スペース2017.10.18

金沢21世紀美術館設計を機に金沢へ。まちと人に魅せられ、がんケアのNPOも支える建築家

金沢
建築家 吉村 寿博 氏
Profile
一級建築士。1969年鳥取県倉吉市生まれ。1995年妹島和世建築設計事務所入社。金沢21世紀美術館の設計、建築に際して、同事務所のプロジェクトリーダーとなり、金沢へ赴任。2004年吉村寿博建築設計事務所設立。NPO法人がんとむきあう会の事務局長を務める。
金沢城や日本三大名園の一つ「兼六園」に面した金沢市の中心部に、市民や観光客でにぎわう一角があります。円形で総ガラス張りの明るい建物の周囲では、子どもたちがオブジェで遊び、外国人がシャッターを切る姿があちらこちらに。開館から12年を経て、今もなお来館者が引きも切らない「金沢21世紀美術館」がまちの中心部でひときわ、存在感を放ちます。設計したのは、妹島和世(せじま かずよ)さんと西沢立衛(にしざわ りゅうえ)さんによる建築家ユニット「SANAA(サナア)」。同社のプロジェクトリーダーとして、設計・建築現場での監督を担当したのが、吉村寿博(よしむら ・としひろ)さんです。吉村さんは赴任した金沢にそのまま移住・独立して設計事務所を開設、建築やNPO活動に関わります。そこには吉村さんの、この地に対する思いがありました。

「金沢らしさ」という曖昧な概念の中で、自分らしさをどう表現するかに腐心

美容院だけど、ギャラリーみたいに見える店舗兼住宅という要望で設計された建物

現在、吉村さんが取り組まれている仕事について教えてください。

金沢で建築設計事務所を開設して12年が経ちました。この間、常に建築のスタイルについて試行錯誤してきました。金沢というのは戦災に遭わなかったこともあって、街中に武家屋敷や町家など当時の建築様式をそのまま今に伝えている建物も数多く目にすることができます。このため、特に旧市街地は古い町並みや現代建築が混在する町となっていますが、路地空間を含む町並みの持つ雰囲気が金沢の特徴だと考えています。伝統や工芸など歴史を強く感じさせる一方で、現代建築でこれというものがほとんどみられない。そんな中で、建築家として自分らしさをどのように表現するかを考えて、住宅や店舗の設計を行っています。

建築物における「金沢らしさ」というと、やはり町家が特徴的でしょうか。外観でいえば、出格子(でごうし)や黒瓦の屋根などが思い浮かびますが。

建物は完成した後に、どのように見えるかが大切です。その建物が見えている風景を意識しなくてはならないと思っています。建物と場所との関係性がとても大切なのです。関係性の作り方には決まった答えがありません。「金沢らしさ」という言葉をよく耳にしますが、実は非常に曖昧な概念で、明確な答えがあるものではないと考えています。金沢で建物を建てる時に街中であれ郊外であれ、すべて町家を模せばよいのか、町家に寄り添ったような建築をすればよいのかというとそれは違うと思います。出格子や黒瓦を引用するだけでは「金沢らしさ」に答えていることにはならないと考えています。気候や風土を考慮し、自然光や通風をどう採り入れるか。そこに金沢の持つ文化や魅力をどう表すかということが、自分自身にとっての課題だと考えています。

金沢21世紀美術館の設計に関わった経験を生かして

吉村さんがSANAAで担当され、金沢に住むきっかけとなった「金沢21世紀美術館」も兼六園や金沢城といった歴史的なエリアにあって、外壁や建物内の壁面の多くにガラスが採り入れられ、「透明であること、明るいこと、開放的であること」がコンセプトになっています。そのことは、吉村さんの設計にも反映されていますか?

2010年に、金沢市内に建てる住宅兼美容室の設計を依頼されました。クライアントは、ハウスメーカーを回ってもなかなか思い通りの建築に行きつかない中で、人づてに21世紀美術館の設計、建築に関わった私のことを聞き、訪ねてこられました。クライアントからは「21世紀美術館が好きだ」、「美容院だけど、ギャラリーみたいに見える店舗兼住宅にしたいというご要望をうかがい、設計に掛かりました。

どのような工夫をされましたか?

金沢の郊外にあって新たに設置された住宅街の一角で、南側が公園に面した奥行きのある敷地でした。そのため、敷地手前の美容院と奥にある住宅の双方に採光と通風を確保することを心掛けました。敷地手前の美容院は床を少し掘り下げて建物の高さを抑え、奥側の住宅に光が届くように配慮しました。

店舗兼住宅という部分での特徴を教えてください。

ご主人は、住まいと働く場所が同じ敷地にありながら、仕事と自宅で気持ちを切り替えたいというご希望もあり、入口も別々に設けました。とはいえ、壁を作って切り離すのではなく、変形の中庭を介して二つの機能が緩やかに繋がり、人が移動するとともに変化する空間体験を楽しむことができるよう工夫しました。プライバシーを守りながら、ダイニングからもチラリと美容院の様子がうかがえる、子どもさんもお父さんの働いている姿が確認できる。そんな設えを施しました。

SANAAで学び、住宅を設計したくて独立へ

事務局を務めるNPO法人が運営するがん患者さんの居場所「元ちゃんハウス」内に事務所を構える

独立前に所属していた「妹島和世建築設計事務所/SANAA」は建築界のノーベル賞ともいわれる「プリツカー賞」を受賞された日本を代表する設計事務所です。独立しようと考えたのはどうしてですか。

1995年に横浜国立大学の大学院修士課程2年の時に、日本建築学会が開いた若手建築家と学生によるワークショップに参加する機会がありました。当初は別の建築家のグループに参加しようと考えていたのですが、ミニレクチャーでの妹島さんの考え方に共感を抱き、3週間にわたって妹島さんに指導していただけることになりました。妹島さんは学生にも誠実に対応してくださり、また、建築に対する真摯な考え方に非常に感銘を受けました。就職を考える段になって、妹島さんの事務所で仕事がしたいと申し出ました。すでに採用枠は埋まっていましたが、修士論文の発表が終わった2月にお声がけいただき、新しい仕事が入ったことも幸いし、無事入社することができました。

妹島和世さんは、新進気鋭の建築家として、実績を積み重ね、西沢立衛さんとともに建築家ユニット「SANAA」を立ち上げられます。その頃のことについて伺えますか?

当時は妹島さん、西沢さんを入れてもメンバーは6名。まだまだ小さな事務所でした。スタッフ全員が設計に関する案を持ち寄り、それを練り上げていきました。徐々に大規模なプロジェクトを手掛け、事務所が発展していく過程を、スタッフとして間近に見ることができたのは幸運でした。

SANAA が設計を担当することになった金沢21世紀美術館建設に当たって、吉村さんはプロジェクトリーダーを任されていたそうですが。

実は、住宅や店舗の設計にもチャレンジしたくて、30歳になる前に独立しようと思い、退職したいと伝えていたんです。大きな規模の担当物件が多かったので、個人的な思いを形にする仕事に興味を感じていました。そんな時に金沢21世紀美術館の設計をプロポーザルの結果、SANAAが受託することになりました。当時、他の設計チーフも多数物件を抱えていたため、最後の業務として担当させていただくことになりました。

そこから金沢に移り住むことを決めたのは、なぜですか。

設計段階から着工前までは、東京から飛行機で日帰り出張がほとんどでした。小松空港と金沢市内を結ぶシャトルバスの車窓から街を眺める程度。建設が進むにつれ、美術館から歩いて15分ほどの場所にアパートを借りて生活することになりました。この頃はじめて金沢の町を俯瞰することができました。仕事の毎日で観光地にも行ったことがありませんでしたが、アパートと美術館の往復の散歩はとても楽しみでした。車も通らない路地に古い建物が建っているのを見るのが好きでしたね。茶屋街や武家屋敷が観光地として、残すべくして残っているのとは異なり、自然に残っているのがいいですね。そんな素敵なまちで、暮らしてみたいという気持ちが強くなっていきました。

世界に誇れる人に出会えるのが金沢の魅力

元ちゃんハウス1階のサロンで、スタッフの皆さんとくつろぐ

まちの魅力に引かれて、定住することを決めたのでしょうか?

いいえ。それだけではありません。美術館が完成し、退職が近づくとともに、改めてどんな設計がやりたいのかを考えてみました。まずは住宅を手掛けようと思った時に、東京に戻らず、地方でもいいのではないかと思いました。また、次第に金沢で知り合った方も増えていきました。まちのスケールは小さいかも知れないが、いろんな分野で優秀な方も多い。工芸や文化などの部門では、世界にも誇れる方がいる。東京では優れた人材がたくさんいても、なかなか接点がありません。それが金沢では、すぐにお会いできる。こんなに楽しみなことはありません。

NPO法人がんとむきあう会の活動にも積極的に関わっていらっしゃいます。活動について教えてください。

「がんとむきあう会」は、がん患者さんやご家族をサポートする団体です。がんに苦しむ患者さんや、悩んでいるご家族がいつでも訪れることができる安息の場を金沢につくりたいと、居場所づくりを進めてきました。私自身も母親が胃がんで抗がん剤治療を行っていた頃、本人が苦しむ様子やふさぎ込む場を目にして、会の趣旨に賛同して共に活動してきました。「元ちゃんハウス」と名付けられた施設の設計も担当し、2016年12月にオープンの運びとなりました。

がん患者さんと家族の支援に安息の場を 前理事長の遺志を継いで

「元ちゃんハウス」の名の由来であり、「がんとむきあう会」の理事長を務められた金沢赤十字病院副院長の西村元一先生が、2017年5月に逝去されました。

先生ご自身ががんと闘いながら、NPOを立ち上げ、元ちゃんハウスの開設にこぎ着けられたのをすぐそばで見ていたので、大変ショックでした。それでも、がん患者さんが自分を取り戻す居場所として、元ちゃんハウスを開かれたものにして、NPOの運営を進めていくには、ここからがメンバーとともに試される時だと思っています。西村先生の目標の一つが、がん患者さんが生きる喜びを失うことがないよう、総合的に支援できる居場所をつくるということでした。「元ちゃんハウスのような場所がほかにもできるといいな」とも話されていました。私たちは、元ちゃんハウスをひとつのモデルとして、同じような意志を持つ施設が全国に広がっていくことを目標のひとつとして考えています。

お仕事をされるうえで、大事にされていることや考え方など教えていただけますか?

建築設計がもちろん本業なのですが、金沢に移住したことがきっかけで、本業以外の関わりに参加する機会がとても増えています。金沢のまちづくりについて考えたり、今回のインタビューでも取り上げていただいたNPO法人がんとむきあう会の活動など、他職種、または、さまざまな立場の方と接する機会が増えました。このような機会は、建築を考える上でもとても役に立つ経験となっています。物事を多角的に捉え、その周辺も含めて考慮すること。日々の生活を豊かできるよう、設計活動に活かしていきたいと考えています。

取材日:2017年8月10日 ライター:加茂谷慎治

吉村寿博(よしむら としひろ)

一級建築士。1969年鳥取県倉吉市生まれ。1995年、横浜国立大学大学院修士課程修了、妹島和世建築設計事務所入社。金沢21世紀美術館の設計、建築に際して、同事務所のプロジェクトリーダーとなり、金沢へ赴任。2004年吉村寿博建築設計事務所設立。金沢市を拠点に建築を取り巻く全てのデザインを手掛ける。金沢21世紀美術館の建設にプロジェクトリーダーとして携わった経験を生かし、依頼主の想像を超えた新しい世界観を提案する。NPO法人がんとむきあう会 理事兼事務局⻑。金沢美術工芸大学、金沢工業大学、金沢大学の各大学で非常勤講師を務める。

http://www.yoshimura-archi.com/

※ 金沢21世紀美術館 現代美術を収蔵する美術館として、2004年10月に金沢市の中心部に建てられた。「まちに開かれた公園のような美術館」を建築コンセプトとし、円形の建物はどの方向からも入場ができる。建設に当たっては、コンペの結果、妹島和世氏と西沢立衛氏からなる建築家ユニット「SANAA」が担当することになった。SANAAは、この建物の設計などが評価され、ヴェネツィア・ビエンナーレ第9回国際建築展の最高賞「金獅子賞」を受賞したのをはじめ、建築界のノーベル賞といわれる米国プリツカー賞を受賞した。開館以来の累計入館者数は2017年1月までに、2000万人を超え、2016年度の入館者数は255万人に上る。

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