他者目線で作られる“共感の芸能”落語におけるクリエイティブのヒント

Vol.152
落語家 立川 談慶 氏
首都圏だけで開催されている落語会は、月1,000件以上とも言われ、落語ブームが訪れています。なぜ落語は古くから多くの人を惹きつけるのでしょうか?話芸だけで多くの人を魅了する落語にはクリエイターにとってもヒントが多いはずと、今回は多くの著書もある立川流真打・立川談慶(たてかわ だんけい)師匠にインタビュー!落語のクリエイティブ性、落語から学べるクリエイティブのヒントなど、「落語とクリエイティブ」の視点で、興味深いお話を伺いました!

すでにある古典落語をどう解釈するか?
落語家のクリエイティブ性が問われる時代。

古典落語は、基本的には同じ噺を複数の落語家が演じますが、同じ噺でもそれぞれに違う面白さがあります。落語のクリエイティブ性はどこにあるのでしょうか?

現在、落語家は800人ほどいますが、古典落語と呼ばれる噺の数は300もありません。噺の数だけ見たら、完全に落語家が供給過多なんですが、おおまかな噺の流れは同じでも、ひとりひとりの落語家が噺をそれぞれに解釈して演じるので、ひとつの噺で800通りの落語ができあがります。
「クリエイティブ」とは、まったく「ゼロ」の無の状態から何かをつくり出すことと捉えられがちですが、すでにあるものをどのように解釈して自分なりのものをつくり出すか、ということもクリエイティブです。落語家はクリエイティブ性がないと務まりません。

ひとりひとりの落語家の個性が、同じ噺にエッセンスを与え、違った魅力の噺になるんですね。

その落語のあり方は、実は新しい考え方なんです。昔は、名人にいかに近づけるか、ということが落語家の至上命題でした。名人上手の落語の3Dプリンターになることを求められていたんですね。
この命題を変えたのは、我が師匠の立川談志(たてかわ だんし)です。談志は「芸術家の了見を忘れるな」と常に言っていました。噺を解釈して、自分なりの落語をつくっていくには、修行で得たものや生き様、了見など、いろいろな要素が問われます。そして発表の場である高座でお客さんの反応を見て、さらに自分なりの落語にバージョンアップさせていく。この流れをつくった談志は、まさに落語のクリエイティブ性の象徴でした。

談慶師匠が古典落語を演じるときは、どんな解釈を入れていますか?

現代性ですね。落語は共感の芸能ですから、世界観を演者とお客さんが共有する必要があります。エンターテイメントは、現代に生きる人のもの。そのひとつである落語も、皮膚感覚を現代に合わせなくてはなりません。
江戸時代につくられた古典落語は、今では感覚として理解できない職業や心情が出てきます。例えば、「藪入り」という古典落語は、奉公に出た息子が一時帰宅する際の顛末を描いたストーリーです。ですが、現代では奉公なんてありませんから、奉公についての描写よりも、親子のつながりにフォーカスした噺にしています。子が親を思う気持ち、親が子を思う気持ちは、現代も同じです。
落語はエンターテイメントですから、昔なら「それは名人上手の落語とは違う」と言われるかもしれませんが、今は大衆に支持されればそれでOKです。良い時代だと思いますよ。

共感力、受け手を信じる力……。
落語にはクリエイティブのヒントがいっぱい!

クリエイターが落語から学べることはありますか?

クリエイターの作品は、多くの人に共感してもらってこそ、評価されますよね。落語からはその共感を得る力が学べると思います。
落語は、常に他者目線でつくられています。いろいろな視点があることを踏まえ、「お前はそう思うかもしれないが、オレはこう思う」という、そのギャップがおかしさになっているんですね。物事にはいろいろな見方があることが、落語では自然に語られています。
現代社会では自分だけの視点、ひとりよがりの自分発信が多いんです。SNSなんて、まさに自分発信のオンパレードで、見ていると疲れませんか?そんな社会のなかで、「落語は癒される」と言われることが多くなっているのですが、落語は常にフラットな視点で語られるからではないでしょうか。
癒やされるという点では、落語は失敗のオンパレードです。成功事例は世の中にあふれていますが、落語はダメな奴ばかり出てきます。落語は、人間の業の肯定なんです。
最近流行りの「意識高い系」で頑張ることは良いことなんですが、そればかりだと疲れますし、誰もが共感できるわけではないですよね。共感してもらうための視点、力の抜き方については、落語にヒントがあると思います。

話芸である落語ですが、話だけで情景が浮かび上がりますよね。受け手の想像力をかきたてることができるのは、なぜでしょうか?

それは、受け手を信じることですね。クリエイターにとっても大切なことだと思います。
例えば、古典落語「子別れ」は、酒や女遊びが原因で家を出ていったぐうたら親父が、数年ぶりに別れた子どもと偶然出会う。声をかけて小遣いを渡そうとすると、「おとっつぁん、あたいお釣りないよ」と言うんですね。その一言から、別れた子どもが母親と2人で、どんな貧乏な暮らしをしてきたかが浮かび上がるわけです。受け手を信じれば、それ以上の説明はいらない。説明がないからこそ、それぞれの想像力のなかで一番美しいと思える情景を思い浮かべることができるのです。人の気持ちを読んで、細やかな気配りをする日本人の遺伝子が残っているのが落語です。
クリエイティブは受け手のものとする落語には、どこまで言葉にするか、形にするか、表現のヒントが詰まっています。

前座修業はなんと9年半!
繰り返した失敗が、今の自分の財産。

談慶師匠は前座修業がなんと9年半にも及んだとお伺いしました。クリエイターも下積み期間はありますが、普通は耐えきれないほどの長期間だと思います。

落語家は前座、二つ目、真打と階級があり、前座として2~3年修行してから、半人前とも言える二つ目で10年程度過ごし、一人前と呼ばれる真打に昇進するのが一般的です。私は立川流の落語家でしたので、師匠である立川談志が昇進の判断をするのですが、師匠をしくじりまくり、結局9年半も前座のままでした。談志の要求は「オレを快適にしろ」だけでしたが、私にデリカシーがなく、9年も快適にできなかったわけです。
ですが、私はこの9年は財産だと思っています。何度もしくじったおかげで、人はこういうことをすると喜ぶというビッグデータが、私の中に構築されました。

失敗が今の師匠の財産になっているんですか?

9年半も前座で過ごした私ですが、二つ目は4年半で真打に昇進しました。前座時代に構築したビッグデータのおかげですね。とはいえ、私自身はセンスがないことを痛感しています。だからこそ、ダメな人の気持ちがわかって、本が書けるんです。私はデリカシーがなくて9年半も前座のままでしたが、次は「デリカシー論」という本を書きますから(笑)。それが芸の幅になっているんです。
結果が出ずに苦しんでいるクリエイターも、今の苦しみは将来への資産だと考えてみてはどうでしょう。未来の自分に対して投資していると考える、視点の切り替えが大切です。視点を切り替える噺は、落語にたくさんあります。

なるほど。他に、悩んでいるクリエイターにアドバイスはありますか?

主導権を握ることが大切ですね。言われたことをただやっているだけでは面白くないですし、主導権は相手にあります。
例えば「3曲歌舞音曲を覚えてこい」と言われたら、5曲覚えていく。そうすると、主導権は自分に移ります。無茶ぶりに対しては無茶ぶり返しをすると、ガラリと変わりますよ。
また、ひとりで背負い込まずに分散することも大切です。仲間を巻き込めば負荷は分散しますし、支え合うことができます。

落語は敷居の低い芸能。
まずは落語会に足を運んでみよう。

最後に、落語にまだなじみのない人に「落語のはじめかた」を教えてください。

落語会は首都圏だけで毎日20~30件、土日だと50件以上開催されているのではないでしょうか。「東京かわら版」(http://www.tokyo-kawaraban.net/)という専門の情報誌がありますので、それを見て近所の落語会を探して、まずは百聞は一見にしかずで出かけてみてください。落語は敷居が低い芸能なので、行ってみると、普段着でひとりで来ている人ばかりです。緊張することはありません。周囲の落語好きな人に一緒に連れて行ってもらうのも良いですね。
また、重要なのは、一回行って面白くなくてもあきらめないこと。(笑)最初にお話しましたが、落語家は800人もいます。落語家ごとに個性があるので、たまたま最初は合わなかっただけで、次は違う落語家を聞こう、などと少し追いかけていると、世界が広がります。
落語会の後のお楽しみとして、打ち上げもあります。さっきまで高座でしゃべっていた落語家も一緒に飲みますし、そこで落語仲間と知り合うと、また楽しみが広がります。ぜひ落語会に足を運んでみてください。

取材日:2018年2月27日 ライター:植松織江

立川談慶(たてかわ だんけい)・落語家

1965年生まれ。長野県出身。慶應義塾大学経済学部卒業後、ワコール入社。3年間勤務の後、91年、立川談志に弟子入り。前座名は立川ワコール。2000年に二つ目昇進、立川談慶に改名。2005年真打昇進。著書に『大事なことはすべて立川談志に教わった』(KKベストセラーズ)、『落語力』(KKロングセラーズ)、『「めんどうくさい人」の接し方、かわし方』(PHP文庫)、『いつも同じお題なのに、なぜ落語家の話は面白いのか』(大和書房)がある。

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