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広島から世界へ 演劇で新しい風を吹かせたい

広島
株式会社アートメディアジャパン 代表取締役社長 佐々木 宏一 氏
平成は、多くの芸術文化に変化をもたらした時代です。ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)を介しての情報共有や、ユーチューバーの登場。ネット環境さえ整えれば、誰もが情報発信者になり得る“境界なき”時代の到来。地方と首都圏の二拠点で活動を行う演者も増えました。地方在住者にとって、首都圏進出は高いハードルではなくなったとも言えるでしょう。しかし一方で、地方に住む演者が抱える悩みは、いつの時代も変わりません。小屋数と仕事数の限界。いわゆる“地方の限界”に長年向き合ってきた音響技術者の佐々木 宏一(ささき こういち)さんは、10年前地元広島で劇団を立ち上げ、現在も可能性を探り続けています。芸人、俳優、歌手など幅広い人材を抱える芸能プロダクションの代表としてキャリアを築いた佐々木さんに、地方の演者が飛躍をとげるための秘訣をうかがいました。

ひとりのミュージシャンの音で目覚めた10代。
そこからはじまる音楽三昧の日々。

佐々木さん率いる劇団B-LUCKS♪は2018年に結成10周年を迎えました。ターニングポイントを迎えましたね?

10周年を迎えるにあたり、どうしても上演したかった朗読劇がありました。井上ひさし原作の『少年口伝隊1945』です。舞台は原爆投下後の広島で、被爆者を描いた作品です。これまでにも何度か原爆劇の音響や被爆者の日記の朗読録音を担当しましたが、あることに気づいたのです。それは「ずっと広島に住んでいるのに、自分が知らないヒロシマが、まだたくさんある」ということ。一方で演出側として、若い演者のヒロシマに対する意識が変わっていく姿も見てきました。僕も戦争を知らない世代です。『少年口伝隊1945』の上演には、劇団員と一緒にヒロシマの本を読み、ヒロシマの映像を見てのぞみました。広島で演劇に関わっているからこそ、できる上演だと実感しました。

広島市の広報紙にも掲載され、多くの来場者があったと聞いています。さて、佐々木さんは舞台音響で長いキャリアをお持ちですね。これまでの歩みを教えてください。

30歳までバンドマンでした。楽器はギターです。自分がボーカルをやるイメージはなかったので、ギターで曲を作ってボーカルに歌ってもらうプロデュース側をねらっていました。僕は演奏中でもバンドメンバーに「今はボーカルの聴かせ時なのに、なんでギターがそこに突っ立ったまま弾くの?」と忠告するタイプで(笑)。父がプロのジャズピアニストだったせいもあるでしょうね。セッション魂といいますか、少なからず父の影響を受けているのでしょう。中高生時代は幅広く楽器に触れました。ブラスバンド部でチューバを吹いたり、ドラムに転向したり。でもある日、ラジオから聴いたギタリスト小暮武彦さんの音に心を奪われて「これからはギター一本で行こう」と決めたのです。

小暮さんのギターのどんなところに魅かれましたか?

心臓の鼓動とリンクしました。映画のワンシーンを彷彿させるんです。

「あっ、音楽というのは聞くのではなく、見えるんだ」と。

見える音楽に魅力を感じたというところに、佐々木さんの未来への布石が感じられますね。
ところで音楽の要素の中ではメロディーを優先しますか?  それともリズム優先ですか?

リズムです。いい感じで身体に響かないと、納得がいかないですよね。 リズムが格好よければ、あとは乗っかればいいのです。いわゆる「ノリ」ですね。

社会人とバンドマンの二重生活で たどり着いた新たな道

本格的にライブ活動を始められたのはいつですか?

高校卒業後は就職して社会人とミュージシャンの「二足のわらじ」生活に突入しました。とにかく音楽に集中したいので、活動時間が十分にとれる仕事を選び、広島市内の鉄工所で鉄を曲げる技術職を7年続けました。夜と休日は音楽活動です。バンド『SPARKEY GARDEN HILL』のギタリストとして、広島ネオポリスホール(2013年閉店)と、ナミキジャンクション(現セカンドクラッチ)に出演していました。オリジナル曲が評判をよび、大手レコード会社からデビューの話をいただきました。

ネオポリスホールもナミキジャンクションも広島では伝説のライブハウスです。大手レコード会社のスカウトマンが注目していました。

メジャーデビューのお話をいただいたときは、うれしかったです。でもそのとき僕はもう、声をかけられて入った芝居の世界に入り込んでいました。プロミュージシャンの夢が現実になろうとしているのに、当時の僕は「先が見えない」未来に不安を感じて前に進むことができませんでした。20代の僕は人生に納得するための“設計”を描いていたのです。30代にはこれを、40代にはあれをやろう。「映画を撮りたい」という新しい夢も芽生えてきていました。

心機一転 芝居の世界へ

ミュージシャンから一転。お芝居の世界に入るきっかけは?

有数の演劇校である広島市立舟入高校OBが設立した当時の『劇団F』の代表から「音響をお願いします」と声をかけられたのがきっかけです。

フロントからサポートにまわることになります。違和感はなかったですか?

最初は違和感だらけでした。作曲もするし音のことは十分わかっているつもりでしたが、舞台音響は初めてですから。何をどうするのかが、わかりませんでした。それでも新人の頃は、ただ芝居の音響につけることが楽しかったんです。それが場数を踏むうちにリアルな失敗も経験するようになる。そこでわかったんです。「自分にとって音で失敗をするということが、どれほど悔しいか」ということに。

これまでとは違うタイプの音の仕事ですものね。

思ったように音が出せなかったとき、ふと思ったんですね。「僕は音で空気を演出して雰囲気をつくらないといけない」と。たとえば同じ場面でも、役者によってテンションや、芝居に入るときの瞬間は異なります。各々の役者の持ち味を生かすためには、ただ音を出すだけではいけない。そう考えると音響は、これまで僕がやってきたギターと同じなんです。いってみれば、ライブなんです。
そこに気づいてから、どんどん芝居の世界にのめり込みました。芝居の基本を知りたくて、多くの演出家たちと激論を交わしました。業界の人脈も広がりました。いろんな経験を積むことができて、僕の頭の中で音の表現が難なくできるようになりました。さらなるステップとして自分の今後を考えたとき「次は自分の劇団を持とう」と、思いました。

そして2008年、広島でご自身の劇団を立ち上げられます。立ち上げ時の状況を教えてください。

劇団の立ち上げについて模索していたとき、縁あって広島で役者をしている細谷俊平(現アートメディアジャパン営業本部長)と出会ったのです。細谷に「演劇の専門家が集まれば、法人化して僕が社長になる」と話しました。細谷の協力もあり、想定外の人材が集まりました。「地元にはこんなに人材がいる。法人化しよう」と決めました。「ネットで劇団を発信しよう。世界に羽ばたこう」と。経営についても学び、劇団をビジネスに置き換えてはスキームを考えました。劇団には、人が集まります。人が集まれば、組織になります。大きな組織になれば、クライアントは欲しい人材をすぐ近くで発掘できるし、僕たちにもチャンスが増えます。集まった専門家については「バックヤード部門」として組織をつくり、法人化しました。でも結局、劇団本体は、法人化に踏み切れませんでした。

劇団を法人化しなかったのは、なぜですか?

僕の中に「劇団はアマチュアでありたい」というポリシーがあって、そこはどうしても、ゆずれなかった。劇団の立ち上げから時間を経た今も、地元で活動する劇団員においては「アマチュアがアマチュアでいることが、大切だ」と信じています。

劇団を「アマチュア」にこだわる理由は?

広島における舞台イベントの市場規模が、一番の理由です。役者とファンの絶対数に限りがある。公演自体も開催回数が少ない地方において、集客は悩みの種です。芸能ビジネスは、集客が全てといっても過言ではありません。観客が増えれば、出演者の姿勢も変わってきます。そもそもファンがいないと演者は増えないし、演者が増えないと集客もできません。だからあえて入団希望者の敷居を低くしています。「ハッキリとした目標はないけれど、何かをやってみたい」でいいのです。少しでも興味を持った演者の卵に気軽に扉をたたいてもらいたいし、可能な限り受け入れたいと考えています。僕たちがインターネットやSNSでどんどん情報発信をするのは、より多くの演者に出会うためです。インターネットを駆使した結果、新しい世代の入団希望者も増えて、広島県内での劇団員数は僕たちがトップになりました。

広島で芸能プロダクションを運営する意義

実は広島は新人が育ちにくい土地柄と言われています。

僕が着目しているのはそこです。時々東京都内の映画プロデューサーとも話をしますが、彼によると「逆に東京はアマチュアが少ない」と言うのです。プロダクションに所属していない人を見つける方が難しいと。だったら地方の芸能スクールで芝居ができるアマチュアを見つけるチャンスが欲しいと相談を受けています。

では、次のビジョンはスクール化ですか?

はい。スクール化にあたっては専属の講師を雇い、実力を備えた俳優を育てて東京に送り出したいと思っています。実力が伴わないと芝居を続けるのは難しいですし、後が続かないですから。僕はこのスクール化を通じて、今の子たちにとって、ためになることをやりたいと思っています。

今の子たちにとって、ためになることとは?

スクールになると、年齢や、考え方が異なる子たちが一堂に集ってひとつのことに取り組みます。「自分は今、それをやりたくないけれど、他人は真剣にそれをやりたがっている」と言う状況も多々起こります。でも、一人でやりたいことだけをやる環境は、意外にもスキルが上がらないものです。いろんな人とひとつのことに取り組む環境で育った子は、必然的に他人のお手伝いも、してくれるようになります。

演じるってそういうことですよね。台詞はかけあいで、ひとりでは成立しません。

そうなんです。たくさんのレッスン生と芝居やダンスをすることで、結果としてスキルが身につき、成長していく。僕は自分でわかるスキルは違うと思うんですね。気がついたら人に評価されていたというのが理想ではないかと。そのためにも今、いろんな子たちが必要なのです。

いろんな子たちが集まれば、集客にもつながりますしね。

ビジネスですから。集客してお金が集まれば、人が増えます。人が増えるコンテンツを欲しがっているのが今のテレビ局です。 人を増やして、人を集める。そのためにアマチュア劇団が必要なのです。

取材日:2018年12月18日 ライター:信永 真知子

株式会社ART MEDIA JAPAN (アート メディア ジャパン)

  • 代表者名:代表取締役社長 佐々木 宏一
  • 設立年月:2015年8月
  • 資本金:300万円
  • 事業内容:所属アーティストのCD・DVD その他の音楽・映像・美術の企画、制作、販売及びコンサルティング、FC事業および運営、ライブ、コンサートその他のイベント企画、制作、運営、実施、管理及びコンサルティング、音楽・映像・美術・音声・文芸の制作、及び関する著作権その他の無体財産権の取得、保有、管理、運営、使用許可、販売及びそれらの仲介、アーティストのマネージメント及びプロモート、音楽芸能プロダクションの運営、タレントアイドル育成事業、劇団の運営、芸能養成事業、スタジオ運営、写真・映像撮影及び編集、インターネットによる映像・音楽配信、インターネットを利用した通信販売、キャラクター商品の企画、開発、デザイン、制作及び販売、広告代理・HPプランニング制作・コンサルタント、イベント・展示会・企画構成演出進行、機材等のレンタル
  • 所在地:〒730-0037 広島県広島市中区中町3-16 ヒロウンビル4F
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  • URL:http://hamc-tv.com/
  • 運営サイト:アイドルG Collection 公式サイト http://idol-g.com/
  • おいしい広島 http://hiroshima-bbc.com/
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  • お問い合わせ:info@hamc-tv.com
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