「グラデーション」を歩くということ

東京
書道家・ライター
Tohku
桃空

現在、明治大学生田図書館のなかにあるGallery ZEROでの展示設営に行ってきました。

今回の展示は『グラデーションを歩く』。書、写真、文章など様々なジャンルの展示となり、期間は12月23日(月)までです。

展示作品は3つ。まず、漢字という大陸から伝わった文字から日本の仮名として変化していく途中をあらわした「高野切第三種 伝 藤原行成」の臨書。2つ目は秋からずっと書いてきた「風」という大きな文字を二点、それからある1つの歌詞から展開する日本語、英語、スペイン語への詩作のグラデーションです。

人と人の境目、人と動物の境目、動物と動物の境目、動物と植物の境目、植物とすべての生物の境目、地球と宇宙空間の境目……率先してやらねばならないことを人はあまりにもおろそかに、傲慢にやってきてしまいました。環境すべてを少しずつ、時には大きく変化させ、崩壊させて……。動物たちは人間の境目を越えなければならなくなり、生き絶え絶えとなっています。植物は化学合成農薬によって土から吸い込み自分自身が毒の濃度を増していきます。いつしかすべての生き物はもう他の境界を脅かすこととなっています。これはすべて人のせいなのです。でも自覚がなければ進む一方で、もう後戻りができないことは多く、これをどう考えるか。あしたのレジ袋、電化製品の梱包材などのゴミを少しでも環境をこわさないものへと変化させること。これでも到底間に合わないのです。が、小さくても全員がやれば大きな一歩になります。たとえばランチの袋、お財布だけではなくエコバッグと水筒を。人はもっとアイデアに満ちた種だったのに、いまや一番だめな生き物になっているのですね。そうした境界のことを考えていけたらいいな、そう思う今日このごろです。世界が少しずつ狂い、その狂いがもう、目に見えるようになってしまった今、せめて目の前のこれができる、あれができる、ちいさな一歩を戻す方に、1ミリでも動くために、と、願う毎日です。

沖縄のジュゴンはもうすべて死に、幻の生き物になりました。ツキノワグマという日本の大切な生き物も民家に入ってきたことで銃撃されてしまうのです。どんぐりさえあれば人に危害は加えないのに……悲しくて仕方ありません。動物園は劣悪な環境で絶滅寸前の生き物を閉じ込めています。一方、犬や猫を増殖しお金儲けしている人がいます。

この頃は、そんなことばかり考えて暗くなってしまいます。境界は超えるためにあるのではない。境界は相手を気遣うことのためにあるんだということ。そこに染み渡る優しさは相手と自分の小さな幸せを育てることにつながっていけたらいいのではないかと考えます。

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