の四国上陸でした。


写真⑰

写真⑱

写真⑲

写真⑳

 

◎二日目<あの頃のお店>
高松から岡山駅を経由して9時53分に長船駅(岡山県)に到着(※写真㉑)。ここから瀬戸内市営バスに乗り換えます。バスと言ってもどう見てもハイエース(※写真㉒㉓)。途中何人かが乗車したり地元の子どもがバスに手を振るのに運転手さんが車を止めて応えたりと昭和40年くらいの微笑ましい光景が続きます。そして約20分。だがしの大町前(※写真㉔)に着きました。ここは日本一大きな駄菓子屋さん。山と畑に囲まれ、あまりにも何もない地になぜ作られたのかは謎ですが親子連れを中心にお店の中は子どもたちが走り回っています(※写真㉕)。僕も妙にテンションが上がってメンコやシールやなぜか糸電話まで買ってしまいました(※写真㉖㉗㉘㉙)。今家で改めて見ると糸電話はいらなかったなぁ苦笑


写真㉑

写真㉒

写真㉓

写真㉔

写真㉕

写真㉖

写真㉗

写真㉘

写真㉙

 

◎二日目<岩国の昭和町>
再びハイエースのバスで長船駅に戻り12時30分の鈍行でひたすら西に向かいます。広島県はやたらと駅が多い気がしました。17時12分、つまり4時間42分かけてようやく着いた岩国駅(※写真㉚)。西日本は日が長いのが助かります。スマホの地図を頼って徒歩で辿り着いた本日二つ目の昭和町(※写真㉛)。町内の児童公園はその名の通り(※写真㉜)ドデンと亀が鎮座していました(※写真㉝)。それから駅前に戻り大浴場のあるビジネスホテルにチェックイン。フロントで地元のうまい居酒屋を教わってほんのひととき安らいで二日目終了。


写真㉚

写真㉛

写真㉜

写真㉝

 

◎三日目<通学電車にて>
朝6時44分岩国発下関行き(※写真㉞)。途中で制服姿の小学生男女が乗ってきました。きちんとマスクを付けています。4、5年生かな。毎朝のことなのか二人は王様ゲームを始めました。きっと親が教えたのかやっていたのを見て覚えたのでしょう。「王様ジャンケンジャンケンほい」。1番が女の子で2番が男の子。男の子がジャンケンに勝ちました。何を言うかと思ったら「1番が2番に英語で話しかける」でした。「グッドモーニング!」ほんわかします。次の駅でもう一人男の子が加わりました。当然彼は3番です。その男の子が勝ちました。「1番が2番と3番に恐い話をする」という命令。これまた子どもらしくてかわいいです。どんな話を女の子はするのでしょう。周囲に立っている大人たちも明らかに聞き入っています。「昨日の夜、お布団に入ってしばらくしたら、ママがパパのパンツをおろしたみたいで、パパがまだやめなさいって言いました。ね、恐いでしょ」男の子二人は意味がわからない様子。周りの大人たちはもうそれ以上は言っちゃダメという空気。次の駅で三人が降りると一気に車内の緊張感がほどけました。いや~、恐かったです。


写真㉞

◎三日目<いざ九州>
下関駅に10時1分に着き、行橋行きに乗りかえて福岡県小倉駅に着いたのが10時23分。目的地に行く前に腹ごしらえをしようと駅前をぷらぷらすると目と足が止まる標識を発見(※写真㉟)。昭和を代表する作家の名前じゃありませんか。どうやらすぐそばに記念館がある模様。これは道草せずにはいられません。もちろんそのまま食事抜きで行きました。しかし期待しすぎたせいなのか、急いで見たせいなのか、帝国書院の「松本清張地図帖」やみうらじゅんの「清張地獄八景」(※写真㊱)を読んだときほどの感激は得られませんでした。付け加えるとグッズコーナーの貧弱さは何とかしてほしいです(絵葉書2枚だけ買いました)。ま、イレギュラーで訪ねた場所なので気を取り直して今日最初の「昭和」へ向かいます。


写真㉟

写真㊱

 

と、話はいよいよここからが盛り上がるのですが、お時間がいっぱいということで「後半(最終回)につづく」です。「後半につづく」は先日引退されたキートン山田さんの声で書いています!

プロフィール
電通第5CRプランニング局 クリエーティブ・ディレクター / コピーライター
門田 陽
電通第5CRプランニング局 クリエーティブ・ディレクター/コピーライター 1963年福岡市生まれ。 福岡大学人文学部卒業後、(株)西鉄エージェンシー、(株)仲畑広告制作所、(株)電通九州を経て現在に至る。 TCC新人賞、TCC審査委委員長賞、FCC最高賞、ACC金賞、広告電通賞他多数受賞。2015年より福岡大学広報戦略アドバイザーも務める。 趣味は、落語鑑賞と相撲観戦。チャームポイントは、くっきりとしたほうれい線。

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