グラフィック2015.05.20

「本当の幸せ」を求める詩人・作家たちを 応援したい

東京
株式会社コールサック社 代表 鈴木比佐雄 氏
株式会社コールサック社は、詩集などの短詩系文学、エッセイ集、評論集を専門とする東京・板橋にある小さな出版社。 1987年より、「本当の幸せ」を求める宮沢賢治のような詩人・作家たちを応援したいと詩誌「コールサック」(石炭袋)を発行。2006年に、株式会社化した“小さいけれど骨のある出版社"です。代表の鈴木比佐雄氏に、コールサック社の本作りについて伺いました。

詩雑誌「コールサック」 宮沢賢治のような詩人を発見して世に広めたい

詩誌「コールサック」(石炭袋)。表紙の夜空は、鈴木氏が幼い頃、石炭で風呂を焚きながら見た夜空をイメージしたもの。

詩誌「コールサック」(石炭袋)。表紙の夜空は、鈴木氏が幼い頃、石炭で風呂を焚きながら見た夜空をイメージしたもの。

設立のきっかけは?

1987年、32、3歳の頃から、「コールサック」(石炭袋)という詩の雑誌を、年に3、4回出し続けています。それはもう自然に淡々とですね。 私が詩を書き、評論を書き、宮沢賢治のような詩人(国境を越えて平和を願う詩人)を発見し掲載して世に広めたいなということでね。1987年だから、もう27、8年やっておりますね。 その雑誌を毎号少しづつ進化させようと思ってやってきました。 今は、季刊になって年4回、約100名の詩人が参加してくれて、300ページから350ページくらいの文芸誌を発行しています。それが母胎となって、2006年の8月に、出版社にしました。

文芸誌「コールサック」(石炭袋)について教えてください。

詩だけではなく、翻訳、エッセイ、評論、小説などを掲載しています。 最近では、詩集評、詩誌評、現代詩時評、俳句時評、短歌時評など短詩系文学全般を視野に入れて批評活動をしております。また小説を書いている人もいて、短詩系文学を中心とした総合文芸誌になりつつあると思います。 カラーページも16ページあるので、詩人のギャラリーというコーナーで、絵や写真と詩人のエッセイを掲載しています。 詩人というのは、様々な個性の持ち主で、過剰なエネルギーを持った人間たちです。 画家もいれば、音楽をやる人もいるし、俳句、短歌もやるし、小説も書くし、ものすごくエネルギーを持っている愛すべき存在です。 さまざまな表現をする、文学的、芸術的才能のある人たちの芸術的な本作りを応援したいと思って文学運動をしてきました。

広告会社での経験 + 純粋な詩の雑誌 = 著者の思いを他者の心に届ける本をつくる出版社 コールサック社

ずっと雑誌を編集・刊行されてきて、2006年に、出版社化されたのはなぜですか?

私は、詩集を8冊、詩論集を4冊刊行し、戦後詩の研究もしてきました。 日本の戦後詩の一番の特徴は、戦争で300万人以上の人が亡くなったわけで、そういう父母の世代の死者を悼み、戦争の悲劇を踏まえて、真の平和を求める詩篇を書いた詩人が多くの力作を書いていたことです。 私は、そういう詩論を書いていましたから、そういう詩篇を重要なテーマ別に編集してアンソロジーなどにして出版したいと考えていました。

なぜ詩などの文学作品を通して、出版社を設立されたのですか?

詩というのは、じつはパロールという個人言語です。個人の言葉です。 だから新聞の言葉とか、または論文の言葉だとか、単なる辞書のラングとしての公的言語で、詩はできていなくて、本当の個人の深い内面の肉体のリズムを通した言葉が詩なのです。そのような意味で詩人は、さまざまな自分のテーマを持っています。それをみんなそれぞれ追求しています。けれども私は、歴史的にも同時代的も共通のテーマで自分の詩の技術を使って書 きませんかと提案してきました。例えば原爆、空襲・空爆、鎮魂、命、水・空気・食物、今年は「平和をとわに心に刻む」をテーマにして詩を公募しています あなたの詩の技術で、こういうテーマの詩に挑戦してくれという詩論(詩を創作・批評する場合のよりどころとなる理論 ※大辞林より)を提示して、詩人の背中を押してきたように思います。 こういうことをやる出版社はどこにもないから、自分で出版社を作ったのです。 何より、私は、高校生の頃から詩が好きで、詩の実作者で詩の評論家であり、また詩誌の編集を続けてきたので、50歳頃に出版社を作ろうと思いました。

また、広告代理店や制作会社に、24、5の頃から、25年くらい勤めていました。会社案内とかカタログとかの専門家です。 こういった実務能力と「コールサック」という純粋な詩の雑誌を合体させて出版社 コールサック社になりました。

雑誌「コールサック」以外には、どんな本を作っていらしゃるんですか?

「原爆詩一八一人集」は、「天声人語」にも取り上げられ大きな反響を呼ぶ。


「原爆詩一八一人集」は、「天声人語」にも取り上げられ大きな反響を呼ぶ。

1997年に、はじめて広島に行って、10年くらいかけて作った日本語版の「原爆詩一八一人集」と英語版「Against Nuclear Weapons」を2007年に出版しました。 峠三吉や栗原貞子や原民喜のような被爆者である詩人たちだけでなく、現役の多くの詩人たちもまた原爆のことを書いていました。私は戦後詩の膨大な詩篇を読んでいて、そういうものを集めたらきっと画期的なものができるとずっと思っていました。

そのような数百名の詩を集めたアンソロジーを毎年出し続けてきました。その他、個人詩集とか詩人の評論集・エッセイ集などの企画やシリーズを作ってきました。本格的な評論集・研究書も出しています。また最近は句集、歌集、小説 、写真集も含めて月に3、4冊。年間で4、50冊の本を出版しています。

宮沢賢治の精神と 原故郷(国境を越えて多くの人びとの平和を求める場所)

「コールサック」(石炭袋)という名前はどこからきているのですか?

2つ由来があって、 1つは、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜・9章』に出てきます。白鳥座の向こうに石炭袋があると。ブラックホール、暗黒星雲のことです。カンパネルラの死んだお母さんが住んでいる場所。つまり、異次元の入り口、幸福の入り口という意味が込められています。 私は、文学というものは、人を幸せにするものでなければならないと思っています。人の幸せを願う。自分が有名になろうとか、自分が、頭が良くて、感覚が優れていて、自分は個性的だとかそういうレべルではなくて、もっと多くの他者の幸せを願うもの。 宮沢賢治の精神ですよね。自分のことよりも他者の幸せを願うそういう精神、そういう精神を持った詩人たちをここに集めたいと思ってやってきたのです。 宮沢賢治が生きていたら、たぶんこういうことをやるのではないかなと思って始めました。

もう一つは、私が石炭屋の息子だったことです。 戦後の昭和30年年代頃まではエネルギー源は石炭だった。 石油の前は、石炭で工場や町の商店なども石炭燃料が主流だったのです。 父の得意先はパン工場や和菓子屋などだったと思います。 子供の頃、私の役目が、石炭で風呂を焚くことだった。ちょうど、風呂が焚けた頃、(雑誌の表紙の夜空を指差して)一番星が降ってきてしばらくすると夜空がこんな風でした。

鈴木さまのある種の哲学的なものはどこから来ているのですか?

私は、学生時代、哲学科でありながら詩を書いていました。キルケゴールのゼミを取りましたが、そのキルケゴールの実存哲学は「不安・絶望・死・神」などを見つめていてとても実は文学的でした。つまり哲学と詩は共通性があることが分かったのです。卒論では、ハイデッガーがドイツの詩人、例えばトラークル、リルケ、ヘルダーリンなどの詩を論じた詩論をテーマに書こうと思い、一年留年して書き上げました。故郷ドイツから汲み上げられた言葉を分析する詩論に深く感銘を受けたのです。 今、ヨーロッパは、一つのような感じになっていますが、第1次、第2次大戦では、ものすごい戦争をしてきました。 その頃、ハイデッガーに影響を与えた現象学を創り出したフッサールというという哲学者がいて、ドイツが偉い、フランスが偉い、イギリスが偉いと、国境争いをするのではなく、自分たちの故郷を愛すると同時に、異郷(他の国の故郷)を愛することを唱えました。その根底にあったのが、原故郷(国境を越えて多くの人びとの平和を求める場所)という考え方で、それ がヨーロッパです。国境を乗り越えて、戦争を回避すべきだと唱えたのです。 その原故郷というのが、私にとって広く深い視野を与えてくれました。それはつまり、アジアでもそういうことが言えるのではないか。つまり韓国、中国、日本、どち らが偉いとか、そういうつまらないレべルではなく、国境を乗り越えて、異郷に敬意を抱くことが大切です。かつて古代の民衆の暮らしや自然観や古代の思想哲学の根底には、アジアという「原故郷」があるではないか、そういうものを再評価し反復したいと思っているのです。 つまりその「原故郷」が、「コールサック」(石炭袋)なのです。宮沢賢治もそういうふうに、平和というものは、国境を越えて民衆が畏敬しあう関係と考えていたと思います。 平和を求めることというのは、戦争を回避し故郷と異郷を越えていき、みんなのふるさと「原故郷」をつくるという理想を抱いて生きようとする試みだと思います。

文化の根本は言葉であり 言葉を残すには、アナログの本である

日本だけではなく、志を同じくする人たちと世界規模の本作りをしていきたいと思っています。

日本だけではなく、志を同じくする人たちと世界規模の本作りをしていきたいと思っています。

本作りについて、お聞かせください。

文化の根本は言葉であり、本当に優れた言葉を残すには、今のところアナログの本だと私は思っています。 新しい発見や新しい考えを記した優れた本は、その分野のことを本当にわかっている著者とその力を引き出す編集者がいてはじめて成り立つのです。編集や造本のプロである編集者がいなければ、歴史を創り出す専門書は出来ないでしょう。 紙の本というのは、文化の根本である限り必ず残ると思います。 私は実作者であり、評論も書きますが、そういうときに一番信頼できるのが優れた専門本です。その著者の感受性や思考と対話するには、紙の本が最適です。 たくさんの参考文献からヒントを得て私は著者と対話し自分の考えを補強し、構築していきます。そういう本格的な本をこれからも作っていきたいと思っています。

具体的には?

今年は『平和をとわに心に刻む三〇〇人詩集』を公募中で、7月中旬には刊行する予定です。また戦後70年ですので、先日『原爆地獄 ― ヒロシマ 生き証人の語り描く一人ひとりの生と死』という被爆者の絵と文を集めた画集であり証言集を刊行しました。それ以外の平和を考える本も製作中でこれから続々刊行されます。 また日本だけではなく、志を同じくする人たちと世界規模の本作りをしていきたいと思っています。

個別的には、韓国の詩人 高炯烈(コ ヒョンヨル)氏、ベトナムの詩人たち、そしてアメリカのデーヴィッド・クリーガー氏をはじめ、すでに国境を越えて優れた詩人を紹介していますが、もっと規模を広げて『原爆詩集』の世界版のようなアンソロジーを欧米のアメリカ、イギリス、そしてアジアなどの世界の詩人たちと作りたいと思っています。

最後に、御社が目指す本作りとは?

雑誌「コールサック」(石炭袋)が毎号進化してここまできたのと同様、1冊の本を作ることにおいても、著者の魅力を引き出し、スタッフの我々も刺激になり、世界の人間を驚かし心が豊かになるような本を作りたいと思います。その本を読むことによって、日本人だけでなく、世界中の人が、「人間の想いは詰まっていて、手触りのある本っていいな」と、希望や夢を与えられるような本を作り続けていきたいです。出版社は、そういうことが可能な創造力と想像力を発揮できる、そういう業種じゃないかと思います。

本日は、ありがとうございました。 鈴木比佐雄代表は、ラジオ深夜便(NHKラジオ第1)にご出演される予定です。 こちらもぜひお聞きください。(2015年6月2日放送予定)

取材日:2015年5月1日

株式会社コールサック社

  • 代表:鈴木比佐雄(すずき ひさお)
  • 設立年月:2006年8月
  • 事業内容:文芸誌「コールサック」(石炭袋)の発行 全詩集、詩論集、詩集、句集、歌集などの短詩系文学の書および評論集、芸術書などの発行
  • 所在地:〒173-0004 東京都板橋区板橋2-63-4-209
  • TEL:03-5944-3258(代)
  • URL:http://www.coal-sack.com

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