ただ、生きているだけで美しい。私も“桜”のようにありたい

広島
コピーライター、エディター
Kyoko Kittaka
橘髙京子

3月25日、広島でも桜の開花が発表された。この記事を書いている日は、いつも通勤途中で通る平和記念公園の桜が、ほぼ満開だった! ついこの間まで三分咲きだったのに、いつの間にか一気に花開いていたので驚いた。

平和記念公園は、敷地内に花や樹木がたくさん植えられていて、四季折々の美しい景観を楽しめるのも魅力だ。桜の名所としても有名で、毎年この時季になると約300本のソメイヨシノが咲き誇る。コロナ禍前は、川沿いの桜の木の下は、お花見を楽しむ人で溢れていたのだが…先日、仕事帰りに立ち寄ると、今年もシーンと静まり返っていた。あの頃の楽しい日常は、いつ戻ってくるのだろうか…と悲しい気持ちになってしまった。しかし、桜の木の幹に手を当てて見上げると、その生命力あふれる姿があまりにも美しく、感動で胸がいっぱいになった。

立派な桜の木も、ひとつの種から芽を出して今に至るのだろう。当たり前のことだが、この当たり前が、あまりにも神秘的だ。子どものころから感じていた、生命・地球・宇宙の謎。どんなに技術が発展しても、花や木の種を人工的に再現することは難しいのではないかと思う。いったい、種の中には何がプログラミングされているのか!? 本当に不思議で仕方ない。そして、彼ら(彼女ら!?)も「人間どもを感動させてやる!」と意気込んでいるわけじゃないと思う。ただ、そこに存在しているだけで美しい。そして、尊いのだ。私たちも本来は、そうであるはず。それなのに、人間社会には、容姿や能力で優劣を付けたり、気に食わない相手に暴力をふるったりする輩がいる。とても悲しい。

このご時世、以前は当たり前にできていたことができず、不満やストレスを抱えている人も多いと思う。私も疲弊しきっていて、鬱々した気分になることが増えた。しかし、そんな中でも、自然界の動植物は力強く生きている。桜も、そのひとつだ。桜の見ごろは短いので、花吹雪の頃は少し切ない気持ちになってしまうが、また来年も元気に咲いてくれるはず。来年こそは、いや、来年からはずーっと楽しいお花見ができますように!

プロフィール
コピーライター、エディター
橘髙京子
大学卒業後、広告代理店のコピーライターや出版社の編集者・ライターとして勤務。現在は映像業界のプロデューサー、フリーライターとして活動中。

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