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この男にだけは恥ずかしい自分を見せたくない。

番長プロデューサーの世直しコラム Vol.123
番長プロデューサーの世直しコラム 櫻木光

今年、高校を卒業して30年経つんです。つい最近のような気がしますがそうでもないんですね。

勉強が大嫌いで日々バスケをやってるだけの中学生だったのに相当無理して当時、佐賀県で一番だった進学高校に入っちゃったため暗黒時代を過ごす事になった3年間でした。全然楽しくなかった。やることなす事うまくいかなくなってイライラしていたし、真面目でガリ勉風の子も多かったので浮きまくって迷惑がられていましたね。リーゼントだったし。うまくいかない腹いせに、平気でいっぱい人を傷つけた。 なんでそんな事になっちゃったのか?

中学生の僕は、バスケでそこそこ活躍していたんだけど3年生の時に結局一回も勝てなかった相手がいました。いつも下馬評は圧倒的に優位だったにもかかわらず、本番の試合になるとなぜか勝てない。中学3年生の最後の夏に、僕らは優勝候補としてシードされていたにもかかわらず、佐賀市の大会の準決勝でまたその男がキャプテンを務めるチームに1点差で負けてしまって、突然3年間が終わりました。僕たちは小学校の頃からのメンバーで、全国大会でも2位になったくらいのチームだったのに、市の大会で終わる事になった。佐賀県大会や九州大会まで予定を入れていたのに全部パー。やることがなくなって呆然とした夏休みを過ごしました。

どうせ暇なので、近所の高校生の練習に参加してお茶を濁していたらある日、その勝てなかったライバルくんが同じ練習に参加していました。 で、そこで初めていろんな話をしてみたんですが、嫌な感じのまるでない珍しいくらいの人格者だったのです。勝てなかった悔しさや、彼らがその後全国大会まで駒を進めた羨ましさもあって僕の態度は最悪だったと思うのですが、その男は全然違っていい奴でした。

それが生涯の友人になる戸谷くんでした。

で、戸谷くんが僕に「どこの高校に行くつもり?」と聞いてきて、「県外の高校からバスケで誘いもあるからそっちいこうかなあ、と思ってる」みたいな事を見栄張って答えたら、「一緒の高校に行って一緒にバスケしないか?」というのです。「君のチームとの試合が一番辛かった。敵になるのはもう嫌だ」と。行きたい高校は佐賀西高だという。こりゃまた難しい高校。まんまと乗せられたのか、その男に誘われたのがやけに嬉しくて、そこから無理な勉強を始めて春には晴れて一緒の高校に通う事になりました。

そこまでは良かったのですが、その後の僕は転落人生。戸谷くんはいつも学業で学年トップ。僕はいつも下から二番目。ブービー賞。僕よりバカが一人いたのがせめてもの救い。赤点まみれで毎年落第寸前。バスケ部だから仕方なく留年しなくてすんだようなもんです。以前このコラムにも書いたスパルタ式のバスケ部だったのですが戸谷くんはバスケでもメキメキと頭角を現し、僕は脇役の普通の選手に成り下がってやる気もなくして、もうどうでもよくなっていました。大事なことがよくわかっていなかったのです。クソ野郎と化していた。

それでも戸谷くんは僕に対する態度も変えず、余計なお節介も言わずただ、自分のやるべき事を黙々とこなしながら、ふてくされた態度の僕を見放さずに見守ってくれていました。

高校生最後の春に、戸谷くんが「もうそろそろ真面目にやらないか?」とポツリと言ったのが身にしみて、家で布団かぶってワンワン泣いて本気になった。そう言えばこいつに誘われてここに来たんだ。夏の大会に向けて何となく昔のキレを取り戻したような気がしてきた頃に、練習中に大怪我をして、僕の高校バスケ生活はまた突然終わった。チームもまた、優勝候補だったのに予選で敗退、インターハイに行けず終わった。

その後、僕は素行不良を理由に佐賀県の国体代表選手も外され、スポーツで進学する予定だった大学の推薦もある問題を起こして取り消され2年間の浪人。もう今世は諦めた方がいいな。とすら思うほどツキがありませんでした。

ツキがないというより自業自得。

戸谷くんは有名大学に行って大手商社に就職。僕がバブルの勢いでテレビCMの制作会社に潜り込んだ頃には、ロンドンに駐在、帰国後ボストンに留学してMBAを取り、ニューヨーク勤務。島耕作か?

戸谷くんとは頻繁に会うわけじゃないけど定期的に連絡を取りながら、相変わらず仲良しでした。ダメな頃、潮が引くように人が去って行ったのに、戸谷くんだけは遠くからずっと励ましてくれていたのです。

先日、また戸谷くんが出世してニューヨーク勤務に戻るというので、二人で酒を飲みました。二人で飲むときはいつもバスケの思い出話ばっかり。もう何度やったかわからないくらい同じ話をしますが、その都度興奮するし盛り上がる。中学のあの試合の話。

彼は彼で簡単に今の仕事の地位を手に入れたわけではないのはよくわかる。多分血の滲むような努力の末に今がある。そんな感じはまるで見せないのだけど。バスケでもそうだった。朝6時から誰もいない薄暗い体育館でシュートの練習を3年間毎日やってたのを知っている。遊んで朝帰りする時にいつもこっそり見ていたからだ。あの感じで今も日々充実しているのだろう。昔からお互いの共通した思いは、あの頃のバスケ部の練習に比べたら仕事は頑張れる。金ももらえるし。である。

僕は僕で仕事は必要以上に自分にも他人にも厳しく、怒り、みんなを鼓舞して自分の出来る限り、いいテレビコマーシャルを作る事に執着した。仕事は難しく厳しかったけど、もうあの惨めな思いはしたくない、とどこかで思っているからだ。頑張らないと惨めになる。惨めは寂しいからだ。惨めな奴からは人が去る。

今回、飲みながら、多分初めて戸谷くんが言ったことがある。お互いに歳をとったからだな。「人生で一番の悔いがあるとすれば、インターハイに出られなかったことかもね」そうね。としか答えられなかった。やっぱりな、そう思ってたか。僕があの時、必要以上に頑張って、勝手に怪我したとき、戸谷くんがそれまで見たこともないような嫌な顔をしたのを思い出した。何やってんだよお前。口には出さないけど電波は伝わった。30年経った今でも、本当に申し訳ないと思っているのです。よくしてくれた奴の人生を少し狂わせたからだ。取り返しがつかない。

大人になって、仕事について、本当に一生懸命頑張って来れたのはもう二度とこの男にだけは恥ずかしい自分を見せたくない、と思っていたからだ、とわかった。薄々わかっていたけれど再確認した。中学生の頃から勝ててないのは当たり前だな。敵わんよお前には。今は俺だってあんまり負けないんだぜ。

もう二度とこの男にだけは恥ずかしい自分を見せたくない。そう思える親友がいてくれた事に本当に感謝した夜だった。そう思える親友がいる限り強くいられるからだ。

Profile of 櫻木光 (CMプロデューサー)

プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが、矢面に立つのは当たり前と仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。


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