毎日が『デッドライン』。

東京
書道家・ライター
Thoku
桃空

先日『デッドライン』という本を読みました。家のものが図書館で借りていたのですが、図書館はコロナウイルス感染症のため閉館していたので、まだ家にあったのです。

この本は修士論文の「締め切り=デッドライン」を目指している主人公の話ですが、実は私もこの気持がとても良くわかるので一気に読んでしまったのでした。

哲学者の名前も幾つか連なり、知っている名前だったのと、ちょうど傍らにおいていた資料とかぶっているものもあったので、とても入りやすかったです。

が、実は手を焼いているドゥルーズの名前が登場していたのです(苦笑)。

しかし、物語は非常にわかりやすく、とっつきやすいのでぜひ読んでみてください。

今のこの世のなかでは「多様性」を奨励しながら、実際の社会で目の前に「多様性」が現れると尻込みしているような図があるような気がします。また性的マイノリティーというような言葉の示すボーダーラインもなかなか超えられないのではないかと思われます。トイレの問題や結婚の問題など、身近なところで悩んでいる人は少なくありません。

もっと言えは、根強い「差別」の光景は至るところに存在しています。アメリカの歴史は今日まで続いていることが、先日の事件で詳らかになってしまいました。思考を停止しないよう、私たちはどうあるべきかを今このときもずっと考え続けなければなりません。ラインというのは、日常に唐突に現れ、唐突に身近な人と自分のあいだに境界をつくってしまう。そういったことが一つでも少なくなるよう、祈るしかありません。

この『デットライン』のなかでは、主人公はゲイであり「生成変化」というキーワードを元に思考しています。誰の立場になって、その内側に入り込み、考えられるか。

哲学の導きは生活を救うことができる。私たちは常に哲学とともにあるのだと、この本は伝えているのではないかと私は思いました。このことを難しくとらえられないように祈ります。たとえば「猫は哲学をしている」という表現を耳にしたことがあるのではないかと思います。私たちは生活のなかで、実は自然と、様々な思考をしているのではないかと思うのです。

誰かと何かでぶつかったとしても、そこで「あちらが悪い」とだけ思ってしまったら、それは思考停止であるといえると思いますが、そうではなくその先の答えを見つけようとすること、という作業が実はとても大事なのではないかな、と思います。

ところで、バスク風チーズケーキは黒いほうがいいらしい(笑)!これもデッドラインか。

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ドゥルーズとガタリによる最大の挑戦にして未だ読み解かれることない比類なき名著。リゾーム、アレンジメント、抽象機械、リトルネロ、戦争機械など新たな概念を創造しつつ、大地と宇宙をつらぬいて生を解き放つ多様体の思考。器官なき身体/存立平面から“機械圏”へ―来たるべき民衆のための巨大な震源。 (アマゾンより)

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