映像2017.05.24

思い立ったら、即行動。 フォトグラファー、キッズスクール、フリーペーパー、沖縄で仕事を作り出す!

沖縄
フォトグラファー 仲宗根 美幸 氏
沖縄県出身。現在、東京、大阪と沖縄を行き来しながらフリーランスにて、舞台、取材、宝塚、グラビア、下着、ヌード、Vシネマ、ドラマ、料理、内装などを手掛ける。沖縄では、子ども向け映画スクールを開講、「本土と沖縄をつなぐ」をコンセプトにフリーペーパーを発行するなどマルチに活躍中。
地方で輝くクリエイターを紹介する「LOVE LOCAL」4回目となる今回は、沖縄に拠点を置き、フリーのフォトグラファーとして活躍する仲宗根美幸さんにインタビュー。子ども向け映画スクールの開校、フリーペーパーの立ち上げなど、多方面に活動の幅を広げる仲宗根さん。パワフルでアグレッシブな仲宗根さんのキラキラした笑顔に、スタッフ一同が魅了されたインタビューとなりました!

カメラの道を志し、ボーナスを捨てて退職!経験ゼロで業界に飛び込み、悪戦苦闘の日々。

現在の仕事は、どんなスタイルで行っていますか?

基本的な拠点は沖縄に置き、月の半分くらいは沖縄で、半分は大阪や東京など全国各地に出張して仕事をしています。仕事内容は多岐にわたりますが、あえて言えばドラマや映画、舞台などエンターテインメントのスチール写真撮影の仕事が多いでしょうか。ポスターから、宣材、広報、小道具用の写真まで担当します。
また、沖縄で子ども向けの映画スクールの運営、フリーペーパーの発行もしています。

仲宗根さんがフォトグラファーになった経緯は?

大学卒業後、大阪で美容室専売品メーカーに就職し、営業として全国を飛び回っていました。もともと旅が好きで、全国各地に行ける仕事がしたかったので、その意味では目的を達成していたのですが、仕事を通じてフォトグラファーの方に出会ったのがキッカケで、カメラに興味を持ち、のめり込んでいきました。小さいころから絵を描くことが好きで、自分で何かを表現することが好きだったんですよね。
写真を仕事にしたいという思いが募り、そうと決めたらすぐに退職届を出してしまいました。今から思うとあと3週間でボーナスが貰えるタイミングだったのに、もったいないことをしました(笑)。

思い立ったら即行動!のタイプなんですね(笑)。ボーナスを捨てて退職した後は?

東京に出てきて、何の知識もないままにフォトグラファーのアシスタントになりました。とにかく知識がゼロだったので、専門用語はわからない、機材もわからない、何もかもわからないので現場の足手まといになり、怒られっぱなしでしたね。そして3ヶ月で挫折(笑)。
その後、求人誌を見て芸能プロダクションでスカウトマンを募集していることを知って入社したんですが、たまたま撮影スタジオを持っているプロダクションで、スタジオのハウスカメラマンのアシスタントとしても働かせてもらうことができました。

なんとかカメラとはつながっていることができたんですね。

スタジオで働かせてもらったことがキッカケで、もっと詳しくスタジオワークを学びたくなり、夜間のカメラスクールへ入学しました。最初は何を学びたいのかすら、わかっていなかったので大きな進歩ですね(笑)。
さらに映画についても学びたくなり、映画スクールの監督コースにも平行して通い始めました。

スクールに通ったメリットは?

知識がついたことはもちろんですが、仲間ができたことが大きかったです。すでにフリーで活動している人、アシスタントの仕事をしている人など、さまざまな人がいましたが、ここで知り合った仲間同士で自分が受けた仕事のアシスタントを頼んだり、逆に仲間が受けた仕事のアシスタントをしたり、いろいろな経験をする中で、撮影はひとりではできないことを実感し、アシスタントとして求められていることがわかり、やっと本来の意味で役に立つ、お金を払う価値があるアシスタントになれた気がします。

多くのプロの下でアシスタントを経験。気づいたことを書き溜めたノートは、10冊以上!

スクール卒業後は?

再度、プロのフォトグラファーの先生に付いて、アシスタントをしました。学んだことを活かし、今度は挫折しませんでしたよ(笑)。
最初はブツ撮りがメインの先生、次に人物撮りがメインの先生に付きました。人物撮りがメインの先生は、ヌードも含めて女性を撮ることが多く、そのときに女性を撮る面白さを感じましたね。この先生に、いろいろな人にアシスタントとして付いたほうが良いと勧められ、カメラアシスタントの派遣会社に登録し、いろいろな先生の下でアシスタントをすることになりました。

多くのプロのアシスタントをすることで、学んだことは?

先生によってライティングから小物の使い方に至るまで、撮影のテクニックや方程式が千差万別なので、本当に勉強になりました。このアシスタント経験の中で気づいたことや学んだことはノートに書き溜めるようにしていたのですが、10冊以上になりました。このノートのお陰で、現場のニーズに合わせて撮れるようになりましたね。今でも読み返したり、参考にしたりすることがあります。

フリーとしての活動はいつからスタートしたのですか?

アシスタント時代から準備していて、いろいろなイベントに顔を出しては「今はアシスタントですが、フリーになったら仕事ください!」と名刺を配りまくり、フリーとして仕事を受け始めたら「フリーになりました!」と報告しました。徐々にフリーで受ける仕事が多くなり、アシスタントから卒業していきました。

フリーの仕事が軌道に乗ったキッカケは?

もともと芸能プロダクションに在籍していたので、そのときのつながりでドラマや映画、舞台などエンターテインメントの撮影を頼まれるようになりました。その現場で知り合ったヘアメイクさん、映像のカメラマンさん、照明さんなどスタッフの方々と仲良くなり、そこのつながりからまた紹介を受けて別の仕事が来るようになり……と、人のつながりで仕事が回るように。紹介を受けた仕事は、紹介してくださった人を裏切れないので、過剰なほど必死にやって(笑)、次につなげていきました。

思い立ったら、即行動!沖縄でキッズスクール、フリーペーパーを立ち上げ!

コマ撮りの授業風景

順調に東京で仕事をしていた仲宗根さんが、なぜ沖縄に拠点を移したのですか?

沖縄にキッズスクールを作りたかったんですよね。キッカケはカンボジアに撮影に行ったことなんですが、カンボジアの子どもは貧しくてもニコニコしていて、人への思いやりもある。それなのに、日本の子どもはカンボジアの子どものように屈託なく笑うことがないと感じていました。
何とかしたいと周囲に相談しているうちに、子どもが笑顔になれる学校を作りたいと考えるようになり、作るなら故郷の沖縄でやりたい、と再び、思い立ったら即行動していました。2014年6月に子ども向けの映画スクールを作りました。写真は私が教えますが、動画やマンガなど表現に関するさまざまなことを、専門の先生を呼んで教えています。

すごい行動力、決断力ですね!

資金のことはあまり考えず、思いだけで突っ走りましたが、行動すれば何とかなるもので、手伝ってくれる人もいます。撮影用の機材などは、古くなったものを寄付していただいて賄っているんですよ。

フリーペーパーも発行されているそうですね。

旅が好きで、仕事でもプライベートでも全国あちこち飛び回って撮り貯めた写真の発信の場を考えたことがキッカケで、フリーペーパーの発行を思いつきました。「本土と沖縄をつなぐ」をコンセプトに、沖縄のこと、私が撮った全国各地のこと、両方の地域を紹介し、どちらの人にも楽しめる内容としています。編集もデザインもすべてひとりで、広告も自分で取ってきています。15,000部刷っていて、沖縄のお店や観光案内所、知人のいる他県のカフェなどにも置いてもらっているんですよ。

経験にあぐらをかくのではなく 経験を活かして地方で仕事を作り出す気概を!

本当にすごい行動力です!フォトグラファーとしてだけでなく、スクール運営、フリーペーパー発行と、いろいろな活動をされていますが、故郷の沖縄に拠点を移して、改めて感じたことは?

故郷と言っても、高校を卒業して大学入学からずっと離れていて、あまり帰っていなかったので、戻った当時は知り合いがほんのわずかしかいなかったんですよ。なので、フォトグラファーとしてフリーになったときと同じ手段を使い(笑)、イベントに顔を出して名刺を配りまくり、人脈をつくっていきました。
ですが、沖縄に限らず、地方は閉鎖的なところがあり、仕事のネットワークが閉じています。フリーのフォトグラファーとしては、沖縄だけで仕事を成立させていくのは厳しいと感じました。写真だけでなく、クリエイター全般において、プロとして第一線で経験とキャリアを積んできたクリエイターに対する報酬としては、相場より低いと思います。

クリエイターの市場価格を適正にすることは、沖縄に拠点を持つフェローズにも求められているところですね。

プロに対しては、その仕事に見合う報酬を払うことが当然だと思いますが、地方自体の経済力が弱いこともあり、その文化が根づいていないことを感じます。地方に拠点を移した力のあるフォトグラファーが、結局見切りをつけて東京や大阪に戻ってしまう例を、いくつも見てきました。それでもプロを求めるニーズは地方にも間違いなくありますから、プロを求める会社とプロのクリエイターのつなぎ役として、フェローズさんには期待しています(笑)。

そんな状況でも沖縄で活躍されている仲宗根さんから、今後U・Iターンを志すクリエイターにメッセージをお願いします。

東京や大阪で実績を積んだから、地方に行ったら黙っていても仕事が来る、と思うのは大きな間違いです。地方だからこそ、自分で仕事を作り出す力が必要。フォトグラファーとして実績を積んで沖縄に移住してきた友人は、カメラだけでは需要がないことに気づき、当時出始めだったドローンを極め、ドローン撮影を提案することで新たな価値を作り、活躍しています。経験にあぐらをかいて仕事をするのではなく、経験を活かして地方で仕事を作り出し、周囲のクリエイターに発注するくらいの気概を持って来てほしいです。

取材日: 2017年3月7日 ライター: 植松織江

 

仲宗根 美幸(なかそね みゆき)

沖縄県出身。現在、東京、大阪と沖縄を行き来しながらフリーランスにて、舞台、取材、宝塚、グラビア、下着、ヌード、Vシネマ、ドラマ、料理、内装などを手掛ける。沖縄では、子ども向け映画スクールを開講、「本土と沖縄をつなぐ」をコンセプトにフリーペーパーを発行するなどマルチに活躍中。

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