グラフィック2018.08.22

必要とあれば今持っているものを捨てる勇気を持つ、強い信念とポジティブさで自分の居場所を切り拓く

仙台
グラフィックデザイナー Chika Kasai Soma 氏
Profile
青森県弘前市生まれ。東京でデザイナーとしてのスタートを切り、キャリアアップのためイタリア・ミラノへ単独渡航。現地で一から縁をつなぎ、グラフィックデザイナーとして日本企業の海外進出をサポートするなど活動の幅を広げた。約10年間のイタリア在住で得た経験を活かし、現在国内でフリーランスとして活動中。夫の転勤で仙台に移住し7年目。
今回、インタビューさせていただいたのは、シンプルな白いシャツをさらりとかっこよく着こなす大人の女性、Chikaさん。グラフィックデザイナーとして約25年のキャリアを持つChikaさんは、30代の頃、ひとりミラノへ移住したチャレンジ精神の持ち主。言葉や文化の違いを乗り越えて約10年を過ごしたミラノ時代で得たこと、また、東京から弘前、ミラノ、青森、仙台と幾度もの移住を経験したChikaさんに、新しい場所でも臆せず自分を表現するために必要なことをお聞きしました。

「自分のエネルギーを表現したい」東京でデザインの修業をスタート

グラフィックデザイナーを志したきっかけを教えてください

幼い頃から19歳までずっとクラシックバレエを続けてきました。将来は、劇団員などの演劇の道もいいなと思っていたのですが、現役引退後を考えたとき、その頃の自分には講師の道しかイメージできず、長い引退後の生活は教育の道よりも美術やデザインの道で仕事がしたいと思ったんです。それで、踊ること以外に、絵を書くことがすごく好きだったので、グラフィックデザインの仕事を目指すことにしました。自分が出したエネルギーがそのまま評価となって自分に戻ってくるところに魅力を感じました。

デザインの修業はどのようにされたのでしょう

短大卒業後、東京の印刷会社に入社しましたが、希望とは異なり営業に配属されてしまって…。数年経験を積みましたがやはり制作の仕事がしたかったので、転職し企業のインハウスデザイナーとして勤めました。その頃はまだ、アナログの時代だったので、ラフから切り貼りのレイアウト作成や版下制作などしていましたね。夜はデザインの学校に通っていましたが、仕事と学校を両立することもあまり苦労とは思わず、とにかくデザインのノウハウを吸収することしか考えていなかったと思います。その後、何でも経験させてもらえると小規模のプロダクションに移り、さまざまな仕様の広告、カタログ、パッケージデザインなど、デザイナーとして多岐に亘る経験を積ませていただきました。

30歳でミラノへ移住。いつの間にか10年も

どうして海外を目指したのでしょうか

高校生の頃から、20代は仕事のベースを作る修業のとき、30代はキャリアを積んで仕事をさらに充実させるときだと、自分の中で決めていました。海外で働く30代女性に憧れていたということもあり、自分も30代には海外に行こうと考えていました。建築家のガウディの世界が大好きでバルセロナを候補にしていたのですが、23歳の時のイタリア旅行がきっかけで、その後も訪問のたび新しい発見があるイタリアに魅了され「行き先はイタリアにしよう」と決めました。 とはいえ土地勘もコネもなく友人もいませんし、イタリア語も話せないので、家族は大反対。これは長期戦になりそうだと、東京のプロダクションを退職し、地元にUターンして、フリーランスで働きながら渡航の準備期間を過ごしました。そしてやっとの思いで両親を説得し、1年という約束でミラノへ渡りました。

イタリアでの生活はいかがでしたか

渡航して一年半は語学学校とデザイン学校のアートディレクションコースに通うことを決めていましたが、それ以降は何も決まっていない状態でした。まずは言葉を覚えること、そしてイタリアの文化や風土を知って馴染むことが大事かなと。なるべく、日本語を話さない環境作りに努めていました。 そして、コネクションを作るために、いろいろな場に顔を出したり、日本時代の知人から紹介をしてもらったり、徐々に仕事の縁も繋がるようになりました。

ミラノではどんな仕事をされていたのでしょうか

ミラノでは毎年ミラノサローネという大きな家具の見本市が開催されますが、その見本市の日本事務局から、日本企業の海外進出用のパンフレットなどの仕事をいただいていました。他にも地元開催のコンペでロゴマークを作ったり、また、現地企業の日本人向けのパンフレットなどを手がけたりしていました。言葉や文化、国境を超えたコミュニケーションツールを制作するお手伝いが多かったと思います。

海外での仕事はご苦労も多かったのではないですか

現地ではフリーランスで働いていたのですが、一番難しかったのは、イタリア人とのコミュニケーションですね。お互いの主張が平行線のまま接点を見い出せなかったりすることも多々あり、また、イタリア人の時間はスケジュールの感覚などを掴むことにとてもストレスを感じました。他の予定が立たず、苦労したことの一つです。でもそのうちに「なるようになるさ!」という鷹揚さ、楽観的視点を身につけていきました。イタリア人化ですね。海外に出たとき、言葉や感覚、食べ物など、本当の目的以外の部分で日本との違いに馴染めずくじけてしまう人は多いですが、つらい日々を支えるのは、「達成したい」という強い信念ではないでしょうか。『目的達成』までの過程の失敗を失敗とは捉えない、そうした強い思いがないと簡単に諦めてしまいそうになるものです。

心配する家族の元へ帰国。家族の近くで暮らすことに決めた

約10年もの海外生活で、帰国を決めた理由は何ですか

両親を説得するために1年の約束でイタリアへ移住しましたが、あっという間に10年近くが過ぎていました。あまり帰国することもできずにいたのですが、ふと、自分は全く家族と一緒に過ごしていないと気づいたんです。親と過ごせる時間も限られていますから、40代を前にこれからはできるだけ親のそばで一緒に過ごしたいと思ったことがきっかけになりました。

東京ではなく青森での生活を選んだのですね

東京に戻ることは考えていなかったですね。東京には新しいものが多く刺激がありますし、吸収できることも多い。でもその時の自分は、自分らしく自分の求めるスピード感で毎日を過ごしたかった。クリエイティブなものは気持ちに余裕がないと生まれてこないと思っています。地方でマイペースに仕事と向き合い、日本での暮らしを一から育む時間を大事にしたかったのだと思います。青森では、プロダクションに在籍し、これまでのデザインの仕事に加えて、媒体や企画全体のディレクションを担当させていただきました。全体のページネーションやカメラマンへの指示、著名な方へのコラム依頼など、企画の価値を高めるため、全体を見通す目を必要とする仕事は簡単なものではありませんが、自分の新しい可能性を感じながら楽しく取り組ませていただきました。

夫の転勤で仙台へ。主婦の立場で仕事との関わり方を模索中

仙台に移住したきっかけと現在のお仕事の状況を教えてください

日本に戻り青森で結婚したのですが、震災の後に夫が仙台へ転勤となりました。仕事の都合がつかず一緒に仙台へ来ることができなかったため、夫には先に仙台へ行ってもらい一年間の別居生活の後、私も仙台へ来ました。私は根っからの仕事人間なので、休み返上で夢中で仕事をしてしまうタイプ。家事をしながら隙間で仕事をするということの難しさを感じて、家庭の仕事に専念していた時期もあります。現在はフリーランスでありがながら、どのように仕事と関わることができるか、フェローズさんに相談させてもらっています。

今後はどのようなお仕事をしていきたいですか

仙台は、2020年東京オリンピックでイタリア選手団のホストタウンになることが決まりました。これも何かの縁と思い、ぜひ語学を磨いて通訳や制作物のお手伝いなどをしていきたいです。今の場所で自分に何ができるかを考え、それがニーズとうまくかみ合ったときに、自分だけのかけがえのない居場所ができるのだと思うのです。

Chikaさんは、弘前、ミラノ、青森、仙台と何度も移住を経験されていますが、新しい場所へ移住するときに心がけていることをぜひ教えてください

まずは、その土地の文化や気質、ルーツなどを知ることがとても大事だと思います。できれば事前に自分の足で現地に出向くことをおすすめしたいです。それから、SNSなどを使って情報収集をすること。あとは、心配しすぎないことですね。特に生活習慣において、自分のルールに合わないと強いストレスを感じる方がいますが、「郷に入りては郷に従え」で柔軟性を持つことが大事だと思います。私は、何かを捨てなければ新しいものは何も入ってこないと思っています。何を達成したいのか、自分の中でしっかり覚悟を決めて、必要とあれば今持っているものを捨てる勇気を持つこと、何かの犠牲なしに何も得ることはできません。さらに前向きに柔軟に挑戦することでどんな場所でも自分の居場所ができるのではないでしょうか。

取材日:2018年7月2日 ライター:門馬祥子

Chika Kasai Soma / グラフィックデザイナー

青森県出身。地元の短大を卒業後、東京の印刷会社を経て、制作会社やプロダクションでデザイナーとしての研鑽を積む。一時、地元弘前に戻りフリーランスのデザイナーとして活動後、さらなる高みを目指しイタリア・ミラノへ単独移住。現地でグラフィックデザイナーとして7年間を過ごし、2010年帰国。現在は、夫の転勤で仙台在住。これまでの経験で得た見識を2020年の東京オリンピックでも活かしたいと意気込む。

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