カラダを鍛えなければ。

番長プロデューサーの世直しコラムVol.17
番長プロデューサーの世直しコラム 櫻木光

こう見えても、バスケット部だった。小学生の頃に始めて、中、髙まで9年間。けっこう本気でやっていて、全国大会、九州大会には数回出場したし、県の国体の選抜選手だったこともあるくらいまじめにバスケをやっていたのだ。バスケで某体育大学に推薦入学が決まっていたけれど最後のインターハイの予選直前に大けがをして出場できず、チームも負けて、推薦の話もお流れになった。僕のバスケのキャリアは、それで突然終わった。 それからかれこれ20年以上も経っているが、先日、仕事でおつきあいのある役者の方から「バスケやりませんか?」と突然のお誘いがあった。二つ返事でOKした。断る理由は、特別ない。 早速シューズを買いに行った。エアジョーダンの最終形23。高校現役最後のシューズは青いエアジョーダンの1だったなと、甘酸っぱい感慨にふけったことを白状しよう。

朝早く体育館に集合してロッカールームでシューズを履く。リストバンドをつけて懐かしい気分がよみがえり、途端にわくわくした。こういう感じだったなあ。Tシャツに短パン。高校時代に付き合っていた女の子と会うような気分でコートに出た。 ボールの音が響く。つるつるのフロア。準備運動をしようと思ってコートを端から端までゆっくり走って、驚いた。それだけで息が切れてしまったのだ。靴が重い。最初は気のせいだと思った。今日は、調子がいまいちなだけだと。 美容と健康のために、ここ10年ほど週に一回はスポーツジムに通っている。ストレッチ30分、マシンウオーキング20分、バイク30分、ラン30分、ストレッチ20分と有酸素運動中心のメニューをこなしているので、実は、バスケを再開するのに体力的な不安はないと信じ込んでいた。

みんなが集まり、バスケ部の基本的な練習、ランニングシュートが始まった。イメージ的には、その辺に落ちてる糸くずのようなちょろいメニュー。だが、へらへら参加したらとんでもなかった。ついていけないのだ。シュートもひどい。レイアップシュートの基本は「ボールを置いてくるように」だが、どこに置くんじゃい!ゴールが遠い。下から放り投げないとリングにすら届かない。 5分刻みのオールコートのゲームが始まった。ジャンプボールをして、こっちのボールになる。走って攻め、ボールをとられ、ディフェンスに一生懸命戻ったら、もう動けなくなった。たった一度の攻防で動けなくなった。それだけではない。シュートが届かない。パスが通らない。 イメージしているものと現実のギャップは、これほどまでなのか。それもそうだなあ。現役の頃に米の袋を2つ背負ったような体重だもんなあ。毎日立てなくなるまで練習していたあの頃に比べて、脚力もひどいあり様だろう。

愕然とした。なんてザマだ。

なんとか休み休みやらせてもらって、初日を終えた。帰り道もまともに歩けないくらいカラダが痛い。米2袋抱えて全力で走るのを支えた、ただでさえ弱った膝はびりびり痛い。横に走るのになれていない太ももは、ぱんぱん。 でもね、すごい気持ちがいい。呼吸をしないと死んでしまうかのように息を切らすのも、なかなか止まらない滝のような汗をかくのも、飲んでも飲んでも水が飲み足りない感覚も、 爆発したような心臓の動きも、久しぶりで気持ちがいい。なんか長いこと行っていなかった地上に出た、地底人の様な気分。すがすがしかったのだ。あらゆる部位がちぎれるほど痛いけど。

2回目の練習はもうすこしましになるだろうと淡い期待を抱いて、2週間後また練習に参加した。やっぱり現状は変わらなかった。つらい。

でもやっぱり気持ちがよかった。

この部活は当分続けてみようと思う。なにか、忘れかけていて、なくしそうだったものをなくす寸前に取り戻した感じだった。消えかかっていた火が体の中でまた大きくなった。フルスピードでカラダを動かし、他人と競い、ひっくり返って動けない。この野郎と自分に思う感じ。また立ち上がって走る。これは闘争心だ。闘争心に火がついた。レベルは段違いだけど、伊達公子の気持ちはちょっと理解できる。

カラダを鍛えなきゃいけないなあと思った。メタボ検診のひっかかる腹からなんとかしよう。そして、昔のように両手でリングにぶら下がってやろう。

元気になってきたぞ。

Profile of 櫻木光 (CMプロデューサー)

プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが、矢面に立つのは当たり前と仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。


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