アートのこと…知った気になりたい

vol.37
何かについて書こうと思ったとき、アートほど難しいテーマはないと思う。まず、定義が難しい。絵画についてのみ書いて「アートは――」なんて記事をつくれば、十中八九、「それでアートを語ったと思うな」と反論を食らう。 鑑賞物としてのアート、実践するアート、ビジネスとしてのアート、投資の対象としてのアート。どれも、1項目だけで十分に本が1冊書けてしまうのだから。 とはいえ、今月の「クリエイティブ好奇心」は、テーマをアートと決めました。肩肘張るつもりはありません。クリエイティブにたずさわっているのだから、アートのこと、ちょっとだけ知った気になりたい……、知っているように見せたい……。そんな人、必読の特集です。 読者のみなさんの中には、アートと聞くと理屈ばかりで難解と思う人もいるかもしれない。「妙に高尚な話は、嫌いだよ」というあなた、大丈夫、専門家などではない筆者が、自信をもって権威のないわかりやすいアートについての記事を書きますから(笑)。

ACT.1 どこまでが古典で、どこからがモダン(現代)?

ダ・ヴィンチはルネッサンス美術でモネは印象派だけど、どちらも2008年の現在では「古典」でくくられます。ウォーホルは明らかにモダンアートの巨匠だけど、今から50年も経てばポップアートという古典として語られているはずです。古いけど、いろんなものに影響を与え、生き残っているのが古典。そう考えていいでしょう。 では、今私たちがモダンアート、現代美術ととらえている流れはどこから始まっている?学説としては諸説紛々あるけれど、大まかには世紀末を越え、20世紀が始まった1900年初頭ととらえていいみたい。キュビズムや未来派、ダダイズムなどがこの頃に勃興していて、1920年代のシュールレアリズム、1950年代の抽象表現主義、1960年代のポップアートへとつづく道を示したと言える。 ヨーロッパ、アメリカでおこったこれらのモダンアートの運動を理解するうえで重要で、かつ日本に暮らす人々にわかりづらい概念と言われているのが「カウンターカルチャー」。カウンターとは文字通り、「逆の、反対の」を意味し、主に若者の体制への反抗姿勢を示すわけだけで、モダンアートはおしなべてカウンターカルチャーなわけだ。 小さな頃からルネッサンスや印象派を示し「これが素晴らしい芸術のお手本」と教えられた若者の中から、「そんなの古い、つまんない」と感じ、実践するアーティストが出現して生まれたのが古典とはまったく違う流儀で構築されているモダンアートなのです。

ACT.2 アートはいくらか?アーティストは幸福か?

暴論を承知で見解を示すと、ひとつの美術作品が資産と言えるような貨幣価値を持つには、①一定の評価が(歴史的評価も含めて)固まっていること、②作者が他界していること、が必要だと思う。時間をかけて(作者の寿命も超えて)形成された評価は、作品価格に安定感をもたらすし、何より、もう新作が生まれることはないので供給過多の値崩れの心配もないからだ。 この、とはいえ核心の一部はついていると自信を持つ暴論も、美術作品で真剣に投資したいならば――の意見である。ふと立ち寄ったギャラリーで一目ぼれし、家に持ち帰ってからも何年も愛し続けられる作品に出合ったなら、それが5000円でも500万円でも関係ない。美術を「愛でる(めでる)」とは、そういう行為なのだから。 大きなお世話だけど、素晴らしい作品を生み出すアーティストたちには、できるだけ生前から、経済的にも幸福であってほしい。ゴッホの壮絶な人生はとても有名だけど、あそこまでいかないとはいえ、死ぬまでお金に困ったエピソードを持つ巨匠は多い。その辺の運・不運は、良い画商と組めたか否かが大きいと言われるようです。言わば、ビジネスパートナーですね。 1950~60年代にニューヨークでおこったモダンアートの隆盛は、ポロックやウォーホルという才能があったればこそだが、「現代の美術の潮流をアメリカから」と志したやり手の画商(ギャラリスト)たちのビジネス的な功績と第二次世界大戦でアメリカが戦場にならなかったゆえの富と文化の底力が成し遂げたもの。したり顔で言えば、そういう指摘ができます。いずれにしろ、ポロックもウォーホルも生きながらにして名声を得て、明らかに生活に困っていなかった。とてもいいことだ、と思う。

ACT.3 アートは、インターナショナルか?

戦前はフランス留学、1970年代以降はニューヨークに勝負に出る――というのが、アートに人生をかけた日本の若者の典型的なチャレンジでした。いずれにしろそこには、「本場で認められなければ」という思考があった。 で、この場合、「本場」は何を指すかと言うと、マーケットですね。戦前の絵画はヨーロッパでなければ、戦後のポップアートならニューヨークでなければ、作品を認め、お金を払ってくれるマーケットがなかった。買い手も、画商もいなかったわけです。 「凱旋帰国が大好き」という日本人の国民性は置いておいても、日本で活動していても評価を得るチャンスが少ない、才能を伸ばす環境がないと思う人は、どんどん海外に出て行った。これまた暴論承知で書きますが、成功した人たちは、ヨーロッパの貴族やアメリカのお金持ちを喜ばすことができたから成功したのです。ビジネスとしてのアートは決してインターナショナルではなく、欧州、米国(東部限定という意見もある)限定の地域特定なものなのです。 現代日本でアートに取り組む人たちの多くは、「日本というマーケットには、やはり限界がある」という意見を持っています。高額な美術作品を購入する買い手はそれなりにいるけれど、その多くは、本当のポケットマネーで購入する個人ではない。いわゆるパトロンになり得る富豪がいないと、アーティストが存在することは厳しいらしいです。 では、はやり、今後もアートを志す日本人は海外に出ていかなければならないか?その永遠のテーマに一挙解決を提示しそうなのが、ネットです。もう気づいている人は、かなりいるようです。「日本のアーティストは、作品を知ってもらうために海外に出る必要はなくなった」――あるアーティストは、そう断言していました。好きな所に住んで、好きなだけ創作して、作品はネットにあげておけばいい。 最先端を行く世界的なギャラリストたちは、日夜ネットをチェックして新たな才能の発見に務めている。それが、最新のアート界事情なのだそうです。2000年代のアートは、やっと本当の意味でインターナショナルになっていくのかな。そんな気がします。

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