ジャーナリズムとクリエイティブ、ジャーナリストとクリエーターは同義語だと思っているんです

Vol.150
ジャーナリスト 鈴木哲夫(Tetsuo Suzuki)氏
Profile
1958年、福岡県生まれ。早稲田大学法学部卒業後、テレビ西日本入社。同社報道部、フジテレビ報道センター政治部、東京MXテレビ、日本BS放送報道局長などを経て、2013年6月からフリージャーナリストとして活動。25年以上にわたって永田町を取材し、与野党問わず豊富な人脈を持つ。
学校法人「森友学園」問題をはじめ、解散総選挙や都知事選など、政治の話題では欠かせないコメンテーターとして連日テレビ出演しているジャーナリストの鈴木哲夫さん。週刊誌や月刊誌でも連載を持ち、永田町では与野党問わず幅広く取材を続け、信頼を築いてきた。しかし、そのキャリアは、地方の準キー局で社会部記者として活動し、33歳の時にフジテレビ政治部に異動した“変わり種”だ。その鈴木さんに“表現者の極意”を余すところなく語っていただいた。

テレビ嫌いが先輩のアドバイスを受けテレビ局に就職

メディアの世界に入ろうと思ったのは、いつごろからでしたか?

小学校6年生の時、将来なりたい仕事を書く欄があって、そこに「新聞記者か政治家か弁護士」って書いたんです。なぜ政治家って書いたのかは覚えていませんが(笑)。父親が西日本新聞の記者をしていて、その影響は強かったんでしょうね。大学生の頃、就職試験も新聞社を中心に受けていましたが、尊敬する先輩から「これからはテレビの時代だ」と、アドバイスを受けたんです。米国では3大ネットワークが政権を揺るがすほどの影響力を持ち、記者がカメラの前でレポートをする。これからの日本でもこのスタイルが主流になると勧められ、テレビ局に入ったんです。テレビが好きなわけでもないのにね。僕はよく冗談交じりに言うんですけど、テレビが嫌いなテレビ記者だって(笑)。でも、テレビが嫌いだからこそ、いわゆる“テレビ的でないもの”にチャレンジしてこれたと思います。

よくジャーナリズムとクリエイティブは相反する言葉としてみられがちですが、鈴木さんはどう感じていますか。

僕はジャーナリズムとクリエイティブ、ジャーナリストとクリエーターは同義語だと思っているんです。ジャーナリストが目の前の出来事を取材して活字や映像にして伝えるだけだったら、誰だってできるわけです。そこに想像力や創造性を働かさなければ意味が無い。僕の座右の銘は「へそ曲がりであれ」ーー。言い換えると、あまのじゃくです。これはクリエーターにも繋がると思うんだけど、僕のジャーナリストとしてのこだわりです。もちろん、ジャーナリズムの一つの使命としてある「世の中のメインの流れを掴むこと」は、ほとんどのマスコミがしているわけです。9割のジャーナリストがやっている、だとしたら残りの1割の視点を大事にした方が、違ったものの見方、解釈の仕方ができるのではないしょうか。同じ事象であっても正面からでなく、裏側や横から見る、そこに面白さを感じます。
僕は自慢するわけじゃないけど、テレビ局に籍を置いていた時代、スクープ賞などの賞を結構もらいました。でもその倍以上、始末書を書いているんです。行き過ぎた取材をしたとか、機材を壊したとか(笑)。でも、僕にとって賞よりも始末書が勲章なんです。なぜか。リスクを取った証だからです。特オチ(他社が一斉に扱っている大きなニュースを逃してしまうこと)も何度かありました。「お前、現場にいなかったのか」と怒られることは、しょっちゅうありました。しかし、リスクを負って反対側にいることで、いつかそれが実ってクリエイティブな番組が作れたりする、それが僕の一貫した生き方です。でも、企業内ジャーナリストとして会社の中で出世をめざす方にはオススメしません(笑)。

政治部取材にストレスが溜まり、橋本龍太郎氏の独自取材へ

鈴木さんのキャリアで特異な点として、まず最初に、準キー局の社会部記者だった33歳の時、突如、キー局の政治部に異動した点があげられます。

僕は根っからの社会部記者ですから、政治部に配属されて現場に行ったらカルチャーショックを受けました。政治部には「メモ合わせ」という習慣があります。番記者が政治家を囲んでコメントを取る“ぶら下がり取材”があります。しかし、10数人もいると後ろの記者は聞こえなかったりするので、取材後、メモを確認する作業があるんです。しかも、その最中に「どこが新しいニュースだろう?」「これは昨日言ったしね」なんて言い合ったりする。社会部では信じられないことで、ただただ驚きました。
でも、長年培ってできた慣習だから一概に批判するつもりも無かったので、1カ月はその中でやっていこうと踏ん張りました。これが日本の政治取材の仕組みなんだと思いましたから。それでもいくらやってもフラストレーションは溜まるばかり。それで堪らずデスクに「自分の興味のある政治家にサシで取材して回りたい」と願い出ました。当時、フジテレビのデスク陣は、いわゆる侍が多かった、無茶な要求をしても「いいよ、やって来い!」と、笑顔で送り出してくれる猛者がいたんです。
僕は竹下派7奉行と呼ばれた一人、梶山静六さん(故人、当時は国家公安委員長)の番記者でした。梶山さんは魅力的な人でしたが、番記者がぞろぞろ付いて回るコメント取材が嫌で、当時、主要ポストを外された橋本龍太郎さんのところに行ったんです。すると、僕のようなへそ曲がりが他社にも2、3人いて鉢合わせしたりしてね(笑)。その記者たちとは今でも仲良しです。そうやって、政治記者でありながら、社会部記者の目で政治をウオッチしています。人間模様といってもいいのですが、それを大切に取材し続け、現在に至っています。

既存のテレビ報道に限界を感じ、東京MXテレビ立ち上げに参加

そのフジテレビ政治部記者を経て、今度は東京MXテレビ立ち上げに関わりましたね。

既存のテレビ局に入ることは出来ても、新たにテレビ局を作ることはなかなか出来ない。その魅力を感じたことと、既存のテレビ報道の限界を感じていた頃でした。限界と感じる一つに、「分業制度」があります。テレビは、取材をするのは記者、映像を撮るのはカメラマン、録音するのは音声、VTRを構成するのはディレクター、実際に編集作業をするのは編集マン、それに効果音などを入れるのはSEなど、さまざまな人が番組のワンコーナーを作るのに関わってきます。いい評価を受ければ問題ありませんが、悪かった場合、責任のなすり合いになる。つまり、逃げ道だらけで、いい作品は生まれるわけがないと感じていました。
MXテレビは、日本初のビデオジャーナリストを採用する局としてスタートしました。取材から撮影、編集、音入れ、ナレーションなどすべて一人に任される仕組みです。視聴者の目の厳しさを全部一人で受け入れなければならない、これが記者、ジャーナリストの成長に繋がる。海外では多くのビデオジャーナリストが生まれていましたので、これは画期的だ、そう思って参加したんです。地方局からキー局で働いて得るものも大きかったのですが、その何百倍も魅力的に感じたんです。だから、何の躊躇もありませんでした。

MXテレビで、「へそ曲がり」の本領は発揮できたんですか。

1日12時間ニュースをやっていましたから、いろいろなことにチャレンジできました。本来のニュースという概念を壊そうと思ってやりましたね。たとえば、「サウンド・メッセージ」。好きなアーティストの曲を1曲流して、歌詞に合わせた映像を撮り、繋ぐんです。決してミュージックビデオではなく、ノンフィクション・ビデオとして、最後の10秒でメッセージを入れるんです。横断歩道を歩く人たちを数多く撮影し、流したとします。杖をつく老人やベビーカーを押しているお母さんがいたりね。そこでエンディングに「一番後ろを歩く人に優しい街でありたい」と流したりすると、これは行政や政治に対する痛烈なメッセージですよね。
それから現場からの発想で留守電を使った「東京ホットボイス」というコーナーもやりました。視聴者からの悩みだったり、社会に対する不満だったりを1件30秒ほどの留守電に入れてもらい、それを東京の夜景の画面に丸々流しました。これは、20年以上前の話です。今でこそ、これに似たコーナーがあったりしますが、当時のテレビでは考えられなかったものです。自画自賛のようで恐縮ですが、画期的なものでした。テレビとラジオは全く違うメディアとして見られていましたが、これを融合出来ないかとか、テレビ嫌いな僕だからこそ、既存のテレビと違う展開を絶えず考えていましたね。

クロード・ルルーシュ監督の「敗者たち」が“へそ曲がり取材”の原点

そのような一連のアイディアの源泉はどこからきたのでしょうか。

僕の原点は、「時よとまれ、君は美しい/ミュンヘンの17日」(1972年、ミュンヘン五輪の記録映画)です。これは8人の監督が種目別に追ったオムニバス作品で、その中でクロード・ルルーシュ監督が「敗者たち」というタイトルでレスリングを取り上げたものです。ちなみに、ルルーシュ監督は68年に「白い恋人たち」というグルノーブルの冬季五輪の映画も撮っている。これは記録映画を変えた作品と呼ばれています。子どもの頃に観て、印象が強く残っていたんですね。
テレビ西日本にいたとき、福岡国体が開催されたんです。毎晩15分程度の特番が組まれ、僕は番組のチーフでした。そこで、敗者だけを撮る1班を組んだのです。負けて床を叩いて涙する敗者がいれば、勝敗が決した時、勝者に駆け寄って握手を求める敗者もいた。そんな敗者をまとめたものを最終回で放送し、視聴者の評価も頂きました。
MXテレビでも、高校野球で「ネクストバッターズサークル」を追い続ける企画を手掛けました。9回、2アウトで負けているチームの次打者は、打順が回るかもしれないし、回らず試合が終了するかもしれない。これはドラマですよ。今バッターボックスにいるチームメイトに「打て~」と声をかける選手がいれば、回ってくるかもしれない緊張で震えている選手もいる。ゲームセットの瞬間の表情もさまざま。振り返れば、今でも僕の原点はクロード・ルルーシュ監督であり、多くの記者が勝者に群がるのとは違って敗者に寄っていくというものです。

テレビ西日本時代から災害報道に携わってきて、今もなお鈴木さんは災害報道には関心を寄せています。

災害という言葉だと矮小化されがちで、生意気かもしれませんが一番大切なのは「命」だと思っています。命より重いものはない、だからこそ、戦争は人類最大の悲劇。事件も政治も報道は命の大切さを伝えるものです。災害は、何の罪もない人たちの命が奪われるものです。この災害に対して、特に政治はなすすべがないと思っている。マスコミもそうです。だから皆、「未曾有の」というフレーズを使います。これって、逃げ以外の何ものでもありません。僕は、災害は人類が闘わなければいけない最大のテーマだと感じています。しかし、過去の教訓はほとんど何も活かされていません。未だに、東京で大地震が発生したら死者何万人だと平気で行政が発表する。おかしいと思いませんか? 冗談じゃない、あり得ないでしょう。五輪なんかやっていないで、早く何とかしろと言いたい。天災だから仕方ないとの思いがあるから、そうなるんです。これはまさに安全保障。だからこそ、永遠のテーマとしてしっかり追っていきたいと思っています。

ジャーナリストとして“時事漫才”の台本を書いてみたい

テレビ記者を長く続けてこられた鈴木さんですが、2013年にBS11を退社してフリージャーナリストになりました。現在、執筆活動が中心ですね。

子どもの頃から新聞記者になりたいという思いがあって、“活字信仰”はずっと持ち続けていました。2011年に大腸がんを患い、すでに完治しましたが、ガン宣告をきっかけに「人生は一回だ、悔いのない人生を送りたい」と考えるようになり、フリーになったんです。活字について言えば、たとえば、好きな作家に阿刀田高氏がいて、『鈍色の歳時記』(文春文庫)という短編集の作品があります。僕らは曇り空を灰色とか澱んだ空とか表現しますが、鈍(にび)色なんて言葉は思いつかない。でも、「鈍色」と言っただけでどんよりと曇った空を想像できる。これが活字の凄さだと感じています。「鈍色」は原稿でちゃっかり引用させていただいたこともあります。すみません。(笑)
でも、僕が文章を書くようになって心掛けているのは、やはり映像なんですね。テンポだったり、スピード感だったり、読みながら映像が浮かんでくる文章。振り返ってみると、テレビの影響が大きいと言えますが、これは言い換えるとテレビは手段であって、目的ではないということ。何を伝えたいか、何を表現したいかであって、テレビでもラジオでも活字でも講演でも何でもいい。そう思えるようになりました。ただ、文章については自分の強みとして、映像がすぐに思い浮かぶような文章が合っているし、特徴にしたいと感じて心掛けていることですね。

では、今後新たにやりたい、チャレンジしたいことはありますか?

ジャーナリズムの表現は無限であると思っているので、可能性はさまざま。それで思うのは、漫才の台本を書いてみたい。とはいっても、今の漫才じゃない。時事漫才とでも言うんでしょうかね。昔は風刺や権力をチクリとやるのが漫才だった。これもジャーナリズムですよね。そういうものをジャーナリストとして書いてみたい。

最後に、ジャーナリストをめざしたり、今現場で働いている若い人に向けて一言お願いします。

へそ曲がりをやっていると、必ず組織や担当するフィールドの中では孤立します。だけど、冷静に見ると、違う分野や隣のセクションにも同じようにへそ曲がりがいるんです。そういう人たちとネットワークを結んでいくことが大切です。その枠を超えれば、価値観も共有できる。映画、テレビ、活字……それぞれ違うジャンルの人たちでも根っこが一緒だったりするんです。そんな“へそ曲がりネットワーク”を構築して、徹底的にへそ曲がりであってほしいなって思います。

取材日:2018年3月19日 ライター:山田厚俊

鈴木哲夫(ジャーナリスト)

1958年、福岡県生まれ。早稲田大学法学部卒業後、テレビ西日本入社。同社報道部、フジテレビ報道センター政治部、東京MXテレビ、日本BS放送報道局長などを経て、2013年6月からフリージャーナリストとして活動。25年以上にわたって永田町を取材し、与野党問わず豊富な人脈を持つ。著書に『戦争を知っている最後の政治家 中曽根康弘の言葉』(ブックマン社)、『期限切れのおにぎり 大規模災害時の日本の危機管理の真実』(近代消防社)、『誰も書けなかった東京都政の真実』(イースト・プレス)、「石破茂の頭の中」(ブックマン社、2018年5月出版予定)など多数。

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