毛筆と日常はかけ離れている?

東京
書道家・ライター
Tohku
桃空

普段、わたしたちはなにげなくパソコンを叩いて文章を作成しています。

それがあたりまえになった今では「筆で書くこと」についての希少価値が高くなったように見受けます。

筆は確かに高級に感じるでしょう。しかし筆は長い長い時間のなかで「主流」だった筆記用具です。

時代もののドラマなどで御簾越しにさらさらと短冊のようなもの、または長い紙を横長に広げて、短歌や手紙を書いている風景をみることがあります。横長の紙に、縦に書く。それを左に運筆していく。紙を横に使っていくのは、アジア圏では共通のものです。

紙が誕生する前は、木片や竹の短冊状のものを横に並べ左に連ねていく形になっていました。紙の誕生はその時代に新たな、そして大きな一歩を踏み出したテクノロジーです。

この、コンピューターの変化が、大きなパソコンから小さなスマートフォンが時代を超えて進化してきたように、大きな事件的なものと思ってもいいくらいです。

筆は動物から少しずついただき束ねたものです。自然と付き合いながら人間は進化していったので、いまだに「筆」の姿は大きく変わっていません。

それは何を意味しているかというと「筆は最初から完成されていた」ということになるということです。そして何よりシンプルなつくりをしています。メンテナンスさえきちんとしていれば一生付き合えるのです。わたしたちが普段メモなどをしているもので一生付き合えるものというのは、万年筆くらいではないでしょうか。プラスチックのシャープペンシルが100円くらいで売られていた「ファスト文具」が出始めたのはすでに昭和の頃だったのかとおもいますが、すでに「鉛筆」は一生は付き合えないものでした。鉛筆は削ってつかうので仕方ありません。そう考えると、毛筆の恒久性はすごいと思います。動物の被毛を大切に長く使うと考えたら、プラスチックを大量生産するよりずっと「地球には優しい」のかもしれません。動物たちの毛を少しずついただいていることは、一見とても残酷なようで、一時期わたしは身が裂けるような思いでしたが、先史時代からわたしたちの肌を守り、その肉をいただき、ずっと生きながらえてきた。そのころは決して機械的に、暴力的に、身を剥がし食していたわけではありません。いつからかすべてのものが「ファスト」に間違えた希望を見てしまい「使い捨て」という言葉がコピーライトされた商品を大量に生産し、大量に消費するという時代を超えてきました。

わたしは「毛筆」を一週間に何度か手に取ります。猫たちと生活している私は、この「毛の一本一本に感謝をしながら「使わせてもらったらきれいに洗って筆掛けに下げてカビたりしないように完全に乾くまで使わない」そう決めています。

わたしたちの「愛着」という言葉はいつしかどこかへ吹き飛ぶ勢いです。そうでない方向に、生活全体がシフト・チェンジできたらいいな、そう思う日々です。

 

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仮名、篆刻などでつかう小筆たち。

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普段使っている硯。この日、横には「親和様」のための筆を2本用意した。

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書聖、王羲之の蘭亭序のお手本

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