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「エイリアン」制作裏話~ダン・オバノンの苦闘~

 映画「エイリアン」は1976年、ロサンゼルスで書かれた「スタービースト」という脚本から始まりました。書き上げたのは、ダン・オバノンという無名の映画作家でした。当時29歳。無職、一文無し。しかし、どうしても彼は映画作家として一つの作品を残したかったのです。

 1975年、オバノンはパリにいました。南カリフォルニア大学の卒業制作としてジョン・カーペンターと作った「ダーク・スター」が「カルトの帝王」ことアレハンドロ・ホドロフスキーの目に留まり、特殊効果として当時制作中であった、フランク・ハーバード原作のSF超大作「デューン」に抜擢されたからです。「デューン」の制作には後の映画界に多大な影響を与えるクリエイター達が大挙して参加していました。ストーリーボードにはバンド・デシネ(フランスにおける連載漫画)の作家メビウス、宇宙船デザインにはSF画家のクリス・フォス、スイスの鬼才H・R・ギーガーなどなど驚異的な豪華メンバーが集結しました。しかし、あまりに壮大な内容に、資金繰りが難航し、この企画は撮影を前に頓挫します。

 家を売ってまで「デューン」の制作に単身参加していたオバノンは職を失ったので、仕方なくロサンゼルスに戻り、友人であり映画プロデューサーのロナルド・シャセットの家に転がり込み居候することにしました。そこでシャセットの手も借りつつ「スタービースト」(後にオバノン自身により「エイリアン」というタイトルに変更されます)の脚本を書き上げます。この段階でエイリアンというモンスターの生態はほぼほぼ固まっていました。さらに自分が監督を務め、かつ低予算で撮るために宇宙船内のみを舞台にした展開にしました。彼はこの脚本を様々な映画会社に持ち込みました。しかし、無名の映画作家が書いた低予算映画の脚本はどこにも相手にされませんでした。しかし、偶然「ストリート・オブ・ファイヤー」のウォルター・ヒルが興味を示し、脚本を買い取りました。そして同時期に公開された「スター・ウォーズ」の大ヒットにより潮目は一気に変わります。20世紀FOXは次の大ヒットSF映画を作るため、「エイリアン」の脚本を映画化することにしたのです。

 しかし、ここからオバノンの苦闘が始まります。当初の原案がスタジオによりガンガン変更されていったのです。しかも、自分が監督するつもりで書いたのに、彼は候補にも選ばれることなく監督はリドリー・スコットに決定しました。結果的に彼は特撮監督を務めることになりますが、撮影が進むにつれ、よりハイクオリティな技術が必要になったため彼は特撮監督の座すら追い落され、挙句の果てにはオバノンを毛嫌いしたスタジオから出禁をくらってしまいます。彼の夢は尽く破れてしまいました。

 しかし、それでもオバノンがいなければ「エイリアン」が名作として名を馳せることは決してなかったと言い切ることが出来ます。彼はエイリアンのモンスターデザインを「デューン」で共に仕事をしたH・R・ギーガーに依頼しました。ギーガーのあまりに恐ろしい悪夢的デザインにスタジオは難色を示しましたが、反対を押し切りオバノンはギーガーの参加を決めました。映画史に残る、クラシックモンスターの誕生です。(さらに「デューン」に参加したクリス・フォス、メビウスも「エイリアン」に参加しています)

 ダン・オバノンに監督や脚本家としての素質があったかといえば甚だ疑問です。しかし、彼がいなければこの名作は「絶対に」生まれなかったのは確かです(その後も名作映画で「実は」重要な役割を果たしていますがそれはまた別の話)。彼は2009年に63歳で亡くなりましたが、前日譚「プロメテウス」「エイリアン:コベナント」を含む全作品に彼の名前はクレジットされています。

画像:Amazonより引用

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                                                                   クリステ編集部 渡邊正人

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