インドの小さな出版社タラブックスが作る「世界を変える美しい本」

Vol.147
板橋区立美術館 副館長 松岡 希代子 氏
全国各地の美術館で、絵本をテーマにした展覧会が開かれるようになり、絵本はアートの一分野として注目を集めています。ハンドメイドによる美しい絵本を次々と生み出し、数々の賞を受賞して世界的に注目を集めているインドの小さな出版社「タラブックス」。このタラブックスの日本初の展覧会「世界を変える美しい本」が、東京都の板橋区立美術館で2017年11月25日から開催されることになりました。展覧会を前に、今回の企画担当者である板橋区立美術館の松岡希代子副館長に、開催の背景とタラブックスの絵本づくりや、展覧会の見どころなどについてお話を伺いました。

ボローニャ展を日本の幹事館として毎年開催。絵本を展示する美術館の先駆けに。

板橋区立美術館は、どのような美術館ですか?

1979年に東京23区内初の区立美術館として開館しました。現在、区立美術館は6館ありますが、唯一の区直営の美術館です。収集や展示事業はもちろん、区立施設として美術の教育や普及にも力を入れています。さまざまな技法講座やワークショップ、講演会を手がけ、身近で活気のある美術館を目指しています。

板橋区立美術館と絵本のつながりは?

現在、展示事業では3つのシリーズを柱に据えています。まずひとつは、江戸時代の狩野派を中心とした「江戸文化シリーズ」です。現在はあちこちで江戸時代の美術を扱った展覧会が盛んで、江戸美術ブームとも言える状況ですが、当館がその先鞭をつけたのではないかと自負しています。
2本目の柱は、地域の美術館として、近隣の池袋を中心として戦前から戦中にかけて芸術家たちが集まったアーティストコロニー「池袋モンパルナス」の作品を収集し、企画展示を行っています。
そして3本目の柱が、絵本です。開館直後、美術館としての方向性を模索していた時期に、西宮市の大谷記念美術館から「ボローニャ国際絵本原画展(ボローニャ展)」の巡回先として、紹介していただきました。以降、夏の恒例展示として毎年、展覧会を開催、1989年にはボローニャ展の日本の幹事館となり、毎年イタリアのブックフェアに参加しています。
ボローニャ・チルドレンズ・ブックフェアは、児童書の国際見本市です。期間中、ボローニャに世界中から絵本や児童書に関する情報が集まり、いろいろなイベントやコンクールが開催されます。私は、ボローニャでの交流から、絵本をテーマにしたさまざまな展覧会を企画してきました。タラブックスとの出会いもこのボローニャ・チルドレンズ・ブックフェアでした。

絵本を美術館の主要テーマとするのは、珍しいですね?

始めた当時は、絵本は子どものもの、というイメージが強く、美術館であえて展示するものなのか?との声もありましたが、現在は、絵本はアートのひとつとして、あちこちの美術館で企画展示が行われるようになりました。

完全ハンドメイドの絵本で、世界的な賞を受賞。無名の画家も社員も、関わるすべての人が幸せになる絵本づくり。

タラブックスとは、どんな出版社なのですか?

1994年に設立された、南インドのチェンナイにある出版社です。2008年に、『The Night Life of Trees(邦題:夜の木)』が「ボローニャ・ラガッツィ賞」※1のニューホライズン部門※2を受賞したことで、一気に注目を集めました。
『夜の木』は、手漉きの紙にシルクスクリーンで印刷、そして製本まで、すべて手づくりで作られていました。有名画家のアートブックに希少価値を付けるために、このような手法を使うことはありますが、まったくの無名の画家の絵本にここまで手をかけた製本をし、さらに一般流通で販売するということに、本当にビックリしました。
今でもタラブックスの絵本の2割は、完全ハンドメイドの手法で、一冊一冊ていねいに作られ、今までにない質感と美しさがあります。また、絵本としてのクオリティの高さだけでなく、その裏側にある思想を知ると、ますますタラブックスの絵本に惹きつけられるのです。

※1 ボローニャ・チルドレンズ・ブックフェアに出展する出版社や団体が出版した本の中から選出される賞。
※2 アジア、アフリカ、ラテンアメリカ、アラブなどの地域の絵本に与えられる賞

タラブックスの設立者はどんな人達なのですか?

タラブックスの設立者は2人の女性です。 ギータ・ウォルフ氏は、インドで育ち、修士課程でドイツへ留学。ドイツ人と結婚し、インドで子育てをしていたのですが、インドで手に入る絵本は輸入本ばかりで、インドの子どもたちのために作られたインドの絵本がないことに気づきます。「インドの子どもたちにインドならではの絵本を」との想いを持っていました。もうひとりのV・ギータ氏は、チェンナイ生まれのチェンナイ育ち。編集者で、作家、歴史家としての顔を持ち、社会問題に取り組む活動家でもありました。二人はインド国内のブックフェアで知り合い意気投合しタラブックスをはじめました。

ふたりは、インドの民芸品をクラフトマーケットなどで見て、その生産地であるインドの地域を訪れるうち、壁や床、道路などに描かれた絵、学校で習うわけではなく、代々受け継がれている民俗的な絵、トライバル・アートと出会います。それぞれの地域で、それぞれの土着の人々が描いている絵を1年かけて文化人類学者と共同で調査し、動物の絵を集めて『Beasts of India』という最初の絵本としてまとめました。

受け継いできた人々の想いや伝統が込められた絵の迫力に圧倒されますね。

タラブックスのすごいところは、これらの絵を描く無名の画家ときちんと契約を結んで、著作権料を払っていることです。画家と言っても、これまでは壁や床や道路に描いている民俗画家ですから、まず紙と画材を渡すことからはじめて、さらに著作権という考え方も教えます。著作権を知らない画家から搾取するのではなく、タラブックスの絵本に関わっているすべての人が幸せに仕事ができるように考えているのです。
現在はタラブックスも大きくなり、社員も増えましたが、地方から出てきた若者には食事と住居を提供し、身体に良いインクを使い、休みもしっかり取れる勤務体制を敷いています。タラブックスの社屋には、アーティストが滞在して制作できるレジデンスも用意されています。
日本では衣食住が保証され、給与があり、休みがあることは当たり前のことかもしれませんが、インドでの事情は少し異なっているようです。このようなリベラルな働き方を実現しているのは、画期的なことなのです。

絵本の持つ力を信じ、絵本を通して社会に積極的に関わっていく出版社。

タラブックスの絵本には、社会的なテーマを扱っているものも多いですね。

例えば、『Following My Paint Brush』は、貧しい環境に生まれた女性が画家になるまでを描いた、女性のキャリア、フェミニスト的な考え方を表現した絵本です。
タラブックスは、社会に対して絵本を通して積極的に関わっていく姿勢があり、本が持つ社会的な力を信じている出版社です。

板橋区立美術館とタラブックスのこれまでの関わりは?

2013年に、ワークショップの講師としてギータ・ウォルフ氏をお招きしました。ワークショップの終了後に、「私たちの関係は、これまでは講師と受講生でしたが、これからは編集者とアーティストです。」と宣言し、その言葉通り、受講生と本のプロジェクトを進め、2015年にタカハシカオリさんがタラブックスから『くまさんどこかな?』(日本語版:河出書房新社刊)を出版し、現在、ふたりのもと受講生の本も出版準備中です。もちろん3冊とも展示しますので、ぜひ見に来てください。

絵本に込められたバックストーリーも展示。「世界を変える」意思を持った美しい本を、実感して欲しい。

展覧会では、手にとって読める絵本も用意されるそうなので、ぜひ、紙やインクの匂い、ページを捲る手の触感など、五感で絵本を楽しんで欲しい。

今回の展示の見どころを教えてください。

まずは、自社工房で完全ハンドメイドにより作られた絵本の美しさを感じていただきたいと思います。シルクスクリーンの限界を超えた繊細な表現や描写の版画技術の高さと、シルクスクリーンだからこその質感に注目してください。
そして、タラブックスの本作りに対する姿勢、一冊の絵本に込められた意思や思いを紹介し、出版社として社会にポジティブに関わっていく姿勢を紹介します。
また、蛇腹折りや円環状の絵本など、独創的な絵本も多いので、そのデザインの多様性も楽しんでほしいですね。メイキングやインタビューなど、貴重な映像も上映します。

ギータ・ウォルフ氏、V・ギータ氏が登場するイベントも企画されているとの事ですが。

初日の11月25日にはオープン記念トークとして、両氏に「タラブックスの本づくり」を語っていただきます。翌日の26日には、親子を対象としたワークショップも開催します。他にも、南インド料理を食べるイベントなど、さまざまな企画を考えていますので、板橋区立美術館のHP(http://www.itabashiartmuseum.jp/)をご覧ください。
今回、日本初となるタラブックスの展覧会では、「世界を変える」のタイトル通り、「世界を変える」意思を持ってつくられた美しい絵本の数々をご紹介します。ぜひ、絵本の持つ力を確かめに、足をお運びください。

取材日:2017年7月10日 ライター:植松織江

世界を変える美しい本 インド・タラブックスの挑戦

  • 会 期:2017年11月25日(土)〜2018年1月8日(月・祝)
  • 開館時間:9時30分~17時(入館は16時30分まで)
  • 休 館 日:月曜日(1月8日は祝日のため開館)、12月29日〜1月3日
  • 観 覧 料:一般650円、高校・大学生450円、小・中学生200円
  • *土曜日は小中高校生は無料で観覧できます
  • *20名以上団体・65歳以上・障がい者割引あり(要証明書)

 

南インド・チェンナイの出版社「タラブックス」。1994 年に設立され、ギータ・ウォルフとV.ギータという二人のインド人女性が中心となって活動しています。タラブックスといえば美しいハンドメイドの絵本が知られています。ふっくらとした風合いの紙に、民俗画家による絵を版画の技法で印刷し、1冊ずつ職人が糸で製本しています。インド各地には、多様な民俗画家たちが存在し、壁や床に絵を描いたり、民芸品をつくったりしています。そのような、生活の中で営まれてきた表現活動を、タラブックスは出版に結びつけました。
本展は、タラブックスの本づくりの全容を伝える初の展覧会です。ハンドメイド本を中心に、本や原画、さらには写真やメイキング映像など約300点の資料を通じて、その魅力をたっぷりとご覧いただきます。

 

くわしくは、板橋区立美術館のサイトをご覧ください。

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