グラフィック2013.02.13

「筑豊を変える、筑豊が変わる」 地域の活性化を支える奇跡のフリーペーパー「Hen」

福岡
株式会社NOTE 代表取締役 桑野健太郎氏
 
今回ご紹介するのは、筑豊エリアで人気のフリーペーパー「Hen」を制作・発行している株式会社NOTEです。20代で社長になる夢を叶えるため、未知の分野へ果敢に挑戦したという桑野健太郎氏。その野望を実現するために彼が取った行動とは? また今後の「Hen」はどう進化していくのか? そのホンネに迫ってみます。

クリエイティブワーク未経験からのメディア創世

Hen

「Hen」を創刊するまでの経緯を教えてください。

昔から本が好きで、高校時代からビジネス書籍をむさぼるように読んだことが、「20代のうちに社長になる」という人生の一大目標を生むきっかけとなりました。高校卒業後に調理師を目指したのは、外食分野が独立への早道と考えたからです。 しかし、専門学校を経て大阪へと移り住み、そこで和食の有名高級店に入社したことで、ひとつの現実とぶつかります。それは和食の世界は私が想像した以上に奥深く、長い修行を積むということは早い独立を諦めざるを得ないということでした。

その壁を感じたとき、桑野さんは次にどのような行動を取ったのですか?

結局半年ほどで和食の店は辞め、以後、独立の道を模索して有名消費者金融や大手ディスカウントストアなど、自分の刺激になりそうな世界に足を踏み入れていきました。 消費者金融では入社半年で回収業務を任され、ガムシャラになって全支店1位の座を獲得。その後に入ったディスカウントストアでもブランド売場で仕入れから販売までを一貫して学べたなど、非常に大きな収穫がありました。しかし、いずれの場所でも独立への道は見い出せず、結果的に実家に戻ったのが21歳のときになります。 ディスカウントストアを退職したあと、地元で何かできることはないかと考えて電光掲示板の販売代理店なども経験しました。ちょうどそのころ筑豊エリアにもフリーペーパーがあることを知り、しかもそれが地域の人たちのよい情報源になっていることもわかったのです。「それならば自分もフリーペーパーを作れば広告事業者になれるのではないか?」このひらめきが、「Hen」の創刊へとつながっていきます。

クリエイティブ経験ゼロからのスタートに不安はありませんでしたか?

それについては今だからいえることですが、「本当に無茶だったなぁ」という感想しかありません(笑) というのも、当時はフリーペーパーを作るためにAdobe Illustratorのようなツールが必要であることも知らず、ヨドバシカメラで「フリーペーパーを作るには何が必要ですか?」と店員さんに質問したくらいですから。そこでIllustratorのほかにパーソナル編集長のようなツールもあると教えてもらい、次にYahoo!知恵袋でどちらがオススメかを聞いたりもしたのです。 そうやって本当に必要なのはIllustratorだとわかり、すぐにソフトと専門書籍を購入して2~3週間でフリーペーパーのたたき台を作成しました。今見ると本当に素人が手がけたという雰囲気が丸わかりの内容ですが、この8ページの見本を持って筑豊エリアのお店を訪問し、広告出稿をお願いしてまわったのです。

その後の歩みは順調だったのですか?

もちろん、最初からうまくお客様を獲得できるはずなどありません。当時は学生時代の友人と2人で広告営業をしましたが、あまりの無反響ぶりに、その友人はたった2日で逃げ出してしまったほどです。ただ、このことが私の負けじ魂に火を点け、消費者金融時代のようにガムシャラになってすべての広告枠を埋めることができました。 その後、製本のノウハウなどは印刷会社の人から教えてもらい、2007年6月に「Hen」創刊号が新たな筑豊のフリーペーパーとして世に出ることになったのです。

炭鉱の町・筑豊で生まれた「Hen」を支えるのは地域の人たち

「Hen」の創刊にあたって目指したものは何ですか?

例えば創刊号では「筑豊を変える、筑豊が変わる」というキャッチコピーの1ページコラムを掲載していますが、この変化というワードが「変=Hen」の由来となっています。 筑豊はかつて炭鉱の町として栄えましたが、石油産業の成長に伴ってどんどん活気が失われていきました。長い不況にあえぐこの地方の中小企業に成長・進化のきっかけを投げかけるには、無責任に情報を垂れ流す大手メディアよりも、地域に密着して本当に必要な情報を浸透させるフリーペーパーこそが適切ではないかと考えたのです。

すばらしい理念をお持ちだったのですね。

と、こう語るとすごくもっともらしく思えますね(笑) 創刊時に20代前半の子供といっていい私たちに、本当の意味での志などはありませんでした。当時私が持っていたもの、それは「フリーペーパーの編集長として独立する」という一点に過ぎません。 ただし、当時のお客様が「Hen」の登場に大きな期待をかけてくださったことは、創刊2号目にはもうはっきりとわかっていました。このころの制作現場は私の自宅だったわけですが、そこにまったく知らない人から電話がかかってくる。その内容が「Hen」に広告を出したいというものだったとき、改めてその注目の大きさに驚いたほどです。 今にして思えば、当時出稿してくれたお店の方々というのは、「Hen」が格別優れたフリーペーパーだから声をかけたわけではありません。私のような若輩者が筑豊エリアで何か面白いことがしたいとけなげに頑張っている。その背中を押してあげたいから、未熟なメディアとわかりながらも広告費を供出してくださったのです。チャレンジする若者を応援してくれる筑豊の人たちに何とか恩返しをしたい。冒頭に掲げた「筑豊を変える、筑豊が変わる」という想いが本当の意味で私の中に根付いたのは、実は「Hen」2号目以降のことになるのです。

現在「Hen」は7万部発行ということですが、地域の人たちに支持され続けた理由とは何でしょう?

物事と向き合うとき、常に正直さを心がけている点は大きいと思います。この想いは今も昔も一貫して変わりません。 そもそも私は最初に公称部数という言葉も知らなかったわけですから(笑) 誌面に掲載する内容も自分が正しい・楽しいと思うことが反映されていたのです。もちろん、その中では広告を掲載してくださるお客様の視線も忘れてはいけません。誰からも親しまれるフリーペーパーを作りたいという正直さが誌面に現れたから、それが「Hen」の身近さを育んだのだと思います。 私が少し不安に思っているのは、創刊当時に体験した広告出稿依頼の感動と興奮を、今のスタッフは想像できているのだろうか、という点です。その感動に気づかないと、「Hen」は広告を載せていただいているというスタンスが、まったく逆の方向に変わりかねません。常にお客様の身近な存在であり続けるために、当時の感動を正しく後進に伝えることも私の大事な役目だと考えています。

「Hen」が筑豊の中小企業を再生するツールになれば

「Hen」を中心にした今後の事業展望や目標などはありますか?

筑豊エリアで多くの皆様に支持されるフリーペーパーの座を確立した「Hen」ですが、今後は部数だけでなく誌面の充実度や新しいアイディアなどで勝負していくことも必要になってくると思います。その中では「Hen」が筑豊エリアにある中小企業の経営改善に役立つことも求められてくるはずです。 幸いなことに、「Hen」には熱心な地域読者の方々と、「Hen」を認めて出稿してくださる多くのお客様がいます。そのため編集部には筑豊エリアに関するイベントはもちろん、地域行政やビジネスの動きといった一般では手に入りにくい情報も集まってくるようになりました。すでに商店街を活性化させるための地域イベント実施などは当社でも手がけています。したがって今後は私たちの持つ情報を広告出稿してくださるお客様により還元するべく、中小企業の変革を促進するビジネスコンサルタントのような役目も担えればと思います。 今年で7年目を迎えた「Hen」ですが、その勝負のタイミングを見誤らないように、既存スタッフはもちろん、新しく参加する仲間にも「筑豊を変える、筑豊が変わる」という理念を持ち続けて欲しいですね。

最後に、九州で活躍するクリエイターの皆さんに一言お願いします。

地域密着型のフリーペーパーは、地方だから必要とされ、地方だから強みを発揮できる希有の存在といえます。九州は福岡にクリエイティブワークが集中している印象がありますが、それはクリエイターの未来を制限するという面も少なくありません。 「Hen」は私が素人考えで無理矢理立ち上げた媒体かもしれませんが、それでも現在では筑豊エリアでクリエイター向けの雇用を少しずつ生み出しています。今後、この流れが九州各地にも広がっていけば、どのエリアでもクリエイターに活躍の場が提供される日がくるかもしれません。すべてのクリエイターが元気でがんばれるように、「Hen」がその刺激のひとつとして皆さんに受け入れられれば幸いです。

取材日:2012年1月23日

株式会社NOTE

  • 代表取締役:桑野健太郎(くわのけんたろう)
  • 設立年月:2007年4月
  • 事業内容:出版・広告業
  • 所在地:〒820-0005 福岡県飯塚市新飯塚21-26
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