グラフィック2018.03.12

「夢のある会社」としてデザインの力で新しい価値を創造する

大阪
株式会社グラフィック ウェイヴ 代表取締役 上田 岳史 氏
株式会社グラフィック ウェイヴは、書籍や雑誌など出版分野での実績を強みとし、ブランディングからWebサイト制作までトータルなニーズに対応しているデザイン会社です。デザインというジャンルに縛られない商品開発も視野に入れる上田岳史社長は「スタッフがやりたいと思ったことを実現できる『夢のある会社』でありたい」と話します。「デザインは新しい価値を生み出す」と強調する上田社長にデザインが持つ力への思いや将来の目標などをうかがいました。

テレビドラマ『熱中時代』に熱中して

デザインの世界に入ったきっかけを教えてください。

紙と鉛筆を与えられたら一日中、それで遊べる小学生でした。マンガのヒーローなどを描いていましたが、当時放送されていたテレビドラマ『熱中時代』というタイトルがすごく気に入って、まさに“熱中”して四字熟語のように紙にびっしりと書いたり、自分なりにアレンジしたりしました。「タイポグラフィ」という言葉をまだ知らないころですが、その頃から文字のデザインには興味がありました。母が書道の師範で文字を書く姿を見ていたことが影響しているのかもしれませんね。そういうこともあって高校時代は美大受験のために美大志望者などが通う美術学校へ通っていましたが、志望した大学に入れなかったので、専門学校に進みました。

グラフィックデザインを学び始め、たばこ「ロングピース」のパッケージデザインなどで知られる文化功労者の田中一光(たなか いっこう)さん(1930年~2002年)の作品を本などで見て、尊敬するようになりました。そうして徐々にデザインの世界で生きるという決心が明確になっていったと思います。

卒業後はデザイン事務所へ?

専門学校は2年制で、卒業しても4年制の大学に行った友達が社会に出るまでには、さらに2年あります。その2年は自分にとって社会に出る前のモラトリアムの期間にしてもいいかな、という思いもあり、卒業後2年間は今でいうフリーターとして、バーテンダーやスーパーの販売スタッフ、仕出し屋の配達、サービス業や製造業などの様々な仕事をしていました。仕事以外の時間はグラフィックデザインの書籍を読んだり、B1〜B2サイズの絵を描いて過ごしました。気が向くと自動車で高知県などに行ってサーフィンを楽しみながら1カ月くらい太平洋岸を転々としたこともありました。就職活動をしたのは、その“猶予期間”が終わりに近づいたころです。私は1972年生まれの第2次ベビーブーム世代…いわゆる「団塊ジュニア」なので同級生が多くて大学入試も社会に出るのも“狭き門”でした。

大変だったわけですね。

はい。とにかくデザイン業界に入り込みたかったので10社以上、入社試験を受けました。面接が決まったら、その会社のロゴデザインをオリジナルで制作して持参するという工夫もしました。主に広告を手がけるデザイン事務所に採用されましたが、入るのに苦労して、入ってからがまた大変でした。当時としては当たり前だったのでしょうが、昔の「丁稚(でっち)」のような生活です。誰よりも早く出勤して、掃除をして、お茶の準備をして、電話が鳴ったら誰よりも早く受話器を取る、というのは鉄則。上司が人差し指で机の表面をなぞって、指先についたホコリを見ながら「掃除、できてまへんでぇ」と言うような職場でした(笑)。

デザインが輝かない時代にはしたくない

辞めようとは思いませんでしたか?

3年は勤めると自分で決めて入っていましたし、時代も今と違います。「つらい」ということは辞める理由にはならないとも思っていました。クライアントからの案件に対する社内プレゼンテーションは上下に関係なく平等に声がかかり、それが励みになりました。「ふだんは、掃除や雑用もやっているけど、デザインでは他のスタッフには負けない」という意地があって、必死で制作に取り組みました。その結果、かなりの確率で私の案が採用されたのです。入社から3年が過ぎて、その間、新人デザイナーを採用しなかったので、丁稚のような生活は変わりませんでしたが「この事務所では、やりきった」という確信もあったので退職を決め、大阪では珍しい書籍や雑誌などの出版物を手がける会社にデザイン部門のチーフとして入社しました。

その会社に勤めたあとに独立されたのですね。

8年間勤めて、2005年に独立しました。7~8坪ほどの事務所を借りて個人事業主としてのスタートです。就職した当初から独立したいという強い気持ちはありましたし、サラリーマンという立場では自分の思うようにできないというフラストレーションも常にありました。ただ、独立後改めて実感したのは、組織に属していれば上司やチームの意見を聞けるというメリットがあったこと。当たり前のことですが、最終的に判断するのも、その判断の尺度も自分にゆだねられるという責任の重さに直面するわけです。

独立して、リーダーとしての責任を痛感されたということでしょうか。その立場でご覧になった現状の課題は?

今の課題は、その組織を構成する人材です。現在の事務所に移転したのが2012年ですが、昨年(2017年)1月には事業規模の拡大や福利厚生を考え法人化しました。優秀な人材は大企業や名前の通った組織に流れがちですから、どうしたら「一緒に働きたい」と思っていただけるか、ということは常に考えています。その課題の前段にある問題のひとつが、以前よりデザインという職種は人気がなくなっていることです。

デザインの仕事に人気がなくなったのは、なぜだと思いますか?

私が学生だったころは田中一光さんをはじめ、錚々(そうそう)たる大御所がいてデザインという仕事が輝いていました。もちろん、今も魅力ある職業であることは変わりありませんが、他の専門職でいうと、メディアへの露出が多くスターのいる声優業界などが若者には人気があるようです。デザインはデタラメだがデザインソフトが使えるという方が、ネット経由のクラウドソーシングで小さい案件を受注する。そうすれば、親御さんと一緒に暮らしているので衣食住には不自由しない。そういう若者が結構いるようです。「隠れニート」とも言えるのでしょうか。アマチュア化が進んでいるように見えますので、私はプロを採用したいのと同時にプロを育てていきたいと考えています。

エディトリアルデザインを軸にトータルなニーズに対応し、リピート率は95%以上

そのためにどのようなことを?

デザインや当社の魅力をアピールする必要があると考えていますので、「こんな作品を生み出す会社なら」と感じていただけるような仕事を見せるのはもちろんですが、「夢のある会社」として社員が「こんな仕事をしたい」と思ったら、それが実現できる会社になれるよう努力しています。デザインというジャンルにも縛られず、アイデアを商品化してビジネスにしてもいいと思います。2年前に東京事務所を開設し、活動の範囲と仕事の幅を広くしました。大阪だけでなく東京にも活躍の場を用意しています。

どのような人と一緒に仕事がしたいですか?

自律的な思考と行動ができる人です。指示を待っていては組織にいても活躍できませんし、クリエイティブの世界では生きていけません。「何もすることがないとき」を漫然と過ごすのではなく、自分なりにできることを探すことや、積極的に休むことが必要だと思っています。他人と同じだったら安心する日本の「右へならえ教育」が染みついていない人が必要だと感じています。

貴社の強みを教えてください。

書籍・雑誌、CI、ポスター、ブランディング、Web制作など、弊社ならではのハイクオリティなコンテンツをたくさん提供しており、依頼のリピート率は95%以上です。最も実績のあるエディトリアルデザインを軸にして、トータルなニーズに対応できることが弊社の強みです。

今後の方針は?

世の中の、あらゆることにデザインは不可欠です。弊社ではなく一般事例ですが、信頼性と経済性が優れた大衆車だった日本車のイメージを変えたトヨタの高級車ブランド「レクサス」が好例です。技術や販売戦略もありますが、デザインが貢献した部分は大きいですよね。つまりデザインは新しい価値を創造します。そんなデザインの力を生かすことができる当社としては既存の商品やサービスでも見せ方の違いで、新しい魅力を浮かび上がらせて、クライアントに、それまでのマーケットへの提示・提供の方法が間違っていたことに気づいていただけるような仕事をしたいと考えています。つまり「新たな価値の創造」で、それは当社の理念なのです。

取材日:2018年2月13日 ライター:岡崎秀俊

株式会社グラフィック ウェイヴ

  • 代表者名:代表取締役 上田岳史(うえだ たけし)
  • 設立年月日:2017年1月
  • 資本金:500万円
  • 事業内容:グラフィックデザイン
  • 所在地:〒531-0072 大阪市北区豊崎3-15-9 第2ショーレイビル7階
  • URL:http://graphicwave.jp/
  • 問い合わせ先:TEL)06-6376-3323 FAX)06-6376-3332
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