映像エディター一筋 自分が演出するという意識

Vol.101
映像エディター 只野信也(Tadano Shinya)氏\
水谷豊氏主演の『相棒』シリーズなど、名だたる日本の映画・ドラマの編集を担当し、北海道を舞台にした大泉洋氏・松田龍平氏主演の映画『探偵はBARにいる』では、自身2度目の日本アカデミー賞・編集賞を受賞した只野信也氏。

映像編集一筋30年。なんと話を聞いてみれば映像の道に進んでから現在に至るまで、ほぼフリーランスでやってきたとの事。 継続的に仕事を請ける秘訣、フリーを貫くぶれない強さの秘訣はなんなのか? 時折いたずらっ子のようにきらりと光る瞳の只野信也氏にお話を聞いて来ました!

 

映像業界へと進むきっかけ

只野さんは横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)の卒業生でいらっしゃいますが、やはり編集を目指して入学なさったんですか?

編集をめざす、というよりも、こういう映像関係の仕事をやりたいな、と。 進路を決めるときに、日本大学芸術学部(以下日芸)と、当時新設したばかりの横浜放送映画専門学院(以下横浜放送)とで迷いました。 そこで決め手になったのが在学中の映画制作本数。その当時、学校からの制作費で映画を作るというのを、日芸は4年間で2本、横浜放送は2年間で3本できました。 授業料だってあるし、この仕事をやるのに、大学卒業の資格はいらない。 ということは、2年間で3本映画を撮って早めに卒業して社会にでられる方が良いな、と思ったんです。

それで横浜放送に入学したんですね。学校生活はいかがでしたか?

横浜放送が出来た当初は今村昌平さんが監督仲間を集めて授業をしていました。僕は長谷部安春さんに教えていただいた。実は、長谷部さんとは卒業して十何年経ってから、それぞれ監督と編集として映画を作ったんですよ。 それ以降も、長谷部さんが亡くなるまでずっと、『相棒』などで一緒にやっていました。

映画学校の頃から繋がっている縁があるんですね。

そうですね、自分もそうだったし、僕のところに来た若い子達も20人近くエディターになった。 とはいえ、昔みたいな徒弟制度って今はあんまりないから、若い子はアシスタントとして一緒に仕事をして、ギャラは会社からちゃんと払います。ある意味徒弟制度ではあるかも知れないけれど、昔みたいな感じの人間関係ではやらないようにしています。

ご自身はどのようなきっかけで編集の道に進まれたんですか?

編集の道を選んだのは、恩師の影響が大きいかな。横浜放送で編集を教えてくれた先生が浦岡敬一さんという、大島渚監督とかの松竹ヌーヴェルヴァーグの波がきているときに活躍した人で、本当に可愛がってもらいました。先生はもう亡くなってしまったんだけど、奥さんとはいまだに交流があります。

卒業後の進路はどう決められたのですか?

たまたま僕の父親が勤めていた会社のTVCMを東映で作っていて、会社の広報の人が父親の部下だったんです。そうしたら横浜放送を卒業後、「東映に行ってみないか?」と言われて、「行きます!」って(笑)。

では20代の頃から東映とお付き合いがあったんですね。でも、東映に入社したというわけではないんですか?

違うんですよ、フリーランスで。 本来は、ちゃんと誰かについてやらなきゃいけなかったんだろうけど、その頃は学生運動が下火になったばかりで、東映も社員が会社に対して裁判を起こしたりと動乱の時代だった。それで、そのどさくさにまぎれて(笑)長居をしてしまったという感じですかね。 最初の頃にうまくいったのは、東映の撮影所で、新しくテレビシリーズを始めることになった時ですね。20人近くいたエディターの内、僕以外は誰も16ミリの編集をやったことがなかったんです。皆35ミリの映画しかやってなかった。 僕は学校で16ミリの編集をやったこともあったし、テレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』では35ミリで撮影したものを編集作業は16ミリでしていましたから。

周りのエディターが16ミリの経験がない中、只野さんだけができたのはすごいですね!一緒に編集していた方々もフリーランスの方だったんですか?

いえ、社員だったり年間契約だったりと、皆東映に所属していて、僕だけがまったくのフリーランスでした。 忙しくなると僕の後輩を呼んだりしたけど、彼らは一本作品が終わるとまた別の所に行く。当時のプロデューサーで、今はもう東映で偉くなった人たちからは、「只野はなんか変な立ち位置だよね」なんて言われたりもします(笑)。

リニアからノンリニアへと移り変わる時代を経験

リニアからノンリニアへの転換期を経験なさってますよね。

映画はずっとフィルムだったけど、テレビはフィルムからビデオテープ、そしてノンリニアになりました。 人に言われてAvid(ノンリニア編集機材)の代理店に機材を見に行って、先行きは明るいなと感じたんです。1時間のテレビドラマに丁度いいと思って、当初1セット1300万くらいしたAvidを、エンドロールに名前入れるからって言って、代理店から2週間くらい無料で借りました。

フィルムからデジタルへの移行をどう感じられましたか?

デジタルになって、作業は楽になりましたね。 フィルムだと、映像をカットして短くする分には問題ないですが、再び伸ばすときには、カットくずを探さないといけませんから。 編集自体はそう変わることはありませんでしたが、やはり作品の構成を変える時などは楽に出来るようになりました。 あとは、やはりフィルムの方が、ラッシュを観るときの緊張感があります。

今はもうデジタルが主流なんですよね。

僕が最初から最後までフィルムだけで編集したのは、『千年の恋 ひかる源氏物語』(2001年)が最後ですね。

すでにデジタルが主流になっていた2000年代にフィルムだったんですか。何か製作側の意図があったんでしょうか?

僕の意図です。 堀川とんこうさんという元TBSの局員で、『岸辺のアルバム』(1977年)をプロデュースした大ベテランの方が監督で、主役は吉永小百合さん。ラッシュをスクリーンで観ましょうと提案しました。 当時東京にはビデオで撮った映像をスクリーンに映せるシステムが、撮影をしていた京都にはなかった。 そういった理由で、フィルムでやろうと思いました。社長にもプロデューサーにもフィルムでやるという事を伝えました。

只野さんからの提案でフィルムになったんですか?

もちろん、一人で決められたわけではないですよ。 ただ、カメラマンは機材を自分で選ぶし、照明部だって同じです。もちろん周囲と相談しながらではありますが、彼らは色々選択できて、どうして俺たちだけ選べないの、と。

編集に臨むスタイルとは

映画とテレビ、編集する立場としての明確な違いはありますか?

単純に言えば、画が大きいか小さいかですね。スクリーンのサイズがまったく違います。 テレビは画面全部に目が行きますが、映画ってそうはいかなくて、どこかおろそかになります。 スクリーンの上手で誰かが動くとそこに目線が行く。で、画が切り替わって下手で何かがあると、目が行くのが遅れるでしょう。 そのタイムラグを利用して、素直にみせるか、それとも飛ばすか。それがテレビと映画の圧倒的な違いですね。 画面のサイズがそういうことをさせるんです。

それをふまえて編集なさっている。

もちろんです。音楽がどこから入ってくるかも自分で考えて・・・それは、期待を裏切られることも多々あるけど、それはそれで楽しいわけですよ。 映画の初号とかを観るでしょ。そうしたら作曲家とお互いに顔を見合わせて・・・(笑)。

お互いに、プロフェッショナルということでしょうか。 ところで、長い間『相棒』の編集に携わってらっしゃいますが、『相棒』の編集でこだわっている点はありますか?

『相棒』は当初からスタイリッシュにいきたいというのがあったんで、スピード感はものすごく大事にしています。 魅せるところは徹底的に見せるけど、他はどんどん飛ばしていく。そんなイメージです。

それは監督から指示されたのではなく、只野さんが自分で決めたことなんですね。

はい。他の人たちは知らないけど、僕がやってるスタイルは、一度こちらでまとめて、スタッフで編集ラッシュを観るというもの。 一回観てから皆が意見を言う。その方が、監督も新鮮に観えるでしょう。 それでトラブルになった監督は何人かいますけどね、「何故見せないんだ」って(笑)。 前に、何年もやってる監督に言った事があるんだけど、「俺はこの仕事が楽しいからやってる。監督は俺の何倍もギャラをもらって俺の楽しみをとるの?」、そうすると「そ、そらそうだな・・・」という具合に。

只野スタイルが見えてきました。そこが良くて只野さんに仕事を頼む監督もいるのでは?

楽しみにしてくれる監督は結構いますね。「あ、こうなった?」って。 自分が演出するという意識は多分にあります。 もちろん俳優さんがキャラクターを作ってそれぞれの間で演じているわけだけど、編集では全体の流れを考えて 観ているお客さんが引き込まれていく波を作ってあげないといけないですからね。

今はテレビと映画、どれくらいの割合で仕事されていますか。

映画は大体、2年で3本くらいのペースで関わっています。だけど自分で「やりたい」って手を挙げて出来るわけじゃないですから、向こうからオファーが掛かるのを待つしかないですね。 映画において、人を選べるのはプロデューサーしかいません。後は監督以下スタッフ全員が選ばれる側です。 プロデューサーが企画を通して、監督を選んで、監督がカメラマンを希望したりするわけです。

選ばれるために気をつけていることはありますか?

良い仕事をするという事と、あとはもう、人と人とのつながりですね。 そこを大切にしないと、「あの人に頼んで結果がすごく出て良かった・・・けど、人柄がね~」といったことは、往々にしてありますから。

これからのクリエイター達へ

注目している編集・監督はいますか?

若手の編集者って、実はあんまり知らないんです。 監督だと、若手じゃないけど三池崇監督は面白いと思います。

これまで、有名作品を数多く手がけていますが、チャンスをものに出来た理由は、何だと思いますか?

重ねてになりますが、やっぱり人との繋がりしかなかったと思います。才能の違い、仕事の出来る出来ない、というのはそう開きがあるものではありません。 その時その時に、いい出会いがあったから仕事が繋がってきたというのはあります。 20年くらい前かな、ある映画の編集が終わってから仕事がすごく少なくなった。そうすると、新たなプロデューサーや監督と出会うんです。そうしてまた仕事が下降気味になった時に、また誘われたりする。 ここ十何年は『相棒』シリーズをやっているから、周囲の人達から『忙しくて良いな』なんて言われたりしますけど、『相棒』シリーズをやっていない数ヶ月は、そんなに仕事を沢山こなしているわけではないんです。彼らは僕が何をしているかなんてわからないわけですからね(笑)。

これから編集の道を目指すクリエイター達へ一言お願いします。

まずは作品を観ることですね。ジャンルなんかは何でもいい。年に10~20本しか観ないんだったらジャンルを選ばざるを得ないでしょうけど、数多く見るのなら気にしなくていい。 100~200本観ろとは言わないけど、とにかく、ジャンルにこだわらずに数多く観ることです。 今流行ってる映画でも良いし、単館でやってる映画を、題名だけで「ひょっとしたら・ひょっとするな」っていうのでも良いです。やっぱり数観ないことには、はじまりませんから。

「相棒-劇場版III- 巨大密室!特命係 絶海の孤島へ」

© 2014「相棒 -劇場版Ⅲ-」パートナーズ

© 2014「相棒 -劇場版Ⅲ-」パートナーズ

特命係、絶海の孤島へ! 2014年GW『相棒』史上、 最高密度を誇る極上のミステリーが誕生。

【INTRODUCTION】 これまで作品を重ねるごとに、物語のスケール感も衝撃度も天井知らずにパワーアップしてきた『相棒』劇場版。特命係の2人がメインキャラクターとして活躍する作品としては前作『相棒 -劇場版II- 警視庁占拠!特命係の一番長い夜』(2010年)以来約3年半ぶり、日本中が待ち望んでいた『相棒-劇場版III-』が、2014年ゴールデンウィークにテレビ朝日開局55周年記念作品として遂に劇場公開される。

■CAST 水谷 豊 成宮寛貴 伊原剛志 釈由美子 風間トオル 渡辺 大 吉田鋼太郎 / 宅麻 伸 及川光博  石坂浩二 ■STAFF 脚本/輿水泰弘  音楽/池 頼広  監督/和泉聖治 ■公開日 2014年4月26日 ■公式サイト http://www.aibou-movie.jp/

取材日:2014年3月7日 ライター:河原 杏子

Profile of 只野信也(Shinya Tadano) 映像エディター

第101回只野信也(Tadano Shinya)氏

1955年北海道生まれ。日本アカデミー賞編集賞を2度受賞(優秀賞・2002年/2012年)。宝塚大学非常勤講師。 高校卒業後、横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)へと進学。編集の道へと進む。 『探偵はBARにいる』(2011年)では映像技術賞(日本映画テレビ技術協会主催)を受賞。 現在はJ.S.E日本映画・テレビ編集協会(Japan Society of Editors)の理事を務める。 編集を手がけた映画『相棒劇場版Ⅲ』は2014年4月26日(土)ロードショー。

主な編集作品 映画: 『スケバン刑事』(1987年) 『あぶない刑事 フォーエヴァー』(1998年) 『千年の恋 ひかる源氏物語』(2001年) 『探偵はBARにいる』(2011年) テレビ: 『スケバン刑事』(1985年) 『世にも奇妙な物語』(1990年) 『相棒』シリーズ 他多数

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